人間には食欲、睡眠欲、性欲の三大欲求を始めとし、様々の欲求が
あります。キリスト教ではそれらを必要ないものとして否定している
わけではないと思います。

諸欲求がコントロールされずに、逆に諸欲求に支配されてしまい
その結果、神様の御心(聖霊)を悲しませてしまう状況のことを
罪(肉の欲)と称して、避けるべきものであると教えているのだ
と思います。

諸欲求自体は生きる為に必要な、欲求なのですが、その実行に
時と場所と限度をわきまえないと、逆に人を死に向かわること
になる事が多々あります。

例えば、食欲は限度を超えては駄目ですし、睡眠欲は適正な時
に適正な時間とることは重要ですが、運転中の睡眠欲は避ける
べきものです。
(礼拝中の睡眠は祝福であるという人もたまにいます。^^;)
性欲は夫婦の秘められた時と場所と限度でなら祝福されると
思いますが、これを公の場所とかで、限度を超えて用いるなら
とんでもない事になることは容易に想像できます。

諸欲求は聖霊の働きによってコントロールされて、初めて祝福
されたもの(命につながるもの)となるのであるということです。
このことをキリスト教では肉に死んで、霊によって生かされる
と称しているのだと思います。

諸初欲求は必要なのですが、必要性に序列があって、第一に神様
を愛すること、次に自己を愛するように、隣人を愛すること、
聖霊の導きに従うこと、これらを遵守する上で、諸欲求を満足
させることが大事だと思います。(簡単ではないですが。。。)