ちょっとだけ失礼して、「悪の由来」に関して意見を言わせていただきます

私はアプリオリな善悪というものは存在しないと考える立場ですが
ここではキリスト教の思考系に従って、アプリオリな善悪というものがあると仮定します

悪そのものの由来は別にして、悪を所与とした場合のキリスト教の世界観の説明に関しては
コズモスティオスさんの説明はこれ以上ないほどに上手く
神の絶対的主権と人間の自由意志の両立を説明されていると思います

ですが、悪そのものの由来に関しては、質問者さんが言う通り
悪は神に由来するものではない、というのが伝統的なキリスト教の解釈ではないかと思います

悪はキリスト教では「神からの乖離」というように、善に対する陰画として定義されますが
では悪(神からの乖離)そのものはどこに由来するのか?
これは非常に難しい問題だと思います
一応、アダムとイブが神から離れた時点(知恵の実を食べた時点)で悪が人間に入ってきた、とされますが
ではなぜアダムとイブは神から離れたのか?
これに対してはサタン(蛇)の誘惑、つまりサタン由来とされますが
ではさらになぜサタンに悪(神からの乖離)が生じたのか、という疑問が生じます
ここまで来ると、聖書は何も語っていないように見えます

もしそうだとすると、ここからは聖書に基づきながらも、聖書外の推論を進めざるを得なくなります
ヘブライ語聖書に現れるサタンと新約聖書に現れるサタンではその性質に変容があると言われますが
ここではキリスト教的に解釈されたサタンに基づいて、サタンになぜ悪が生じたのかを考えてみます