「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」

釈尊は煩悩から離れた境地をこれだけ複数の豊かな表現をしていることに注目してください。
単にに心の安定、心の統一、この単一表現であれば、それって三昧、サマーディの境地に過ぎないでしょ?
なんて取る奴もいるでしょう。
しかし確かにサマーディの境地も安定であり統一ではあるが、単に それだけの表現ではないのです。
もっといくつも豊かな表現を添えて肉付けをしているのです。
その表現の全体を見てこちらはそれは解脱だと理解できるのです 。
汚れなく 柔らかで巧みで確立し不動、小さな煩悩も離れという複数表現をしているのです。
これで単なるサマーディの境地ではないとわかるわけです。
それはたまたま四禅を終えた後の所に表現されているのだが 、四禅そのものをやっている真っ最中の境地とも書かれていないのです。
それをやり終えた後の 心を表現しているのです 。
だから単なる三昧の境地でもないわけです 。
もちろん三昧は三昧で統一ではあるがそれだけではないプラスが表現されているのです。
そういうところを読み取れないで、単に安定とか統一とかそういう単一単語だけで理解しようというのが、
いかにも受験勉強から卒業してもっと上の段階の学習ができていないペテン大作さんらしいと言えます。