>>746続き

>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」 とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。

根拠2 「心が統一され、・・・」の文言は三学「定」であり、この段階では比丘は解脱していない。

深山ユビキタスは戒定慧には順序がないと主張しているが、これは真っ赤な嘘ですね。
それは大般涅槃経にある釈尊の言葉に明らかです。

「戒律とともに修養された精神統一は大きな果報をもたらし、大いなる功徳がある。
精神統一とともに修養された知慧は偉大な果報をもたらし、大いなる功徳がある。
知慧とともに修養された心は、諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、見解の汚れ、無明の汚れから完全に解脱する」

戒律(戒)→ 精神統一(定)→知慧(慧)
→解脱 の順に法が説かれています。
この様に、戒定慧には順序があるのです。
釈尊の言葉以上の証拠はありません。