>>606
自分が救われることを目指し、その救いが無いと知るも、既に救われていると実感して
「自分」というものが救いの妨げであったと気づくのが、本来の仏教なのぢゃ

そして未だその救いを実感できず、自分塗れで在りつつも「大勢の他人を救う」などと
大言壮語して、布施や労力を求め寺社仏閣や大仏や祠を建てさせ、葬式や、法事や
祓い事や、御籤売りなどの、宗教ビジネスで金を儲けとるのが、大乗似非仏教なのぢゃ

小乗という呼び名は、大乗似非仏教の者らが言っておる蔑みの呼び名であって
彼岸へ行ける者 = 悟れる者が少ないから小さい乗り物という意味で、そう言うておる

一方、大乗似非仏教は、伝統文化的な形式や儀礼ばかりで、実は殆んどの者が悟れず
大勢の衆生を救う、という名目だけの大義名分をもって、大乗仏教と名乗っておるのぢゃ

(-人-)