宗教の下位互換、法学からの野良くん観察。

法学での人心の判断は

思い(義務)
邪な思い(義務)
権利
錯誤の権利
基本的人権
自然権
信条やプライド

これ等で判断します。
で、錯誤の権利・邪な思い(義務)からの発言・行動は、相手から不条理として、受け入れられません。

野良くんの整合性に失う言動は不条理です。
なので、邪な思い・錯誤の権利を、野良くんが持っているのは確定されます。
不自然なプライドの高さも、誰から追認された結果なのでしょう?

仏教に戻ります。

上記、法学からの観察で、野良くんは無心を得てない事が証明されます。
無心は邪な思い・錯誤の権利を自ら棄てる実践です。
無心を得てないことは、自灯明も得てないことも示します。

故に、仏教的に、野良くんは覚者ではありません。