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イエスはわたしの救い主

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0001うみのなみ
垢版 |
2019/07/26(金) 01:57:50.83ID:59d8zczy
イエスによって救われるとは、どういうことなのか。
どうして、人は救われなければ、ならないのか。

救いによって、何が得られ、何を失うのか。
救われた人は、どうなるのか。

イエスの救いについて、聖書を通して、より良く知り
信仰を深められ、思いと生活ををきよめられて、共に
救いにあずかる者となるために、この場を活用させて
いただきたいと思います。

教派・信じる・信じないの違いを超えて、ご自由に
お書き込み下さい。

ただし個人名・団体名を出して、直接に誹謗中傷する
ことは避けて下さい。あくまでも一般論としての意見
の交換の場とするようにお願いします。
0266神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/16(月) 18:45:04.60ID:63WEjUUf
>>264

コズモスティオス氏は、

終末論を極端に信奉するウェスレー系でしょうね。
0267神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/16(月) 18:48:38.01ID:63WEjUUf
コズモスティオス氏の教会は、
「弟子訓練」が好きそう。
0268神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/16(月) 21:16:05.92ID:o85aAsq6
>>259
七味座さん、コズモスティオスさん、こんばんは。

話してもOKということで簡単に解説したいと思います。

まず今回説明するのは「1,3,5」のみです。
>>254にリンクがあるので内容は省略します。

トマス書の概要を一言で表すなら、「汝自身を知れ」という
他の宗教や哲学等が混じったような印象を受けると思います。

この「1,3」に書いてあることを解説すると
・すべての人が父の子である=イエスと同じである=自己と父は一つである
・神の国は自己の内、外にある
・自己を知ることが永遠の命である
といった一元的な内容になっています。

その上でネットで偶然見つけたエホ○の聖書から
ヨハネの福音書17:3の訳が優れていると思ったので引用したいと思います。

彼らが,唯一まことの神であるあなたと,
あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,
これが永遠の命を意味しています。

つまりトマス書の内容を前提とした場合
上記の聖句は、イエスが、父と一つであるといった意味
それが何を示しているのかを、自己に見出しなさいということになります。

そしてトマス書の5はこれを検証する内容になっています。

最後に遠回しになってしまいましたが、七味座さんへの解答として
自己と他者が一つであるという理解を得られるのであれば
肉の働きから離れ、御霊の実がこの肉体を通して働くのではないでしょうか。
0269atheist
垢版 |
2019/09/16(月) 22:15:32.00ID:Crs+hfEN
>>243
もちろんひとつの解釈の可能性として、ということです
天使、ひいては人間という存在が本当に無から原因もなく、悪であれ何であれ、
意味のある行為を創造できるのか、という問題は生じてしまうでしょう

それに人間の自由意志の権能を拡大することは、キリスト教の人間観、特にカルヴィニスティックな
人間観と調和するのか、という問題もでてきてしまうでしょう

元々、性急に結論を出せるような問題ではないですし
キリスト教的には常に神および神の摂理というものは、人智の及ばぬものなのだ、という「戒め」を
忘れないことも大切なのかもしれません
0270七味座
垢版 |
2019/09/16(月) 22:41:01.22ID:8PCrB++L
>>268
ふーむ、難しい内容ですので
ゆっくり読んで考えてみますね

教えていただきありがとうございます

>>265
〉進んでみて、知りたい

未知なるものへ、信仰を持って知っていきたいと思われるのは、なんだかいいなと思いました。
何か、気づきがあればまた教えてくださいね
0271コズモスティオス
垢版 |
2019/09/17(火) 04:10:37.75ID:4ZsRLijS
おはようございます。
ガラテヤ人への手紙1章~3章
0272コズモスティオス
垢版 |
2019/09/17(火) 05:10:01.93ID:4ZsRLijS
難しそうな問題は後から考えようと思い、
ご返事後回しにしておりました。
最初に謝っておきます。m(_ _)m

>>232:atheist
>私はアプリオリな善悪というものは存在しないと
>考える立場ですが

>>239:28xGZP7d
>神の摂理に固執し過ぎると、
>主との対話が失われる、

>>240:k8LHYAA0
>悪とは到達する善になりきれなかった小さな善で
>ある、一応の善の一元は保てるのかもしれないです
>ただし蛇はどこから流出したのかはモヤモヤします
>けど、そもそも悪が流出であるのか、初めを持たず
>単一的に光のように闇として生成なく場に単独支配
>していたのか
>マニ教やゾロアスター教、ネオプラトニズムなどの
>グノーシスの神話的二元論を持って説明したくなり
>ますが、果たしてそこをキリスト教信仰として踏み
>込んでいいのかどうかは大いに悩ましいところです
>最大の異端という自覚がある以上、キリスト者には
>罪になる可能性が潜んでいます

>>269 atheist
>天使、ひいては人間という存在が本当に無から
>原因もなく、悪であれ何であれ、意味のある
>行為を創造できるのか、という問題は生じて
>しまうでしょう

>それに人間の自由意志の権能を拡大することは、
>キリスト教の人間観、特にカルヴィニスティック
>な人間観と調和するのか、という問題もでてきて
>しまうでしょう

知の巨人さん達ですね。理解力と考察力には目を
みはらされます。後ほど返答させていただきたい
と思います。またのちほど。
0273神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/17(火) 23:31:48.86ID:Fm1VGBSg
こんばんは

>>272
性急に勝手に急いでいろいろ質問して、こっちこそなんかすいません
>>1にあるように、教派を超えて考えるスレがあってイイと思ってます

ウィリアムジェームスを読んだことはありますか
彼の考え方にぼくは共感しています
だから尺には尺をでいけたらいいですね

自由意志に関する論争はもう何年も前に議論が出尽くされているので、新たな論客が現れても、誰もが聞いたことのある陳腐な説を温め直すくらいしかできないというのが通説になっている。
しかしこれはひどい間違えだ。
私はこれほど古びていない議論を知らないし、意欲的な天才が新しい説生み出すチャンスに満ちたテーマもないと思っている。
それも結論を無理に出したり、同意を強制したりするのではなく、両派の間にある本当の問題は何なのか、運命と自由意志という概念が本当は何を意味しているのかについて、私たちの認識を深めるチャンスである。
0274atheist
垢版 |
2019/09/18(水) 01:49:30.34ID:XpqMF7FA
>>272
急ぐようなことではないので、都合のいいときにお考えを聞かせてください
0275コズモスティオス
垢版 |
2019/09/18(水) 06:40:13.13ID:nSyr+nAE
おはようございます。
ガラテヤ人への手紙4章~6章
0276神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/18(水) 09:01:11.25ID:fJnBhSmY
おはよう
こずピィ達専門的な議論しててすごい
0277いさな
垢版 |
2019/09/18(水) 19:12:30.61ID:9KWwbIMZ
>>262
コズモスティオスさん、こちらははじめてきました(^−^)よろしく
お願いいたします☆彡

賛同いたします。

霊的な読解力も必要としますから、
とても表現しにくい事を思い切って言われました事にも感心いたしました。👏
0278コズモスティオス
垢版 |
2019/09/19(木) 01:44:43.85ID:QrTVat5j
>>277
いさなさん、いらっしゃい。
賛同ありがとうございます。

ただこのことはあまりおおっぴらには言えない
ことなので、私の個人的な考えとしてはと、
最初にことわっておきました。^^;;

というのは、聖書の中で至る箇所で、イエスの
御名によって云々、という言葉がでてくるから
です。

イエスの御名が全き愛・自己犠牲の隣人愛の霊
そのものを指すことを知っている人は、その名
を使う事はなんの支障もないと思います。

でもキリスト教以外の宗教の人や、キリスト教
を知らない、無宗教の人でも、全き愛・自己犠
牲の隣人愛の霊を知っている人がいると思うの
です。

そういう人たちが、イエス・キリストの名前を
知らなくても、その本質である霊を知っていて
実行しているとしたら、復活の後火の池に投げ
こまれるはずはないと、思ったわけです。

つまり、私としては、イエス・キリストの御名
を、個人の名前に限定するのではなく、もっと
普遍的な霊的存在とみなしたかったということ
です。

読みの深い、いさなさんなら、賛同して下さる
と思います^^v
0279コズモスティオス
垢版 |
2019/09/19(木) 02:08:24.41ID:QrTVat5j
>>276
かわいい、呼称考えてくれてありがとうござ
います。^^v

難しそうなこと話してるように見えるかも知
れませんが、大事な部分は、子供でも考え付
くような単純で簡単な内容です。

真理とは複雑で難しいものではなく、単純で
簡単なものだと思います。

イエス様が真理を話されるときは、子供にも
わかるような、簡単で単純な例話を用いられ
ました。

簡単で単純な話の中に、私たちを悩ませる
パラドックスが潜んでいます。これをどう
解釈して、パラドックスを無くすかが論点
であり、まだ解決に至っていません。^^;;
0280神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 02:28:20.06ID:vrJ26TSh
こんばんは

言葉にあらわれるものよりも、言葉の内部に秘められているもののほうが桁外れに多いんでしょうね

神は天上(形而上)の種を地上(形而下)という庭にまかれたのかのもしれません、いわくロゴスという言葉です
種は地上の園で成長を望み、それは天に接触してようと試みるが、まるで感情のように外に出たがるけど、出た途端に外の色々な環境によって変化させられてしまう
だから、人間の思想は、心のうちにとどまっている間は深遠なものであるが、言葉にあらわれてしまうと、それは滑稽で不当なものになるしかないのかもしれません

主の名でさえも、祈るのいいけど伝えるのは難しいことなのかな、なんて思ったりもします


>>278
ところで、>>276さんの使われている、こずピィ、という呼び名がなぜかとても気になりました
基本的にコテハン➕さんで呼ばせてもらってますけど、ぼくも使わせて頂きますw
心よりのご承認をお願い致しますw
0281神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 05:21:34.18ID:InQTedpw
コズモスティオスさんの知りたいことの一つは
ここ一週間に投稿された書き込みから推測できるでしょう。

これは挫折に繋がるかも知れませんが
しかし真理への熱意があれば、神は必要な知識をなんらかの形でもたらすでしょう。
0282神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 05:57:33.03ID:7cnQT5TS
イエスの霊とか考えている人を見るとおかしいと思う。

本当は時代的な背景をしらないと、キリスト教の微妙な問題を理解できない。
イエスは生まれてからエジプトに逃れて大人になるまで過ごした。古代ローマ帝国の
町を恐らく歩いただろう。そして青年時代にはギリシアローマと続く文化の中で哲学者
とも議論しただろう。だからこそイエス像はギリシア哲学者のように白い布を身につけサンダル
姿として描かれる。そのイエスが当時ローマ帝国との関係で問題になっていたエルサレムに
現れることになる。歴史的な経緯を知るとその国際政治的な微妙な問題を理解せずにいられない。
あなたがたは、それらの事実を無視して、なぜ御霊というのか。
ギリシアローマの文化に浸っていたイエスはミトラ教の信者であった可能性が高い。だから
ユダヤ教徒が不審の目で見た。その結果としてイエスはローマ法の裁判にかけられることになる。
ユダヤ人はその後はローマ帝国とエルサレムの戦争を戦うことになり滅ぼされることになる。
結果としてこれらローマとの対立がマサダ要塞の戦争につながる。
この状況下においてイエスの存在は国際政治的に極めて微妙な立場にあったことが推測される。
この事実を無視してなぜあなた方は形而上学な御霊とか訳の判らない議論に終始しているのか。
0283七味
垢版 |
2019/09/19(木) 09:58:01.83ID:S+F+kYz1
>>268

>自己と他者が一つであるという理解を得られるのであれば
>肉の働きから離れ、御霊の実がこの肉体を通して働くのではないでしょうか。

こんにちは。改めて読んでみたのですが。
概念としては、理解できます。
ただ漠然とし過ぎているというか、

自己と他者が一つであるという理解を得る、のは分からないでもないですが、
それが確実に、肉の働きから離れられるのかというところに考えが及びません

自己と他者を一つと理解を深めても、やはり生きていく上では自己を優先せざるを得ないからです

名無しさんは、そのような体験を実際に体感されたのでしょうか?
0284神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 12:21:40.67ID:DI0mNxx4
>>282

人生の渇きという苦しみがない人は、そういうこと気にせんでいいと思う。
0285神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 12:55:15.99ID:DI0mNxx4
>>283

ヒンズー文化の影響の感じがしますね。
>自己と他者が一つであるという理解を得られるのであれば
>肉の働きから離れ、御霊の実がこの肉体を通して働くのではないでしょうか。
0286神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 13:29:29.34ID:1jCCf4dX
>>283
横レスだけど、

神秘主義的な体験として他者と一つになる、は良く語られますね
でも、それを体験する修道者はごく少数だと思います

キリストは万人への第一の戒めとして神と隣人への愛を説きました
私とあなたが一つである、もしくはそれに近付くと愛が生じるようです

愛は常に生じるわけではありません
個別事象を前になんらかのトリガーがあって生じます
そして愛は人を利他的にする

デフォルトは利己的でも、愛が生じている時だけは、人は普段と違い利他的になるようです
0287神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 13:31:10.16ID:DI0mNxx4
>>286

考察的ですね。
0288神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 13:45:09.81ID:1jCCf4dX
ビジネスの世界で大切なミーティングで無視される類いの人間がいる

それは生産的な議論に参画しない人

よりよい案を提示できないどころか批判や反論だけをして議論の発展を妨げるだけの評論家気取りの勘違い坊

そういう椰子はおれは凄いのになんであいつらはいうこと聞かないんだ?と悩む

その悩みを解消は、自分が何も意味のあることを発せられていない事実を受け入れるところから始まるのだろう

大爆笑である
0289神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 13:52:29.11ID:DI0mNxx4
>>288

生産的、という定義も場所によって多様であるけどね。
0290七味
垢版 |
2019/09/19(木) 15:15:45.19ID:S+F+kYz1
>>286
ふーむなるほど
教えてくれてありがとう

私は、基本見聞きしたものしか信じられないんだけどw、
他者と一つになる、は分からないけど、
お互いにとってメリットになる win-winはわかる

結局、特に身近な人に優しくしたら、それは自分にも返ってくるから…アレ、サティさんの言いたいこととは全然違うかもしれないけどw
0291七味
垢版 |
2019/09/19(木) 15:16:08.05ID:S+F+kYz1
隠居さんへ

以前とても身近に「自分は預言者だ」と本気で信じ込んでいる人がいたよ
その人は精神を患っていた。だから浮き沈みが激しかったし、身近にいる人ほど、その波に揉まれて苦しんだ。
私は若く知識がなく、宗教家庭に育っていたから、病気についても無知だった
私はある時、その人を嘘つきの天才だと思った。その人は、自分に嘘をつき理想の自分が本当の自分であると信じ込ませていたから。でも、現実と理想は乖離していて、そのストレスを抱えて苦しんでいた
周囲の人は徐々に本性に気づいて離れていった

もしもイエスキリストが聖書の記述通りなら、やはりその人とは全然違うよ
言動が一貫し過ぎている
病んでいたならば、恨み言を言わずに死ねたとは思えない

イエスキリストが嘘つきの天才であったとしても、数年間?寝食を共にした家族のような弟子達は騙せなかったと思う

また精神疾患でないとしても、新興宗教の教祖の家族にはその綻びが見える
幸福の科学の大川の息子が騙されなかったように
麻原の子供が騙されなかったように

強いて言うならユダは、裏切ったけどね
それでも11人+大勢がその後使徒として生きた

私は身近で精神を病んだ人を見た経験から、イエスが聖書の記述通りならば、どうしても同じだとは思えない。
もちろん、私は当時生きていないし、見聞きしてない。だから、事実は分からない。
でも、今の私の知識と体験から、記述のイエスが統合失調症という説は否定できる。
0292七味
垢版 |
2019/09/19(木) 15:16:40.58ID:S+F+kYz1
統合失調症の幻声と宗教の幻声の相違についての考察らしい↓
https://hokusho.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&;item_id=76&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

一部抜粋
両者の相違として指摘できる可能性がある
のは、先に述べた自己への侵襲性という仮に
定めた述語にあらわされる部分ではないだろ
うか。この点が両者を分ける違いと思う。
宗教における幻声は統合失調症における幻声のように、自己への侵襲的な声として聞こえ、脅かされ、さらには行動が取れなくなってくるようなものではない。




また私は5年くらい宗教を全否定していた時期があるから、隠居さんの言うことが全く分からないではない
たとえばイスラム教原理主義者による自爆テロ、というのは確かに一神教であることから起こりやすい問題だと思うよ

バングラデシュでのテロだったかな。彼ら信徒は、厳しい戒律に抑圧されており、ラマダン中に外国人が楽しく豪華な飲食をする
それらを見て、ストレスを溜める
そのストレス、妬み、怒りの矛先は神や宗教・指導者ではなく、自由気ままな外国人に向かう
我々の国を汚す異邦人を駆逐してやるというような逆恨みが、自爆テロには見られると思うんだよね

でも、多くは善良なイスラム教徒であることも忘れてはいけない

親だって愛のある人もいれば、支配的な人もいるように、宗教にも愛のある人もいれば、支配的な人もいる。
と、私は思ってる
愛があると思えば信者になるし、支配であると思えばアンチになる

あとは死んでみてからのお楽しみ。

もし私に神の声が聞こえたとしても、私は鵜呑みにはしないだろう
むしろ9割否定する
私は神秘体験には依存したくない
その怖さを知ってるから

それよりも、行動に愛があるのかを見る
0293七味
垢版 |
2019/09/19(木) 15:20:10.58ID:S+F+kYz1
さて、書いといてなんだけど、私は自分中心人間なので、数日5chお休みしますww

風邪引いたしw
レスは読むからまたよろしくお願いします。
0294いさな
垢版 |
2019/09/19(木) 15:38:26.89ID:P3G1z6bY
>>278
コズモスティオスさん、はい、理解できます。

イエスとその仲間たちは、ユダヤ教の大異端なのですからね。

救世主だと認めていない者達の中で、イエスがもたらしたものを、
使徒達が宣教して廻る時、対立軸としてのイエスを旗頭に掲げての、
強烈なアピールがないはずがありません。

当時の捨て身の宣教は、イエスキリストへの信仰が半端なく、
かれらこそ、自分の中に主がいると言えます。
多勢のなかで四面楚歌を突破していく、先鋭たる愛のつわもの達です。

皆、殉教しますが、パウロの手紙では、宣教の困難が伝わります。
凄まじいです。
己と仲間を励まし、祈り、行動力・・・・内村鑑三氏は、
パウロを日本で言うところの武士道精神で紹介しています。
愛と勇気と希望の行動力。聖霊とともにある言論の剣。
これぞ漢(おとこ)。

第一陣の使徒達は、十字架のイエスを神とともに掲げる
「イエスの御名」への集中なくては、不可能であったと考えます。
0295いさな
垢版 |
2019/09/19(木) 16:06:27.56ID:P3G1z6bY
>>294
第一陣の殉教は、大殉教のはじまりであり、

ヨハネの黙示録のヨハネは島に流されて、そこで書いたと言われています。
実際にあった7つの教会の信徒に向けてです。

教会がひるんでいる事への叱咤激励と、預言の霊的物語を用いて、
最後は新しいエルサレム(平安)と
キリストの再臨の使徒信徒たちに霊的希望を与えています。

>つまり、私としては、イエス・キリストの御名
>を、個人の名前に限定するのではなく、もっと
>普遍的な霊的存在とみなしたかったということ
>です。 (>>278

時代は2000年後の私達の世界です。
キリスト教は、過去の問題の解決に向けて、進んでいます。
コズモスティオスさん、必ずその認識の方向に行くと私は考えます。
0296シャロン ◆yWD2Ju7MvE
垢版 |
2019/09/19(木) 18:06:07.14ID:is4aE2VS
>>292
>もし私に神の声が聞こえたとしても、私は鵜呑みにはしないだろう
>むしろ9割否定する
>私は神秘体験には依存したくない
>その怖さを知ってるから

感心する程お大人ですね^^
0297神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 18:45:28.60ID:BXAn5Nql
>>290
おんなじ話だと思います

観察対象と一つになる行は色々ありますが、行に近づくとお師匠さんがいたほうが安全なので、近寄らないほうがよいと思います

それより、他人に優しくしたら自分にも返ってくる、みたいなリアルに実感できる体験に意識的に大切にするのがよいと思います

色んな大変な中で、それでも赤ちゃんを眺める慈愛の表情は、反射して自分に返ってくるものだと思います

その表情は太陽と同じで、子を温め、光は自分に反射し、自分も温めるものだと思います

5chを離れるみたいだけど、また戻ってきたらお話聞かせてください
0298いさな
垢版 |
2019/09/19(木) 19:37:17.70ID:P3G1z6bY
>>274
イエスの御名の背景は、先ほど述べましたが、
別の角度からの背景もあります。

>というのは、聖書の中で至る箇所で、イエスの
>御名によって云々、という言葉がでてくるから
>です。

神がわからなくなっている人の為の取次として
イエスは来られたからです。

>イエスの御名が全き愛・自己犠牲の隣人愛の霊
>そのものを指すことを知っている人は、その名
>を使う事はなんの支障もないと思います。

自分をカモフラージュするためでは、ないからですね。
しかし人は、同じ言葉を使います。

>でもキリスト教以外の宗教の人や、キリスト教
>を知らない、無宗教の人でも、全き愛・自己犠
> 牲の隣人愛の霊を知っている人がいると思うのです。

ええ、その人達は、取次が必要でないのです。
キリスト教の悔い改めは、神を忘れて罪を重ねている事に
気付くことです。
病人なのです。

イエスは、神とは?何を望んでおられるか?
を、地上にて体現されましたから、神とはを、私達の暮らしである地上で
ありありとその様子を実際に見せに来られました。
0299いさな
垢版 |
2019/09/19(木) 20:00:19.08ID:P3G1z6bY
>>298
>そういう人たちが、イエス・キリストの名前を
>知らなくても、その本質である霊を知っていて
>実行しているとしたら、復活の後火の池に投げ
>こまれるはずはないと、思ったわけです。

その通りです。

その人たちの方がむしろ、
病気でなく、健康であり、神はそうであってほしいから
イエスを地上に降ろされました。(善き様アリア人の譬えが
理解できるはずです)

>つまり、私としては、イエス・キリストの御名
>を、個人の名前に限定するのではなく、もっと
>普遍的な霊的存在とみなしたかったということ
>です。

はい、イエスの御名の意味は、イエスが神を体現していますから、
分からない者でも、私を信じることは、神を信じる事と
同じだよ、と大変親切なことを言っておられるのです。

イエスは祈りの言葉を、このようであるように言われましたね。
それは「主の祈り」です。それが根幹ですからね。
そして、他の願いなども、イエスを信じているものが、
神を利用するような内容を持つ事は出来ないはずなのです。
0300いさな
垢版 |
2019/09/19(木) 20:05:54.95ID:P3G1z6bY
様アリア人→善きサマリア人
0301神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 20:56:07.58ID:InQTedpw
>>283
七味さん、こんばんは。
>>293とのことですが、レスは残しておきます。

まず肉の働きから考えます。

私達がなぜそのように行動してしまうかというと、自己認識が関係しています。
私は肉体、心であるという認識は、この世の出来事に影響を受けることを意味します。
そのため個人が幸福、安全であるために好き嫌いを持ち、対象、出来事、人物を
自分の利益のためコントロールすることに繋がります。

一方でトマス3が意味する自己を理解することは
この世の出来事は自己に影響を与えないという認識をもたらします。
これは同書の112に記載があります。

次に理解についてもう少し掘り下げます。

宗教において理解とは、間接的、直接的なものがあります。
間接的とは、頭では理解しているが行動を伴わない状態
直接的とは、理解と行動が一体となった状態です。

自己と他者に違いがないこと理解しただけでは
肉の働きを終わらせることはできないのではというご質問に対しては
上記の肉の働きを終わらせる自己認識と一体性の理解両方が働くため
理解が直接的なものになっているならば、そのような心配はありません。

逆に言えば、ある欲望や恐れが自己に影響を与えるもの
つまり現実と見做されている場合は間接的理解に留まっているため
肉の働きが起こることもあるかも知れません。

で、たぶん何言っているか分からないと思うので
そこは遠慮なく質問してください。
0302神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 21:03:53.97ID:stcYtGO9
そもそも和訳すると本意とズレる
SoulとSpirit の訳を一緒にしてしまえば聖書に書いてある事の1/3くらいは訳分からなくなるよね

ところで駅とかに突っ立ってるものみの塔の奴らにガツンと聖書の教えを説いてやりたいが、やっぱり彼らの聖書の理解ってどこかズレてる?
イエス様が我々の罪を赦してくださったことを受け入れているのなら良いんだが…
0303神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 21:19:55.64ID:InQTedpw
最後に
>名無しさんは、そのような体験を実際に体感されたのでしょうか?
>>285>ヒンズー文化の影響の感じがしますね。

といったご意見がありますが
前述したようにトマス5あるいはそれに少し考察を加えることで
その信憑性を検証し、体験的な理解を生む方法があるので
ある程度の確信を持っています。

ただコズモスティオスさんのご協力で、異端とされる内容を書き込みはしましたが
あくまで教義に囚われず真理を検証する彼?の姿勢に賛同したからであり
皆さんの信仰どうこうするつもりはないので
より具体的な手法をこのスレに書き込むことは控えます。
0304神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 21:59:49.39ID:1QTOpnc1
安全な手法だったら無問題でしょうけど、安全な道は遠回りすぎて途中ですぐに諦めちゃうだろうしねw

どのみち必要であれば道に出会うのだから無問題
0305神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/20(金) 02:57:05.65ID:qB1GdXub
こんばんは

>>254
ざっとではありますが読ませてもらいました
いくつか気になったのですが、一つ思ったことがありました

トマス福音書では光の子として、自己の中に光がありその光を認識(グノーシス)することで神の子となる、と語られているように読めました
一方、ヨハネでは、光を守るものは神の子になる、と書いてあって、外側の光に入って(それを守ることで)行くことで神の子となる、としていたと思われます
神の子にどうなるのか、については内的か外的かという違いがあるように思いました

それと運動と休息とは何を意味するのでしょうか
ヘブル人福音書によれば休息とは支配であり、動かされないものが運動を与えると全異端反駁で説明されているけど、まず理解が難しくてよく掴めませんでしたw
どうしても形而上の実存に話が行きそうなので割愛します

「イエスは言われた。”人々があなたがたに[どこから来たのか]と尋ねるならば、こう言いなさい。[わたしたちは光から来た。光が自ら生ずる場所から。それは立って彼らの像において現れた]。
彼らがあなたがたに[あなたがたはだれか]と言うならば、[わたしたちは彼の子らである。わたしたちは生ける父の選ばれた者たちである]と言いなさい。
彼らがあなたがたに[あなたがたの中にあるあなたがたの父の徴は何か]と尋ねるならば、[それは運動と休息である]と彼らに言いなさい”。 トマス福音書 50」

それにしても、というより、他書が簡単というわけではないですが、トマス福音書は難しいですね
0307コズモスティオス
垢版 |
2019/09/20(金) 04:38:16.62ID:Duz+H87G
おはようございます。
エペソ人への手紙1章~3章
0308コズモスティオス
垢版 |
2019/09/20(金) 05:45:42.34ID:Duz+H87G
>>296
シャロンさん、訪問ありがとうございます。
こちらでの沢山の書き込み期待しています。^^v
0309コズモスティオス
垢版 |
2019/09/20(金) 05:47:59.10ID:Duz+H87G
>>306
千葉猫さん?訪問ありがとうございます。^^v
0310こじ ◆jDjYTwtZiI
垢版 |
2019/09/20(金) 06:22:36.04ID:2AedU3gx
仏教とは、読んで字のごとく仏の教え

仏とは、悟りを開いた覚者のこと

悟りとは「この世には生命がただの一つも存在せず、すべてが環境だと知ること」

これにより、大凡すべてのアホな妄想から離れることができるのぢゃ
八正道や無財の七施なども、アホな妄想に過ぎず、それに囚われる馬鹿は悟れない
多くの衆生を乗せて救い導く、という大乗仏教は、その名前自体がすでに妄想に過ぎん

「この世には生命がただの一つも存在せず、すべてが環境だと知ること」

この言葉が、どれだけ多くの妄想を一瞬のうちに消滅せしめるか。効果は絶大である
この言葉が、あらゆる必要性という心の迷いを、一瞬のうちに消滅せしめるのぢゃ
この言葉が、希望や理想や善意や良識や向上や前進など、表面的な美徳をすべて払う
この言葉に、異を唱えるあらゆる人物と思想は、執着以外の何ものでもなく邪悪である
この言葉により、あらゆる学びの時は瞬時に終焉を迎え、金輪際、何も学ばずとも良い

「この世に生命がただの一つも存在せず、すべてが環境だと知ること」

この言葉により、完全なる自由と解放と安静が得られ、無秩序に対する恐れが消え去る
この言葉を否定する者は、何かしらの秩序を求め、苦難を抱えつつ、苦難を撒き散らす

この言葉により、すべての妄念が瞬滅する
この言葉により、求道者の歩みも完了する

(-人-)
0311コズモスティオス
垢版 |
2019/09/20(金) 17:48:17.88ID:Duz+H87G
すみません。イエス・キリストの御名を普遍化
しようとしたのですが、出来ないことが判明し
ました。よって御名を普遍化したいとの発言は
撤回させていただきます。m(_ _)m

イエス様の御名を普遍化しようとするとどうも
心に平安が無いのです。普遍化すると、イエス
様のキャラクターが失われ、律法のような死ん
だ硬い存在に祈っているように感じました。

なぜだか考えてみると、イエス様の御名を普遍化
するという行為は、イエス様が地上に遣わされた
御心に逆行する行為だからだと気づかされました。

神様は当初律法によって人を裁く神として人から
恐れられ、崇められてきました。

そこにイエス様が地上に遣わされ、神様に対して、
生き生きとした人格神としてのキャラクターを与
えて下さったのだ、と気づかされました。

そのイエス様の霊を普遍化してしまうと、イエス
様のキャラクターを失い律法の時代に逆戻りして
しまう為、平安を失ったのだとわかりました。

このことから、イエス様の霊を普遍化することは、
律法の時代に逆戻りし、イエス様が地上に遣わさ
れた御心を無駄にする行為だとわかりました。

そして、クリスチャンがイエス様の御名によって
祈るのは次の事実に支えられているということが
わかりました。

イエス様は十字架に架けられて死なれた後に復活
して天にあげられ、神様の右に座し、今も生きて
愛する私たちの為にとりなしをしていて下さると
いうことです。

イエス様の個性が今も生きて、私たちの為にとり
なしをして下さるからこそ、その御名に力がある
わけです。

イエス様の霊を普遍化し、その個性を失わせる事
は、律法の時代に逆行する行為だとわかりました。

他宗教、無宗教の人に対する、神様の救済方法は、
たぶん復活後にイエス様のキャラクター・愛と
出会う機会を神様は持ってくださると思います。

間違ったことを書き込み、振り回された方いたら
すみませんでした。以降気をつけます。m(_ _)m
0312神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/20(金) 17:52:41.54ID:4IiSA9/C
ホモですくんは既婚者?
0314神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/20(金) 18:28:51.06ID:oML1guH8
コスモギャオスは自分の間違いを告白できる点で、サティとは違うな。
0315いさな
垢版 |
2019/09/20(金) 18:44:57.54ID:Z6KkOere
>>311
うん? 話が変りましたか?

私は、コズモさんの話の肝要な点は、
隣人愛がある人は、他宗教でも無宗教でも善きサマリア人の譬えのように
神がその人の内に生きている(イエス様を知らなくてもイエス様の教えをしている)
ので、地獄に行くようなことがないし、
イエス、イエスと言っておれば良いと言うようなのは、
律法主義であり、普遍性がない、
ではなかったの?
0317いさな
垢版 |
2019/09/20(金) 18:57:21.73ID:Z6KkOere
また、善きサマリア人は、死後でなく、すでに救われおり
イエス様も言われたように、
こういう者が、永遠の命を受け継ぐのだと。
0318いさな
垢版 |
2019/09/20(金) 19:07:18.65ID:Z6KkOere
>>316
スピ?よくわかりませんが、
それならイエスキリストがスピなのです。
0320神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/20(金) 22:16:11.80ID:kxVHXFzn
腐れ神がくたばれや
0321コズモスティオス
垢版 |
2019/09/20(金) 23:39:55.80ID:Duz+H87G
>>315
いさなさん、間違った書き込みで混乱させてしまい
すみませんでした。自分の考えに一貫性がないこと
が改めて浮き彫りなり、元のコテハン状態から進歩
してないことが、判明してしまいました。

こういうものですから、ここで偉そうに書き込んだ
内容であっても、間違いの可能性ありますので、
疑ってかかってくだされば幸いです。

善きサマリア人のたとえは、永遠の命を受ける為
には何をすればよいですか?との質問に対し、神
と隣人とを愛すればそれが受けられますとイエス
様が応えました。

その説明中の隣人とはなんですか?の質問の答え
が善きサマリア人のたとえ話ですので、話の本質
は、神様と隣人を愛するならば、のほうでした。

人間は弱いので、イエス様の人間的個性をもった
霊のとりなし無しでは、神様と隣人を愛せないと
いうことだと思います。

ただし、イエス様のとりなし無しの、旧約時代
であっても、神様と隣人を愛した人はいたわけで
あって、そういう強い?人もいたと思います。

そうであれば、いさなさんの主張も正当だと思い
ます。

私が間違っていたのは、イエス様の霊を普遍化
しようとしたところです。

イエス様の霊の普遍化はできないことと、旧約
時代のイエス様の救いの始まる以前に、神様と
人とを愛することができた人が居たことは、別
問題だと思います。

弱い私たちには、イエス様の人格個性をもつ生
きたとりなしが必要ですが、もしかすると現代
においても、旧約時代の預言者のように、とり
なし無しでも、愛を実行出来る人がいるかも知
れません。
0323いさな
垢版 |
2019/09/20(金) 23:59:31.79ID:Z6KkOere
>>321
善きサマリア人は、イエスご存命の旧約時代ですからね。
ユダヤ人から蔑視、差別されていた人達です。

律法はかえって人々の心から沸き起こる愛を死なせ、
律法の文言を守るという規則での目線で自他を見る性質になる
ということです。

私は、クリスチャンは新律法主義の方がまだまだ多いと
思います。
0324いさな
垢版 |
2019/09/21(土) 00:19:00.89ID:0OHgFFP5
律法は守れない自分を浮き彫りにしますから、
それをみないようにして、抑圧で潜在的に歪みます。

解放されたら弱い自分が残っていたということですが、
自分の力ではできないとわかったところで、
イエスの助けによって、できる。

そうでしょうか、ほんとうにできますか?
出来ない者というか、しないものはヤル気がないのでしないのです。

弱い自分はできないし、イエス様の愛でゆるしてもらいました。
そしてお得感の怠惰な眠りにつくのでした。

そればかりか、あいつはイエスの愛をしらない、
ゆるしを知らない、と新律法主義の目線で見ます。
0325いさな
垢版 |
2019/09/21(土) 00:33:25.44ID:0OHgFFP5
神の愛の働きが起きないほどに、律法で抑圧され歪み
目線がおかしくなった人は、治療が必要です。
病人はイエス様の愛で治していただきます。

イエス様は言われました、もう罪を犯さないように、
前よりももっとひどくなる。
行ってあなたもそのようにしなさい。

前よりひどくなったのが、新律法主義だと思います。

〜しなければならないから解放されたなら、
生き方が変わるのでは自ずとありませんか。
0326いさな
垢版 |
2019/09/21(土) 00:54:52.46ID:0OHgFFP5
イエス様の愛で救われました。
〜しなければならないのではない、
自分の力ではできない、恵みと恩寵です。
とそこばかり言っているだけ。
さらに、あなたは神の愛とゆるしが分かっていない、
そこばかりいっているだけ。

自分不在で神も仏もないのです。
委ねても生きるのは自分です。
私はいない、私の中の真実が生きている。

いえいえ、真理が生きていても、
それを生きるのは自分であり、
そればかり言うのは、真理は生きていない、死んでいる
と私は思います。
人を見る目線は、えらそうなだけ。
0327コズモスティオス
垢版 |
2019/09/21(土) 01:02:11.76ID:NDCUw27J
キリスト信仰は現実逃避や怠惰の隠れ蓑の為
ではありませんし、人を裁く為のの道具でも
ありません。

キリスト信仰は、この世での神様と隣人への
愛を実行しようとする人にとって必要不可欠
なものだと思います。

なぜなら、それを自分の力で行おうとすれば
そのストレスを自分自身が受けなければなり
ませんが、キリスト信仰にたつならばイエス
様が変わりに受け取ってくださるからです。

イエス様の御名によって祈り実行するという
ことは、そういうことだと思います。
0328いさな
垢版 |
2019/09/21(土) 01:14:03.33ID:0OHgFFP5
>>327
イエス様の愛は、私の君の各人の実行の中にて働きますね。
0329スピリチュアル系グノーシス派
垢版 |
2019/09/21(土) 01:35:36.76ID:l6kQ7a0E
>>327
>>キリスト信仰は、この世での神様と隣人への
>>愛を実行しようとする人にとって必要不可欠
>>なものだと思います。


俺はそうは思わねぇな。
べつにキリスト信仰してなくても慈悲深い(愛のある)人は居るじゃねぇーか。
0330コズモスティオス
垢版 |
2019/09/21(土) 02:04:14.58ID:NDCUw27J
確かに、慈悲深い人はいます。親子の愛情
などは、よく見聞きします。

しかし、敵をも愛しなさいレベルでの隣人
愛を見聞きすることはめったにないです。

そのへんまで追い込まれた場合のストレス
にさらされたら、人間は耐えられないで
しょう。
0331神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 02:09:25.44ID:uTW/VU+2
こんばんは

宗教を超えて、ということも可なスレなので文字通り超えようと思います
単純ににしてこう考えることも可能です

神を愛すること、隣人を愛すること
正確には
第一として神を愛すること、そして隣人を愛すること
になるとするならば、まず神を愛すること、によって隣人を愛すること(が可能になる)、となりませんか

では、神を愛するから隣人を愛する、とはどういうことなのか
愛する神に人間が創られたから、愛する神がそれを望むから、などの理由によって隣人を愛するキリスト者と、宗教にはまったく無関心な人の博愛主義的行動とでは本質は同じでないように思えます

信に依らずしてなすことは良きことであっても、区別するということです
つまり行為に潜む動機が違うからです

>>311にあるとおり、こずピィは柔軟性を持っている人なので思考を反転されましたが、普遍化しない以上は、神を愛することで始まるような隣人愛も博愛も行為でさえも普遍化しないこと、にはならないのではないか、何て思いました
0332スピリチュアル系グノーシス派
垢版 |
2019/09/21(土) 02:20:29.96ID:l6kQ7a0E
>>330
>>しかし、敵をも愛しなさいレベルでの隣人
>>愛を見聞きすることはめったにないです。


太平洋戦争でのキリスト教国の我が日本国への殺戮を知らないの?
東京大空襲や川崎大空襲、広島長崎への原爆投下。

当時の敵国はキリスト教国だよね。
日本人大量殺戮を実行した連中は政府や軍以前にクリスチャンでしょう。
「>>敵をも愛しなさいレベル」とは真逆なことを事実として実行されたの、忘れたの?
0333神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 02:23:24.31ID:uTW/VU+2
>>311 続き

他宗教の多くが徳=善と考えるようです
一方でキリスト教はそうではないように思われます
信仰が善であり、不信仰が罪になるようにも思われます

だからまず、神を愛すること
これなくして、はいかなる行為も神を思考の根に置かないならば、排他的なニュアンスを込めざるを得ないのではないだろうか、と質的に考えることも可能です
0334神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 02:32:10.30ID:XKNCS7CL
271 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/06(火) 23:50:06.06 ID:KzfM4A2H
アウグスティヌスの愛についてのモデルは全てを統合しててすっきりまとまっている
中でもアガペーとエロースを統合してるところがユニークだとおもわれれる

彼は愛を

・神への愛
・自己への愛
・隣人への愛
・身体への愛

の4つの種類にわける
そしてそれらを

・享受すべきもの
・使用すべきもの

の2つの篩にかける

そして「享受すべきもの」は神への愛だけであると結論づける
それ以外は神からの愛の「使用すべきもの」になる

神←自己の「享受すべき愛」はエロース
そして
神→自己→隣人の「使用すべき愛」はアガペー

そして
自己→自己、もしくは自己→隣人、自己→身体の場合は「享受すべき愛」であってはいけない、と語る
なぜなら自己のための利己的な愛、執着になるから

こういった形で愛を秩序づけている
個人的には「自己」の取り扱いがちと微妙なところがあるから完全ではない、とは感じるが、モデルとして、共通言語としては便利ではある、と思う
0335神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 02:32:33.96ID:uTW/VU+2
>>331に訂正です、すみません ↑
0336神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 02:35:18.14ID:XKNCS7CL
キリストが普遍的か否か

教会はキリストの贖罪は全ての人類を対象にしたと語るから普遍的だろうと思う
また、父なる神も諸宗教の中にすら見いだせると語るのだから普遍的だろうと思う

キリスト教としては神は「一」

普遍的でないわけがない
0337神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 02:42:39.80ID:XKNCS7CL
キリスト教を知らない人が一を愛すことが出来るか?

顕在意識のキリスト教が切り取った三位一体の神は知らないことから愛すことは出来ないだろうが、漠然とした一は愛すことは出来るだろう

心地の良い正午の太陽に照らされ、世界に愛を覚える時、それは漠然と一を愛することと変わらないと私は思う

なぜなら、世界は神の創造であり、神は世界に偏在するから
0338神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 02:46:00.73ID:XKNCS7CL
神が普遍的ではない事態は一体どういう時に起こり得るか

世界が分割されており、その分割された世界の一定の領域にしか神が存在できない状態なのだろう

つまり、神が一ではない状態でのみ、神は普遍的ではない
0339コズモスティオス
垢版 |
2019/09/21(土) 02:51:07.22ID:NDCUw27J
こんばんは〜。

私が普遍化できないと言ったのは、イエス様の霊の
ことであって、神様への愛や隣人愛や博愛のことを
指してはいません。

神様愛や隣人愛や博愛は普遍化された概念だと思い
ます。

イエス様の霊は彼が地上に遣わされた時に人間の
個性として私たちに示されました。その個性を持
ったまま天にあげられ、神様の右に座し、今も生
きて働き、私たちをとりなしてくださいます。

人間的な個性を持つ霊だからこそ、人間と神様
の仲保者となりえるのであって、律法のような
非人間的規則では、仲保者となりえないという
ことです。

イエス・キリストの霊は人間の個性を持つ霊で
あって、神様愛や隣人愛や博愛にあふれては
いますが、完全にイコールというわけでない
ということです。
0340神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 02:52:21.52ID:XKNCS7CL
さらに、キリスト教の三位一体の神を知らない人は敵を愛せないのか?

そんなことはない

洗練された諸宗教では一般的に敵とされるものは敵ではなく、敵は自分の観念が作り出しているものでしかないと教え、それは慈悲の対象であることも教える

敵を愛することは確かに難しいが、それを可能にするのは人格がどれだけ完成されているか、でしかなく

むしろ大道のキリスト教より少数の覚者を作ることに特化した神秘主義やそれに連なる諸宗教のほうが、その方法論に詳しい
0341神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 02:56:16.04ID:XKNCS7CL
>>339
その意味だと理解できます

確かに、律法は理ですが、人格神は仲保者です

理と仲保者は同じ方向を向いてますが働き方が違います

その上で、私はキリストは「人類の仲保者として普遍である」と表現します

でも理とそれは確かに違います
0342神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 02:59:11.22ID:uTW/VU+2
愛せないかどうかではなく、神から見てよしとされるのかが分からないということです
単純に神を愛していないものは、ということです
0343スピリチュアル系グノーシス派
垢版 |
2019/09/21(土) 03:03:00.90ID:l6kQ7a0E
>>339
つまりイエス様を「信仰「」しているのですね。

わかりました。
その信仰に忠実に生きられるよう願っています。
0344神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:03:34.11ID:XKNCS7CL
神を信じる人は神から見てよしとされるかわかるのだろうか

もし分かると答える人間がいるなら、魔境の匂いがしてくる
信仰者に出来ることは戒めに従順であるのみ、しかできないのではないか

一方で、神を信じている人、知らない人、信じていない人、全ての人間は御霊の実が働くと喜びが内側から生じ、幸福を覚える

そして、その幸福と肉の欲が生む「充足と渇望の幸福」と比較し、よいと感じる

神から見てよしとされるか分からないが、その心の喜び方を愛する
0345神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:10:15.76ID:uTW/VU+2
神を愛するいという戒めは最上級ではないですか
これがないならばキリスト者はすべて虚妄になるのではないでしょうか
0346コズモスティオス
垢版 |
2019/09/21(土) 03:13:19.66ID:NDCUw27J
>>334
御霊の実の内側からの働きである喜び幸福こそ
が、神様からよしとされた証しだと思います。
0347神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:15:31.80ID:XKNCS7CL
神を愛せは第1の戒めですが、神から見てよしとされていることが分かるらは神を愛すことと無関係だと思います

その上で、一を愛するとは、必ずしもクリスチャンにとっての一である必要はないと思ってます

一には色んな形があり、だから色んな愛の受け皿足りうるものだと思ってます

だから、クリスチャンじゃなくても「良心に叶って生きれば救われ得る」と語られているし

キリスト教ではない諸宗教にも一を垣間見ると教会は語っているのだと理解しています
0348コズモスティオス
垢版 |
2019/09/21(土) 03:18:55.11ID:NDCUw27J
>>340
イエス様を知らなかった旧約時代の預言者でも
神様と隣人への愛を知り実行できたわけです。

現代の人間でもそういう人がいるかもしれない
と考えています。
0349神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:20:22.98ID:XKNCS7CL
>>346
僕はその回路に魔境の匂いを感じます

肉の欲と御霊の実の「快」の差異のセンサーの精度が100%じゃない限り、肉の欲の快を御霊の実の快と誤認し得る
それを神様からよしとされた、と結びつけると肉の欲が無条件に是認され得る危険性があります

繁栄の神学は健康と富のための信仰を聖書の前後のコンテキストを無視して抜き出された数カ所で是認します
欲が聖書で保証されます
信仰と欲が結びつきます
自浄の作用がなくなります

こういう結果になり得る、と考えています
だからよくないと思ってます

そもそも、神の御心なんて人には分かりかねます
神がよしとされた、なんて人が決めれることではないです
0350神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:23:05.71ID:uTW/VU+2
どうしてキリスト者を超える必要があるのか、とぼくは思ってしまいます
戒律という時点で枠組みはあって、その枠組みは神を信じるものだと思います
0351コズモスティオス
垢版 |
2019/09/21(土) 03:26:17.58ID:NDCUw27J
>>349
そのへんは、聖霊の導きを感じていれば大丈夫だと
思います。

聖書に、聖霊に導かれるものは肉の欲を決して満たす
ことはないと、保証されているからです。

私が、御霊の実の内側からの働きである喜び幸福との
表現が悪かったかも知れません。聖霊が心に宿って
いることの実感ともうしましょうか、そんな感じです。
0352神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:26:59.89ID:XKNCS7CL
>>348
僕は当たり前にいるに決まってる、と思うタイプみたいです

>>350
クリスチャンじゃない人もいるからじゃないですか?
でもその人々にも主は働かれているからじゃないですか?

神を信じる、愛するってなんなんだ、という話をおそらく僕はしてるのだと思います
0353神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:28:48.58ID:XKNCS7CL
>>351
いいえ、私はそれを信じません

なぜなら、御霊の人が罪をおかしそれをなげく聖人を聖書は随所で語ってるからです

御霊の人が歴史の中で、考えられないような罪をおかし続けてきてるからです

それらの原動力が高慢、おごり、つまり肉の欲の類だからです
0354神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:29:55.74ID:uTW/VU+2
>>348
旧約聖書も隣人愛は書かれています
神を愛いすることが書かれていなかったとしても、神を愛しなさいの聖句ばかりの文脈です
0355コズモスティオス
垢版 |
2019/09/21(土) 03:34:02.87ID:NDCUw27J
>>353
そうですか、そのへんは私の歴史事実認識不足のせい
かもしれませんが、今の所の私自身での認識はそうです。

この部分は、個々人によって捉え方が違ってもよいの
かもしれません。
0356神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:34:35.71ID:XKNCS7CL
私だけは大丈夫、正しい
これは聖霊の働きだから大丈夫、正しい

この理性が麻痺する可能性のある回路は全て排除すべきです

人間には神がよしとした、なんて決める権能は持ち合わせてないです

それぐらいがちょうどいいと思ってます
0357神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:36:08.93ID:XKNCS7CL
神への愛が本当にあれば、神の御心(よしとした)なんて恐れ多くて言えない、が第1の戒め的に正しい

この話は捉え方ではないです
0358神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:43:41.04ID:XKNCS7CL
762 名前:神も仏も名無しさん :2019/08/24(土) 02:57:55.58 ID:X/wtQNyW
第2バチカンでわざわざカトリックが信徒に排他的になるなよおまいら、と指摘しても末端まで行き渡るのには時間がかかる

fsfaortc ◆ZHo/7A.PpenEみたいな人が生まれるのは信徒に責任がある

2000年の教会の包括的懺悔は何のためにあったのか、それについて内省したいものす

 1.歴史上、あなたがた神の子(ユダヤ人)を苦しめた行為を深く悲しみ、許しを求め、真の兄弟愛を誓う。

 2.(十字軍遠征、異端審問などでは)異端に対する敵意を持ち、暴力を用いた。これらカトリック教会の名誉を汚した行いについて謹んで許しを求める。

 3.(アフリカ、米大陸などへの布教では)人種、民族的な差別に基づいた排他的な行いがあり、罪深いふるまいがあった。異人種の権利を迫害し、彼らの伝統的宗教や文化に対する侮辱的な態度を取った。
(毎日新聞三月十三日より)

763 名前:神も仏も名無しさん :2019/08/24(土) 03:05:32.99 ID:X/wtQNyW
私たちは、私たちの先人が犯した誤りと過ちの重荷を担います

キリスト者の間で、ある人たちが真理への奉仕に暴力を行使し、またある人たちが他の宗教を信じる人々に対して不信や敵意に満ちた態度を取ったために起きた分裂の宥しを願います

歴史上、あなたがた神の子を苦しめた行為を深く悲しみ、許しを求め、真の兄弟愛を誓います
0359国家警察秘密工作員
垢版 |
2019/09/21(土) 03:44:20.28ID:mSLC4RCU
神の言葉には特徴がある。
それを知る者は神を知る。
されど殆どが幻影だ。
0360コズモスティオス
垢版 |
2019/09/21(土) 03:46:30.57ID:NDCUw27J
>>357
確かに、神様を畏れ敬う姿勢が、現代プロテスタント
教会に欠けている部分と言えるかも知れません。

ただ、恐れるあまり、神様から遠ざかることはない
ようにしたいです。そこでイエス様の仲保者として
の働きがあると思います。

神様の私たちの思いは、神様と隣人への愛に於いて
の成長だと思います。ですから、御心を行ったから
といって、そこで前進を止めることは御心ではない
ということだと思います。
0361神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:47:41.46ID:XKNCS7CL
教会は人類を神の子と語ります
子は親を愛します
幼子は信仰あるクリスチャンより神を愛しているかもしれません
でも幼子は意識的にキリスト教の三位一体の神という境界線や輪郭をもって概念の神を信じているわけではありません
人間は幼子のようであれば神を愛するものだと思ってます
0362神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:49:23.89ID:uTW/VU+2
今日は寝落ちしそうなのでおやすみします
おやすみなさい💤
0363神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 03:50:26.94ID:XKNCS7CL
>>360
恐れではないです
圧倒的な聖なる存在を前にした時の畏敬です
畏敬は恐れではありません
聖なる恥じらいです

>>392
おやすみなさいませ!
0364国家警察秘密工作員
垢版 |
2019/09/21(土) 03:51:12.70ID:mSLC4RCU
現実に愛すべき存在が現れたら
虐待するキリスト者。
氏ね
0365神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 04:15:13.73ID:XKNCS7CL
こんな思考実験をしたらいいと思う

とある地玉という惑星があると仮定する
その民は原初に罪をおかし、それは遺伝を通じて全ての民に広がった
その罪の重力は手強く、民は悪に染まり滅ぶ運命にあった
それをみかねてキリスチョなる神が受肉し贖罪を果たし復活した
やがてその事実は民の心から心へ、聖米を通じて広がり全ての民の知るところとなった
その惑星の民はみな神を愛している

とある日、その惑星で疫病が発生した
記憶を司る脳の器官が損傷し、民は神を忘れた

さて、ここで問題です

民の「記憶から神は消え去りました」
その時、キリスチョの受肉〜復活の御技も消え去ることになるのでしょうか
心から心へダイナミックに広がって行く聖米の働きも消え去るのでしょうか
乳なる神の理も消え去るのでしょうか

つまり、神とは「人間の認識でしかない」のでしょうか

また、その時に「民は認識がなくなったから滅ぶ運命にある」のでしょうか

それとも「神の働きは認識と関係なく働く」から滅ぶ運命から免れたママなのでしょうか

つまり「認識がなくなったから神を愛さない」は神の御技として可能なのでしょうか
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