>>386
ご返答ありがとうございます

うみのなみさんのご意見はキリスト教の教義として納得できるものではあります
伝統的なキリスト教には地獄は厳然として存在しますし、それを宣べ伝えるのも
宣教の一環かと思います

私がこの問題で特に関心があるのは、現代の日本において救われる者と救われない者の選別を
強調する宣教姿勢は果たして有効か、ということです
より正確に言えば、選別を宣教の中心点に持ってきたり、隣人愛の実践より先行させたりする
宣教のあり方は果たして有効か、ということです

例えば仏教徒でなくてもお釈迦さんをその慈悲の精神から尊敬している人が多い日本で
お釈迦さんは裁かれている、キリスト教の神を信じないものは地獄に行く、と宣言することが
果たしてキリスト教への改宗に結びつくのか、ということです
(あくまでも宣教として、というこであって、クリスチャンになったあとクリスチャンの間で
こういった問題を議論するのは救いの基準に関する議論の一環としてありだと思います)

私にはこういった宣教のあり方は有効ではないように思えます
かつてガンジーは「キリストは好きだがクリスチャンは嫌いだ」と言ったといいます
これが実際にあった発言なのか、あるいは実際にあった発言としてその真意はなにか、については
いろいろと意見はあるでしょうが、この感覚は実は多くの日本人が共有しているように思えてなりません
それは、キリスト、およびキリストに倣い隣人愛を実践するクリスチャンにキリストの真実を直観することはあれ、
選別によってクリスチャンとノンクリを分け隔てることにキリストの真実を観るわけではないからだと思います