悟りの最終ステージ状態は、感情も無く、自分はいない、水の如く身を任せるだけ
しかし、この状態は現世に生きる理屈がない

現世に生きるなら、時々自我に引き戻されて当たり前
無になるのは最終段階
視点を空に置き因果を見るやり方が無我状態
見てるのは自分じゃない空が観察者になる観察の仕方
さらに、今だけを観察する
今に結びつかない過去と未来は観察しない
それにより雑念が消えていき右脳思考になる
正しいか?じゃない
因と果
矛盾だらけの中、正しさを求めたって結果は出ない

釈迦は書物に残さなかった
真理は言葉で表せないところにあると

言葉はコミュニケーションと記録のツール

悟った人の思考は言葉より、もっと広がりのあるイメージだ
言語処理優先で考えるのは、左脳思考
イメージ優先で考えるのは、右脳思考
左脳思考は、言葉や正しさにこだわる
右脳思考は、言葉以上に大きな情報量を持つイメージで因果を捉える

悟れば、経典が正しいとかじゃなく、釈迦の教えの本質が見える様になる

昔の文字の意味なんて、どうでもイイ
経典なんて、破り捨てた方がイイ

因みに悟りに段階がある表現をしたが、ロケーションと表現した方がイイかと
完全に無になる状態の直前が幸せ感が最高潮
どのロケーションがイイか?の理屈はない事を知る
心のベースに幸福感があれば、目的完了でもイイわけで

現実に生きるなら、完全無はあり得ないからな