イソップの寓話「酸っぱい葡萄(狐と葡萄)」

お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。
食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。
何度跳んでも届くことは無く、狐は、怒りと悔しさからと負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して
去っていった。

爺惨心の叫び
「どうせこんな葡萄は(ペラだから)酸っぱくてまずいだろう。
(俺はメタなんだ)誰が食べてやるものか」


自分のものにしたくてたまらないにもかかわらず、努力しても到底かなわない対象である
場合、人はその対象を「価値の無いもの」「自分にふさわしくないもの」と見なそうとし、
それをあきらめの理由として納得し、心の平安を得ようとするものである。
フロイトの心理学では、これを防衛機制および合理化の例とする。
また、社会心理学においては、認知的不協和の例とされる。


引用部分出典 wikipedia