「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、
行動に適用し、不動なものとなると、かれ(修行者)は、(次のような)理解動作に対して心を傾け、(心を)むけます。」
森祖道訳(『原始仏典1 長部経典T』春秋社、96頁)

例え仏教の知識がなくても、普通の国語力のある人が、
「煩悩からの解放=解脱」という大前提でこの経典を読むなら、
「心に付随する小さな煩悩をも離れ = 解脱」
と解釈する。
次に、釈尊が強調のために、別な言葉で繰り返すことを知るなら、
「心が安定」=「清浄で純白」=「汚れなく」=「心に付随する小さな煩悩をも離れ」
=「柔軟」=「行動に適用」=「不動」
だと理解する。
この二つのことから出てくる結論は、
「心が安定」=「清浄で純白」=「汚れなく」=「心に付随する小さな煩悩をも離れ」
=「柔軟」=「行動に適用」=「不動」=解脱
です。

こういう読解がペテン大作さんは理解できないのでしょう?
念のためにいうが、これは仏教の解釈ではなく、国語の読解です。
十年間、説明してもあなたの頭では無理のようだから、あきらめなさい。