>>508 深山
>ペテン大作さんの記憶ではそうでしょうね。
>私は何度も何度もその質問には答え、反論している。

いいえ。
あなたは一度も答えていません。
何故そういう嘘をつくのか。
答えたというのならそれを示してください。
出来ませんよね。
無いから答えられないのです。
あなたは他の経典にある「心が安定」を取り上げて、これが解脱の意味だと主張しただけであって、質問については何も答えていない。
これは喩えて言うと、政治家が不祥事を起こしてその説明を求められた際に「今後は職務に誠心誠意努力して参ります」と言ってるのと同じです。
全然答えになっていない。
あなたの感性では、こうした答弁を良しと見做すらしい。

質問1では、あなたの解釈とは違って、比丘の解脱は四諦直後に出て来るのは何故かと訊いている。
つまり、
「このように知り、このように見るかれには、
欲望の煩悩からも心が解脱し、生存の煩悩からも心が解脱し、無知の煩悩からも心が解脱します」
という文言は一体何だと訊いているのです。
あなたはこれについて何も答えていない。

質問2では、あなたが解脱だと解釈する、
「このようにして心が安定し」の文言を、あなた同様に解脱だと解釈する仏教学者が一人もいないのは何故か、と訊いている。
何しろあなたは仏教学者の全員が自分と同じ解釈をするはずだと断言したのだ。
ところがそれが一人もいないことに、あなたは何も答えていない。