>>240
キリスト教的には悪を実体的なものではなく「神からの乖離」という、「実体的な善の欠如」として
陰画的に定義するのが一般的だと思いますが、それでもクリスチャンの発言にしばしば見られるように
サタンという悪を実体化した捉え方も同時に行われているように思います

もし「悪も神の創造」と「悪は神の創造ではない」という矛盾したふたつの命題を
両立させる解釈がありうるとするなら、おそらくそれは自由意志の解釈によるものだと思います

基本線としては「神によらない創造はない」という大前提を置き
神による自由意志をもった存在の創造→自由意志をもった存在がまったく無から悪を創造→
神は自由意志から悪が創造されることを知悉して自由意志をもった存在を創造した
→よって究極的には「神によらない創造はない」が派生的に「悪は神以外の存在によって創造された」

こんな解釈経路になるんでしょうか
この場合の自由意志は無から行為を自発的に選択できる(創造できる)、そういった権能として
解釈されることになるのでしょう