◆◆漏尽智とは諸々の汚れを滅す智のこと◆◆

>阿含宗という宗教150
>332 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:25:05 ID:lnhRYV0M
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」 とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。
>仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。
>全員が、これは解脱したことを意味すると解釈するはずです。
>この段階で釈尊はすでに解脱しているのです。
>自分の勝手な解釈に経典を合わせるのではなく、
経典に合わせて解釈するのです。

経典に合わせて解釈するということは、
経典に書いてあるままに解釈するということです。
私利私欲や嫉妬、憎悪の絡んだ薄汚く小賢しい理屈などは要らない。
経典には上記の文章が解脱だとは書いてない。
代わりに別の個所で解脱したと書いてある。
だからそこが比丘が解脱したところです。
経典に書いてあることは釈尊の言葉なのだから、これ以上の根拠は不要です。

「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで、
確立し不動となったときに、諸々の汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。
われがかくのごとく知り、かくのごとく見たときに、心は欲の汚れから解脱し、心は生存の汚れから解脱し、心は無明の汚れから解脱した。
解脱し終わったときに、「解脱した」という智が起こった」
(「ゴータマ・ブッダ 釈尊の生涯」春秋社、中村元、184頁)

諸々の汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
その結果、欲の汚れ、生存の汚れ、無明の汚れから心が解脱した。
そして解脱したという智が起きた。
経典にそう書いてある。
そう書いてあるのだから仕方がない。
漏尽智→解脱→解脱知見 の流れです。
「心が統一され、・・・・・・」の文言には解脱の意味は無い。