皆さんの繁栄の捉え方教えていただきありがとうございます。

繁栄とはキリストに似たものにされ、その結果全てにおいて豊かにされること、そのとおりだと思います。
しかしまた、祝福と繁栄とを対比したときに、なにか違いがあるかもしれないとも思います。
キリストがサタンからもらうことを拒否したこの世の栄華も含めて意味について考えてみたいと思います。

以前に、地中の種と種の周りの土を、クリスチャンの置かれた環境に見立てて考えたことがありました。
種は土から成長に必要なすべてのものをもらうために、土と密接に関わる必要があります。
土と密接に関わらなかったなら、種は養分や適切な湿度・温度を失い、成長できず、死んでしまいます。

しかし逆に、種が土と密接に関わることで、細菌に侵されたり、捕食されたり、土と同化し死ぬ危険性が生じます。
種は一方で土と密接に関わり、もう一方では土との違いを保持し、そうして生き、成長します。
そこには種の土中での生き、そして成長する戦いがあると思います。

クリスチャンとこの世の繁栄との関係は、種と土との関係と似ていると思います。
しかしこの考え方が正しいのか、またその詳細についてもよくわかっていません。
そのへんについて、皆様の考え方をお聞かせいただけたら幸いです。