>阿含宗という宗教150
>332 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:25:05 ID:lnhRYV0M
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」 とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。
>仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。
>全員が、これは解脱したことを意味すると解釈するはずです。
>この段階で釈尊はすでに解脱しているのです。
>自分の勝手な解釈に経典を合わせるのではなく、
経典に合わせて解釈するのです。

解脱と解釈する仏教学者はいないでしょう。
解脱は四諦の後の節にあるからです。

「このように知り、このように見るかれには、
欲望の煩悩からも心が解脱し、生存の煩悩からも心が解脱し、無知の煩悩からも心が解脱します。
解脱したときには、解脱したという智が生じます」

パーリ語の原典では「心が解脱し」は
cittam vimuccati で、vimucattiは「解脱」です。
一方の「心が統一され」は samahite citte で、samahiteは「入定した」という意味です。
四諦の後にvimucatti(解脱)が出てくるのに
仏教学者たちがsamahiteを「解脱」と解釈する訳がない。
vimucatti≠samahiteです。
「心が統一され」が解脱だとは、妄想脳が考えた戯言に過ぎない。
反論するなら「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」は解脱だ、と書かれた学者本を出すしかない。
それ以外の本は駄目です。
独り善がりの作文もお呼びでない。