★★「心の安定」にしがみついても無意味★★

>>543 深山
>ちょうど一年前の10月、私は心の安定が記述された経典を引用して
心の安定とは解脱のことだと、わざわざあなた方に示した。

「心の安定」という訳語は、たまたま某仏教学者達が原語をそのように訳しただけです。
他の学者はこれとは別の言葉に訳している。
たとえば、中村元氏の場合は

「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで、確立し不動となったときに」
(『ゴータマ・ブッダ 釈尊の生涯』春秋社)

というように「心の安定」ではなく「心が統一」です。
この訳語は深山がレス(阿150の332)で引用しているものと同じです。
「心の安定」という訳は「世界の名著1」の
長尾雅人氏や「原始仏典2」の片山一良氏です。
このように学者によって訳語が違うのです。
だから「心の安定」という訳語に執着して、
他の経典で解脱の意味で使われているからといって、三学経典でも解脱であるということにはならないのです。
そんなものは根拠にはならない。
あくまでも原語に忠実であるべきです。
原語が「入定した」という意味ならば、解脱の意味など無いのです。
このように深山は本当に人を騙すのが上手い。
天才的ですね。
私が以前から彼に目をつけているのはこういうところなのです。
読者の皆さん、騙されてはいけません