わたしと言う存在は、ひとりのひと ですから、一ですね。絶対というのは他が存在しないのですから、一ですね。

> 生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり  これは部分のひと時という意味あいではない。一とは絶対という意味だ。前後裁断 生は生、死は死 』


どうもかみ合っていないが、レスしてくれたから、レスしよう。

結論なのだろうが、いっぱい あるね。
どれを言いたいのだろう。
一番最後の書き込みを 言いたいこと、結論 としよう。

> 生は生、死は死 』

生死(しょうじ)は 生 と 死 と、分けないのだ。
そこが大切で、

始まりが有れば、終わりが有る。

生があるから、死が有り、
生が無ければ、死が無い。

あれとそれ、

相対、になるよね。

生まれたり、死んだり、するのは何で、
生まれず、死なないものは、何だろう。

諸行無常、
変化して止む事が無い。
これを受け取る。
そうすると、そう言う区切り、と言うか、
ここからそこまで、と言う限定が無いことが受け取れるよね。
区別、することを 知識、と言う。
真理(さとり)は知識は逆立ちして審理を見ている、と言う。
捨てなさい、知識を、と言う事だね。
三歳児に学ぶ、と言うのはここの事。

ひとつらない、だよ。

マブダチ道元ちゃんも言う、眼は横についている。