>>172
いさなさんお久しぶりです、一年以上経っているでしょうか。

いさなさんは確かクリスチャンではなく、イエスを霊的な意味で
優れた人として捉えていたかと思います。

なのでイエスの教えに価値を見い出さないなら私が言ったor言うことは忘れてください。

いさなさんのご質問に答える前に宗教の基本をおさらいします。
宗教はあなたが解釈すると上手くいかないというコンセプトがあります。
あなたの心が教えをと同化したときのみ、正しい意味で効果があります。

また他の宗教はともかく、キリスト教ではイエスが譬を多用していること
検証が容易ではないことから、自分の信念を疑わないことで
その目的を果たそうとする性質があります。

そのため教えや教義を再考する態度がない場合
(言葉は悪いですが、教えを盲信するような状態になっている場合)
何かを検証することで、考えを見直そうとすることが難しくなる場合があります。

要するに誰かが一般的に見て間違った信仰を持っているか
あるいはクリスチャンとしてあるまじき態度をとり問題があったとしても
柔軟な方と議論して間違いを指摘するのとはわけが違います。
無理に理解させようとすることは問題を泥沼化させます。

一方で神はこれをどのように解決しますか?
苦悩や不満足etc.、あるいは何かをキッカケとして
自分は間違っていたという深い気づきを与えることによって。

次にイエスが強調した心の清めに触れます。
心の浄化で重要なのは、世界や他者と戦わないことです。
しかし私達のエゴは好き嫌いを持っているので、世界や他者を変えようとすること
物事の結果をコントロールしようとする傾向が現れます。

信仰は御心のままにという心境を体現し、この傾向を弱体化する優れた方法です。

だからイエスに倣う者にとっての最良なことは(そしていさなさんもそうであるなら)
シャロンさんのことは神に任せて、自分の心に集中すること
自分の問題から解決することです。

散々触れてきましたが、ルカ6章後半はサティさんやいさなさんに
起こっていることを実際に警告しています。