X



トップページ心と宗教
1002コメント700KB

イエスはわたしの救い主

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001うみのなみ
垢版 |
2019/07/26(金) 01:57:50.83ID:59d8zczy
イエスによって救われるとは、どういうことなのか。
どうして、人は救われなければ、ならないのか。

救いによって、何が得られ、何を失うのか。
救われた人は、どうなるのか。

イエスの救いについて、聖書を通して、より良く知り
信仰を深められ、思いと生活ををきよめられて、共に
救いにあずかる者となるために、この場を活用させて
いただきたいと思います。

教派・信じる・信じないの違いを超えて、ご自由に
お書き込み下さい。

ただし個人名・団体名を出して、直接に誹謗中傷する
ことは避けて下さい。あくまでも一般論としての意見
の交換の場とするようにお願いします。
0180コズモスティオス
垢版 |
2019/09/07(土) 04:33:52.35ID:wGNe3730
>>179
コテ名訂正^^;;
0181コズモスティオス
垢版 |
2019/09/07(土) 08:46:17.84ID:wGNe3730
コズモスティオスとは神様の世界との意味を込めた
コテハンです。

この世界は、神様が、私たちのために与えてくださ
った世界なのだから、神様の万全の援護のものとに
恐れることなく、進み行こうと願いつけました。

イエス様を仰ぎ見、後ろを振り向かないで、前進あ
るのみです。
0182コズモスティオス
垢版 |
2019/09/08(日) 04:07:08.14ID:YpmtxaIC
おはようございます。
コリント人への第一の手紙1章~3章
0184コズモスティオス
垢版 |
2019/09/08(日) 07:32:03.15ID:YpmtxaIC
>>183
ありがとうございます。共に前進させて
頂きましょう。^^v
0185コズモスティオス
垢版 |
2019/09/08(日) 07:43:58.73ID:YpmtxaIC
台風の進路を太平洋上の人のいない
方向にそらすか、消し去りたまえ。
0186ふさふさ
垢版 |
2019/09/08(日) 08:23:55.33ID:2fAWueVd
このままでは台風が
まちこさんの家の屋根を吹き飛ばすのではないでしょうか
0187神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/08(日) 11:15:36.50ID:UrR4CH9R
台風の恵み

 台風は大きな災害をもたらします。ですから台風なんて無い方がいい、
と思っている人も多いでしょう。しかし、台風があるからこそ地球規模で
いろいろなバランスが保たれている側面もあるのです。わかりやすいところでは、
熱や水の輸送が挙げられます。あれだけ大量の熱や水を人間が短時間で
輸送することはできません。もし、台風が熱を熱帯地方から運んでくれなければ、
極地方はもっと寒く、熱帯地方はもっと暑くなって、人間の住める範囲は
今より狭くなることでしょう。
 また、台風は海水をかき回し、表面と多少深い海との海水の交換をしてくれます。
海水温の均一化や、養分や酸素等いろいろな物質が運ばれるなど、
生物環境の維持に役立っているのです。二酸化炭素を海に溶かして
地球温暖化を押さえる働きもあります。
 自然のメカニズムは実にうまくできています。
経済など人間の世界しか考えない近視眼的なものの見方だけで
「台風は無い方がいい」と考えるのは偏った考え方と言えるでしょう。

http://www.wxp.co.jp/nazenaze/nazenaze.html
0188コズモスティオス
垢版 |
2019/09/08(日) 17:27:15.74ID:YpmtxaIC
>>187
おっしゃるとおり、台風は自然の摂理に従って発生
しており、その発生を避けることは現代の科学技術
では不可能だと思います。

地球上の殆どの生物は、太陽からの光エネルギーを
生物の生命活動エネルギーに変換して、生命活動を
継続させています。

その過程で、もしくは使用済みの光エネルギーは
地表を温めてしまうので、その熱を上手に撹拌し
最終的に宇宙に放出しなければ、地表の温度が上
がり、地表での生命活動維持が不可能となって
しまうと考えられます。

そこで、自然は台風を発生させることで、地表の
熱エネルギーを撹拌することで、最終的に宇宙に
放出し、地表を冷却します。

今後科学技術の発展に伴い、地表の熱エネルギー
を台風に頼らず、もっと静的な方法で撹拌し、
宇宙に放出できる技術が開発されれば、台風が
発生する事を防ぐことが可能になると思われます。

現時点において、台風の発生は、さけられない事
であり、逆に、台風は地表を冷却する一番有効な
方法だと言わざるを得ないと思います。

ですから、キリスト信者が台風を無くしてほしい
と祈る場合、無くしてほしいのは台風のもたらす
災害であり、台風のもつ有益な効果まで無くして
ほしいという祈りではないはずです。

それは科学技術が進歩すれば、解消できる事だと
思いますが、現時点では神様の奇跡に頼る他は
ないと思います。

神様の奇跡であるならば、災害のみを取り除き、
他の有益な部分を有効にすることも可能だろう
と考え、そう祈っているわけです。
0189コズモスティオス
垢版 |
2019/09/09(月) 04:46:47.39ID:tjkfAcVX
おはようございます。
コリント人への第一の手紙4章~6章
0190神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/10(火) 02:12:13.63ID:HzHamEBx
こんばんは

災害とか死や老いによる病苦について少し他スレでふれたことがあります
(ペストについて文学から引用したんですけど)
ぼくは原理的に考えてしまう癖がどうしても抜けないため、ある意味で真ん中の正しさとは乖離してしまうのだけど、災害などの苦痛が悪いことには思えないのです

神はすべてか虚妄か、信仰はあるかないか、一旦行った以上は後戻りができないし、好きなところだけということもできない
すべてか無か、熱くあるべきか冷たくあるべきか、そういうものだと思っています
思っている以上は、やはり中途半端な自分を自覚して正そうと思うのだけれど、吹っ切れない自分に失望しながらそういう思いも捨てられない
いわく、葛藤に罪の意識を与えられる自分を自覚する

死や艱難は神が用意されたもの
だから進んで受け入れなければならない、例え最悪の難を受けたとしても
なぜなら神は善いものを人間に与えられるし、人間が見た偶然もすべて神から見れば善を含む運命なのだから

まー、とことんよしとしよう、みたいな感じです
きっとその時、ぼくは神を最大に感じることが出来るのではないか、>>188を読んでいてそんなことを思いました

罪なき者が目を潰されるとなれば、キリスト教徒は、信仰を失うか、さもなければ目を潰されることを受け入れるかだ。好きな言葉なんですよ
0192コズモスティオス
垢版 |
2019/09/10(火) 04:15:07.91ID:UjemZii7
おはようございます。
コリント人への第一の手紙7章~9章
0193きらきら
垢版 |
2019/09/10(火) 04:54:46.74ID:dOcD/1ZI
クソ宗教界の嫌がらせが半端じゃない!
家の中にまで変なエコー音で罵声を流しやがる!
0194コズモスティオス
垢版 |
2019/09/10(火) 05:37:37.10ID:UjemZii7
>>190
>死や艱難は神が用意されたもの
>だから進んで受け入れなければならない、
>例え最悪の難を受けたとしても
>なぜなら神は善いものを人間に与えられるし、
>人間が見た偶然もすべて神から見れば善を
>含む運命なのだから

壮大な抒情詩を聞いているような感じのする
良い文章ですね。全く同感です。

後は何を付け加えたとしても、文章の品を落と
しかねないので、野暮なことはやめておきます
が、少しだけ追加させてください。^^

キリスト者にとって、この世でのあり方の手本
は、イエス様です。

彼こそ、この世で考えうる最大の苦痛・艱難・
不条理・恥・死から逃げず、耐え忍ばれた方
でした。

彼のこの世での人生は苦痛と死で終わりました。
自分を生んでくれた母の前で、罪ありとされて
の公開処刑でした。

それで終わりだったら、彼は生まれてこなかっ
たほうが幸せだった、と言われるくらい悲惨な
終わり方でした。

苦痛・その後の死は、この世での終わりですが、
全ての終わりではないこと。新たな始まりで有
ることを、イエス様は十字架上での死と復活を
通して、私たちに見せてくれました。

この世界で起こった全ての出来事は神様が与え
てださった現時点での最善です。こう受け取る
ことがキリスト者の信仰です。

この世界において起こる全ての出来事に神様の
最善・足跡・目的を見出せる人は、その信仰に
よってイエス様にこう言われるはずです。

「よく言っておくが、あなたはきょう、わたし
と一緒にパラダイスにいるであろう」。
0195コズモスティオス
垢版 |
2019/09/10(火) 08:07:40.29ID:UjemZii7
>>193
>家の中にまで変なエコー音で罵声を流しやがる

聞きたくない、エコーがかかった罵声を聞かされ
るのは、気味が悪いし、嫌になりますよね。

難しいかも知れませんが、きらきらさんが、今
その状態に置かれているのは、偶然ではなく神様
の癒やしの御心のなされている途上にあることを
信じることから、初めてみませんか?

私はパニック障害になって、パニック症状が襲っ
てきた時に、それを神様が送って下さった、自然
治癒の過程だと考え、嫌うのではなく、逆に喜ん
で受け入れるようにしました。

苦しくて無理な場合は、イエス様に助けを乞う様
にしました。キリスト教はまさしく他力本願です。

全ての病や痛みや苦しみは神様の栄光がそのこと
を通して現れされるために起こされた出来事だと
聖書には書いてあります。

神様はイエス様にあって、出来事の全責任とって
下さると思い、歩ませて頂きたいと願っています。
0196神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/10(火) 15:24:50.11ID:Aukmhv8M
>>194

>死や艱難は神が用意されたもの

などという部分に安易に同意してしまうと、
イエスのゲツセマネの苦しみの祈り、十字架上の「我が神、我が神、なぜ私を見捨てたのですか」
という嘆き、叫びを他人事の冷たい神の摂理にしてしまうことを自覚しよう。

その他人事視点が日本でキリスト教が布教できない遠因であることに気づかない者が多い。
0197コズモスティオス
垢版 |
2019/09/11(水) 04:07:51.30ID:fzytyKmf
おはようございます。
コリント人への第一の手紙10章~12章
0198コズモスティオス
垢版 |
2019/09/11(水) 04:21:50.36ID:fzytyKmf
>>196
神様はこの世界の創造主ですので、神様の許し
なしにこの世界に存在できる存在は有りません。

であるならば、死も艱難も神様が用意された
ものと言えると思います。

艱難に対するパウロの見解は以下の通りです。

ローマ人への手紙5章
3それだけではなく、患難をも喜んでいる。
 なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
4忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み
 出すことを、知っているからである。
0199神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/12(木) 00:21:58.82ID:yOr3l9Jo
こんばんは

何か大きな壁というか、それが苦痛であろうと喜びであろうと、自分ではどうしようもなく受け入れるしかない、そういう世界を感じたことはありますか
そして、それを感じたとするならば、最初が何だったか覚えていますか

ぼくは覚えています
物心のついた子供の頃、世界地図を始めて眺めた時だったのを覚えいます
どうして世界の国の数が決まっていて、どうしてこういう形なのか、どうして自分がこんな姿なのか、分からないというより不思議でした

何かの箱に勝手に放り込まれたような気分で、勝手に合唱会か、しかもすごく脇役で、誰も見ていない役をこれから演じされられるような不思議な気分だったのを覚えています
今、言葉にするならば、理由もなしにどういうわけか既に決められている無関心な世界に閉じ込められた、そんな世界がとても不気味だったのかもしれません

個人的な見解なので理解に乏しかったらすいません
だけど、今ある世界の創造とか、死や個人ではどうしようもできない艱難という壁に差し当たった時、ぼくはいつもこの事が頭をよぎって、そんなあの時のような気分になります
そういう意味で、死や艱難は神に定められたもの、と前提してみました
0200コズモスティオス
垢版 |
2019/09/12(木) 04:21:27.63ID:uuKTTW8T
おはようございます。
コリント人への第一の手紙13章~16章
0201神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/12(木) 15:10:58.76ID:FlwhrDyG
>>198

>神様はこの世界の創造主ですので、神様の許し
なしにこの世界に存在できる存在は有りません。


その断定する姿勢はイエスは「神」である説に偏り過ぎている思います。

定説では、イエスは神であり、人である。

ことばが人となった、

という理解が弱いと、イエスの人としての部分の苦しみの理解を失います、
ヨブ記ですら、ヨブの訴え、預言者の訴え、嘆きですら、他人事解釈になるのではないでしょうか?
0202神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/13(金) 01:58:01.59ID:ew35TUKp
こんばんは

>>201
横からすいません、イエスキリストは十字架にかけられる運命を知っていて、そうされたと思いますか

自らが知っていて、苦しみを受けようと意思していたのだとするならば、神に与えられた苦しみの壁とイエスキリストが受けた(受け入れた)苦しみも、同じ苦しみではあるけど質的には違う意味にならないだろうか、とふと思いました
苦痛という意味では同じですが

さらに言い過ぎるならば、ユダもなすべきを成したに過ぎないので許されることになりますけどね
もちろん異端的な考えになりますが

>>198
神とは創造主ということですよね
0203コズモスティオス
垢版 |
2019/09/13(金) 04:05:11.42ID:ooyZb+LR
おはようございます。
コリント人への第二の手紙1章~3章
0204コズモスティオス
垢版 |
2019/09/13(金) 04:55:33.32ID:ooyZb+LR
>>199
>何かの箱に勝手に放り込まれたような気分で、
>勝手に合唱会か、しかもすごく脇役で、誰も見
>ていない役をこれから演じされられるような
>不思議な気分だったのを覚えています

詩的で、真理を上手に表現されていますね。
同様のことを感じたことがあります。

神様が人間にくださる出来事はすべて真逆の
事柄がセットになったものだと思います。

生死、苦楽、自他、上下、左右、男女、白黒
天国地獄、物質反物質、光闇、、悲喜、等等。

この対の存在の片方を無くすと、もう片方も
存在の意味を失ってしまいます。

生死は生きている事と、死んだことの対では
なく、生まれる事と死ぬことの対です。

では、生まれることを無くしたとしましょう。
すると必然的に死ぬことも無くなります。

死ぬことを無くしたとしましょう。死なない
のですから、生まれる必要も無くなります。
上下、物質反物質、光闇しかりです。

なぜこのような事になるかというと、創造
とは、有る一つの元となる存在を2つの相反
するものに分離することだからです。

このことは、創世記をみても、神様は元が
一つのものを分離することで創造しています。

その2つに分離されたものの片方を見て、それ
が単独で成り立ってように見えるだけなのです。

神様の創造の完成は、神の国での永遠の命です。
しかし創造とはその相反するものの存在を必要
とします。ですから、火の池も対の存在として
必要なのです。(これは私個人の考え方で一般
論から外れているかもしれません。)

聖書で、荒野のヨハネは、イエス様のことを
彼は、良いものと悪いものとを分離し、良い
ものを蔵に収め、悪いものを火でやく分離者で
あると言いました。

物理の世界でも、なにもないと思われる空間に
強い光が働くと、そこから物質と反物質が造ら
れ、そのことを対創生と呼びます。

神様はイエス様をこの世の光として世に遣わし
ました。そこから分離が始まり、最期の審判に
よって、分離が完成するものと考えています。

つづきます。
0205コズモスティオス
垢版 |
2019/09/13(金) 05:27:33.01ID:ooyZb+LR
現在は生と死が対になって存在している世界
です。ですから現在では、生きるものは必ず
死ななければならない運命に置かれています。

しかし神様は、後に、生と死が対の世界を終
わらせ、新たに、永遠のみ国と火の池が対の
世界を与えて下さると、約束しています。

この希望によってクリスチャンは今の世界を
分離者である、イエス様にならい、霊によっ
て肉をコントロールし、信仰を持って、恐れ
を委ね、歩んでいると思うのです。
0206神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/13(金) 06:13:14.65ID:fJrYMN2m
おはよう、コズモスティオスさん。

突然でなんだけど、あなたは救いが自分の求めているものではなくても
イエスが示すのであればそれを選ぶかな?
0207コズモスティオス
垢版 |
2019/09/13(金) 06:36:16.64ID:ooyZb+LR
>>206
おはようございます。訪問ありがとうございます。

自分の求めとイエス様の示すものが違った場合に
どちらを選択するか?ということですね。

クリスチャンにとってイエス様の示すものとは
聖霊による導きです。クリスチャンはその聖霊が
自分の心に働きかけてくださるように、聖書を
読み、祈り、心を聖め整える為の霊の祭壇を毎日
築くように努めます。

そうしますと、自分の心に聖霊が働きかけて下さり
自分の心の中に聖霊が住んで下さることを実感
できるようになります。

そうなると、イエス様の示しに素直に、従える
ようなるので、毎日これを望むようになります。

ですから、もしこの聖霊の示しに従えない自分
がでてきたとしたら、それは祭壇を築き直して
神様の前に静まるべき時だとわかります。
0208コズモスティオス
垢版 |
2019/09/13(金) 07:31:11.33ID:ooyZb+LR
>>201
>という理解が弱いと、イエスの人としての部分の
>苦しみの理解を失います、
>ヨブ記ですら、ヨブの訴え、預言者の訴え、嘆き
>ですら、他人事解釈になるのではないでしょうか?

艱難・死・苦しみを神様の摂理とするならば、人の
訴え、嘆きを他人事のようにながめるだけで、人の
道を外れることにならないか?ということですね。

神様は人間に人生を与えてくださいましたが、人生
は艱難・死・苦しみの連続です。

神様が良き存在だとすれば、それを与えたのは神様
とは別の悪しき存在なのだと考えたくなります。

または、神様は悪しき存在だから、神様なんかクソ
喰らえと言いたくもなります。

このことの説明を聖書に求めると、次のような聖句
が目に入ります。

ヘブル人への手紙12章
6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての
 子に、むちを加えられるからである。」
7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子
 として扱っておられるのです。父が懲らしめること
 をしない子がいるでしょうか。
*途中略
10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと
 思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、
 私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずか
 らせようとして、懲らしめるのです。
11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいもので
 はなく、かえって悲しく思われるものですが、後に
 なると、これによって訓練された人々に平安な義の
 実を結ばせます。

父としての子に対する訓練であるということです。
そして、耐えられない訓練を与えることなく、逃れ場を
も備えてくださっているとあります。
0209神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/13(金) 07:42:48.45ID:fJrYMN2m
>>207
言い方が悪かったです。

私が言いたかったのは、イエスの救いというものが
一般的に理解されているようなものではなく別の教えであること
例えばトマス書がありますが、そうであっても歩みますかという話です。
0210コズモスティオス
垢版 |
2019/09/13(金) 08:24:25.60ID:ooyZb+LR
>>201
>ユダもなすべきを成したに過ぎないので許され
>ることになりますけどね

この世でのすべての出来事が神様の摂理ならば、
人が行ったすべての事は、神様の摂理の中で起っ
た事なのだから、すべての人が行ったことは許さ
れるはず。ということですね。

人間に対する神様の摂理の中には、人間が自由
意志を持って神様に従うか否かの選択をする事
ができる。という摂理が含まれています。

ですから人間は神様の摂理に従って、自由意志
を持って罪を犯すことができるのです。

ユダは神様の摂理にしたがい、彼の自由意志を
持って罪を犯し、結果罪ありとされたわけです。

ユダだけではなく、すべての人が神様の摂理の
中で、それに従い、自由意志を持って罪を犯す
ことができるわけです。
0211コズモスティオス
垢版 |
2019/09/13(金) 08:32:01.43ID:ooyZb+LR
>>209
そうですね。従うか否かは、やはり聖霊の
導きによる判断に任せると思います。

イエス様の御心は聖霊の導きでしか知る事
が出来ないからです。
0212神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/13(金) 12:09:47.98ID:quqoppFx
鼻毛おいちい(^q^)
0213神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/13(金) 12:10:47.63ID:quqoppFx
鼻毛おいちい(^q^)
もっと食べたい(^q^)
0214神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/13(金) 15:26:35.23ID:qc/sR0HZ
>>202
>>208

>イエスキリストは十字架にかけられる運命を知っていて、そうされたと思いますか

基本的には、そうなんだろうと思います。
ただ、単純な超越的な神の摂理だけで片付けてしまうのは問題ありでしょう、
神としてのイエスだけになるでしょう。
コズモスティオスさんの信仰で気になっているのは、人としての「弱さ」に無関心傾向で、訓練で解決できる、とか予定調和説傾向に疑問があります。
パウロは「弱さを誇ろう」とありますが、
この視点が既存のキリスト教の多くの教説では鈍い感じがします、
人としてのイエスへの無関心さです、
これは同時に弱い他者への信仰の教えとなり問題となる気がします。
弱い状態の人に神の摂理だ、訓練だと、
福音書でのイエスは弱者に、そのように教えたのでしょうか・・・・・・・?
0215神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/13(金) 15:35:17.83ID:qc/sR0HZ
>>202
>>208

実は、既存のキリスト教では手紙先行で福音書軽視のような気がします、
手紙の中でも、既存のキリスト教では見落とし気味なのが、
パウロの「弱さを誇ろう」とか、
 コリントの信徒への手紙ニ12章
「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(9節

ヘブル人への手紙2章
17 そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。
18 主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができるのである。


訓練、と神の摂理先行ですべてを説明するのには問題ありでしょう、
弱さの視点からすると、
訓練は、まして、聖霊の恵みを得ないと、まずできないです。
神の摂理と思えるのは教理的に無理でしょう、
聖霊の恵みを受けて成長した時に、神の摂理と言える立場になるのではと思います。
0216神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/13(金) 15:54:19.22ID:qc/sR0HZ
>>210

>ユダは神様の摂理にしたがい、彼の自由意志を
持って罪を犯し、結果罪ありとされたわけです

こちら側としては、
ユダの人間側の思考思い込みの偶像崇拝、弱さに、サタンが入り込んだと解釈しております。
神の摂理はあるでしょうが、それだけではない、と。
既存のキリスト教会の歴史上。人間側の思考思い込みの偶像崇拝、弱さの罪に食われた歴史があります。

それは何が原因か?
恐らく、神を愛し、隣人を愛する、
という展開手法に無関心だったのです、
人として弱さと、
神、イエスとの愛の関係から導かれる隣人愛への成長。

未だに既存のキリスト教会は、この弱さを抱え持っています。
0217神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/13(金) 16:54:45.73ID:qc/sR0HZ
>訓練は、まして、聖霊の恵みを得ないと、まずできないです。
神の摂理と思えるのは教理的に無理でしょう、
聖霊の恵みを受けて成長した時に、神の摂理と言える立場になるのではと思います。

つまるところ、手紙は基本、イエスとの深い愛の関係、聖霊の恵みを明白に受けた者が知り、実行可能であり、
弱さにある人に対して、
手紙を教義的解釈により、神の摂理、訓練で押し切ると問題がありと感じます。
0218神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/13(金) 23:08:50.51ID:ew35TUKp
こんばんは

>>204
闇は光を知らなければ絶望しない、自分が暗いことを知らずにすむ、ということですね
実はぼくもこの考え方に近いです
付け加えるならば、場という仲介する概念を持ちますが

例えば、左右という場があり右と左がある
人間は霊であり肉でもあると同時に心魂も持つ
ですが、普遍と変わらないという同一性は霊になります

もし繋ぐものが相反する概念を成り立たせているとするならば、そして外に拠らない同一性があるとするならば、生の反対は死ではなくなります
生に対して死は中間であり彷徨う場になり、コスモさんの言うように復活こそが対極のものになります

人は死んで甦るのではないのかもしれません
生のうちに復活して、そして死ぬのかもしれません

>>210
決定論か自由意志論なのか、については正直言うと自分でも分からないので割愛しますw
0219神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/13(金) 23:09:49.16ID:ew35TUKp
>>214
確かに、神性を重んしすぎると人性を失いますね
信仰の自由というより信仰の強制に思えてしまう
世界は最善である、だから受け入れろ、何て楽観してしまうと、共感という愛はなくなってしまい、共感の欠乏は隣人愛から離れてしまいますね

一方で、世界をよしとしないならば、神は受け入れるが神が創った世界は受け入れない、何てことになってしまい罪とされてしうのかもしれません

難しいっす

>この視点が既存のキリスト教の多くの教説では鈍い感じがします

ぼくもこの事については実はそう思います
未だにクリティカルな答えがないのは、くさいものは異端であるから地中に埋めればよし、みたいな感じで蓋をしてしまったからなのかもしれない、なんて個人的には思っています
0220神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/13(金) 23:10:35.36ID:ew35TUKp
対話している内容とは離れますが、スレッドの出発点がよかったと個人的に思っています

宗教にしろ政治にしろ思想にしろ、ぼくたちは多くの所で何が得られるか、という事にばかり目をやります
>>1にある通り、何を失うのかについては目を伏せてしまう

足りない現在の認識で言うならば、
救いにより得るもにはは天上の摂理、復活(霊)を得る事
救いにより失うのは地上の摂理、死(肉)=生(肉)を失う事
というのが個人的な結論です
その時にあらゆる苦悩も同時に消えるのかもしれない、何ていう希望的観測も同時に抱きざるを得ませんが
0222コズモスティオス
垢版 |
2019/09/14(土) 04:14:00.78ID:pmxIPc6H
おはようございます。
コリント人への第二の手紙4章~6章
0223コズモスティオス
垢版 |
2019/09/14(土) 06:22:10.10ID:pmxIPc6H
ここで少し整理させていただきたいと思います。

1この世界は、神様の摂理以外の事が起こり得るのか?
  摂理以外の事が起こるとすれば、それを起こしているのは
  神様以外の何かであり、創造主に対抗し得る何かの存在が
  この世界の創造に関与しているという事になります。

2神様に似せて造られた人間は、神様の摂理通りにしか動け
 ないロボットなのか?
  人間が神様のプログラミング通りにしか動けないロボット
  だとすれば、人間の行いはすべて神様の決めたことであり
  神様は人間を罪ありとさばくことが出来ないはずです。

1と2は一見互いに相反する命題です。この問題には、人間の
自由意志が神様の摂理内にあるのか否かが大きく関与してくる
と思われます。
0224神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/14(土) 14:25:29.78ID:7hukT7Af
マタイ10:29
二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。
しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。

マタイ7:1~5
人をさばくな。自分がさばかれないためである。

あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、
あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量りが与えられるであろう。

なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。

自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、
あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。

偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、
兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。

マタイ12:31
だから、あなたがたに言っておく。
人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。
しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。

ヨハネ5:19
さて、イエスは彼らに答えて言われた、
「よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする以外に、
自分からは何事もすることができない。
父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。
0225コズモスティオス
垢版 |
2019/09/14(土) 22:02:40.52ID:pmxIPc6H
>>224
>しかもあなたがたの父の許しがなければ、
>その一羽も地に落ちることはない。

御言葉をありがとうございます。御言葉から
すると、この世界の創造主はただ一人、神様
だけであり、この世界では、神様の摂理以外
のことは起こらないことがわかります。

サタンが現れて人間を試み、人間に艱難試練
そして死が与えられるのも神様の摂理であり
それが人生であるということです。

この神様から与えられた人生が、最善のもの
であり、それを感謝して受け取ることが、
まず第一歩だと思います。

しかし最善ということは、完成であるという
ことでは有りません。未完成ですが、完成を
目指して前進できることが、最善であるわけ
です。その完成への前進に人間も参加できる
ということだと思います。

では、人間は神様の摂理の中でしか行動でき
ないのでしょうか?神様は人間の自由意志を
どのように考えていらっしゃるのでしょうか?

まず、人間は神様に似せて造られたという事
です。そして善悪を知る木の実を食べた人間
は目が開け、神様のように自分で善悪の判断
ができるようになったということです。

善悪の判断が自分で出来ないものを罪ありと
認定することは出来ません。

しかし善悪の判断を自分できるものは、自由
意思を持って、悪を選択することができます。
その結果罪ありと認定されることがあります。
0226コズモスティオス
垢版 |
2019/09/14(土) 22:03:37.99ID:pmxIPc6H
>>225続き
神様は人間をご自分に似た者として、人間自身
で善悪の判断ができ、理性を持ち、神様からは
自立した存在として創造されました。

自立した存在としての人間を、まさにご自分の
様に愛されたのだと思います。

善悪を自ら判断し、神様から自立して行動でき
る人間は、神様からはアンコントロールな存在
であるということです。

神様からアンコントロールな人間であること
が、神様の定めた摂理だからです。

神様はご自分からはアンコントロールな人間
が、人間自ら、善悪を知る倫理観と、理性と
自由意志を用いて、神様と人とを愛する存在
となることを願っているのだと思います。

アンコントロールな人間は、その自由意志を
働かせて、神様と隣人を憎み、成長し神様の
創造を無に帰する、悪の存在となる危険性も
あると思われます。

そうならないために、神様は人間をこの世に
おき、自らの意思をもって、神様と隣人を愛
する事ができるよう、その大切さを教える為
の訓練をしているのだと思います。

それだけでなく、自立したアンコントロール
な人間は、その自由意志をもって、神様のよう
に、創造の一端を担えるということです。

ですから私たち人間は、自由意志を働かせて
この世界の完成を目指す働きに参加している
とも言えると思います。
0227神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/15(日) 02:08:03.20ID:iAlEhO1b
こんばんは

ぼくに信仰以外のことで関心があることは一つです
悪はどこからきたのか、ということです
これが分かれば予定論も原罪論も解けるように思えてならない、というのがぼく傲慢の悪の自覚でもあります

>>225
>>226
悪そのものであり悪の本質でもある悪は、一体どこからきたと思いますか
神が悪も創った、と考えますか
0228コズモスティオス
垢版 |
2019/09/15(日) 02:27:20.14ID:qp+zEiBv
>>227
>悪そのものであり悪の本質でもある悪は、
>一体どこからきたと思いますか
>神が悪も創った、と考えますか

こんばんは〜。
私個人では、神が悪も作った、と考えています。
神様はこの世界の創造主だからです。

もし、悪の本質でもある悪が、神様の創造で無い
とすれば、神様以外の神様に対抗する存在がいて
(それをサタンと呼ぶとします。)サタンが悪を
作り、この世界にもたらした事になります。

とすると、神様は全知・全能ではなくなり、もし
かすると、サタンにより神様が滅ぼされることも
可能になるわけです。

聖書のスタンスも、神様は全知・全能であり、
この世界の唯一の創造主であるということだと
思います。

では神様はなぜ悪を作ったのか?、それはまた
今度会話させていただけたら幸いです。
0229神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/15(日) 02:38:41.58ID:iAlEhO1b
>>228
善なる神、という聖書の正統教義は気にしないという事でしょうか
0230神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/15(日) 02:50:09.66ID:iAlEhO1b
>>228
ふと思った疑問に過ぎないので、いつでもお時間のある時でどうぞ
おやすみなさい💤
0231コズモスティオス
垢版 |
2019/09/15(日) 05:19:04.81ID:qp+zEiBv
おはようございます。
コリント人への第二の手紙7章~9章
0232atheist
垢版 |
2019/09/15(日) 05:47:59.45ID:a9TbNC1u
ちょっとだけ失礼して、「悪の由来」に関して意見を言わせていただきます

私はアプリオリな善悪というものは存在しないと考える立場ですが
ここではキリスト教の思考系に従って、アプリオリな善悪というものがあると仮定します

悪そのものの由来は別にして、悪を所与とした場合のキリスト教の世界観の説明に関しては
コズモスティオスさんの説明はこれ以上ないほどに上手く
神の絶対的主権と人間の自由意志の両立を説明されていると思います

ですが、悪そのものの由来に関しては、質問者さんが言う通り
悪は神に由来するものではない、というのが伝統的なキリスト教の解釈ではないかと思います

悪はキリスト教では「神からの乖離」というように、善に対する陰画として定義されますが
では悪(神からの乖離)そのものはどこに由来するのか?
これは非常に難しい問題だと思います
一応、アダムとイブが神から離れた時点(知恵の実を食べた時点)で悪が人間に入ってきた、とされますが
ではなぜアダムとイブは神から離れたのか?
これに対してはサタン(蛇)の誘惑、つまりサタン由来とされますが
ではさらになぜサタンに悪(神からの乖離)が生じたのか、という疑問が生じます
ここまで来ると、聖書は何も語っていないように見えます

もしそうだとすると、ここからは聖書に基づきながらも、聖書外の推論を進めざるを得なくなります
ヘブライ語聖書に現れるサタンと新約聖書に現れるサタンではその性質に変容があると言われますが
ここではキリスト教的に解釈されたサタンに基づいて、サタンになぜ悪が生じたのかを考えてみます
0233atheist
垢版 |
2019/09/15(日) 05:50:59.68ID:a9TbNC1u
つづき

一応キリスト教ではサタンは堕天使であって、元は天使であったものが堕落したものだとされます
天使は人間同様自由意志を与えられ、それゆえに奢り、あるいは人間に対する嫉妬などから
神に反逆したとされますが、その奢りや嫉妬はどこから生じたのか?
悪が存在しない世界においては自由意志と言えど悪を選択することができないはずです
選択すべき悪そのものが存在しないのですから

とすると伝承にまで拡張しても、悪の発生は突き止められないことになります
ここまでくると、「神によらない創造はない」という命題を貫いて、コズモスティオスさんの言われる如く
悪は神が創造したものだ、と考えるか、あるいは「悪は神に由来するものではない」という伝統的命題を貫いて
神による創造外に悪の由来を求めるか、のどちらかになってしまうのでしょう
両立可能な解釈は困難だと思います

私は単純に、キリスト教のサタンはゾロアスター教の善悪二元論の影響を強く受けて変容したのだと考えます
ですから、キリスト教には「神によらない創造はない」という太い軸に収斂しない「神によらない悪の存在」という
善悪二元論が併存しているのだと思います
0234七味座
垢版 |
2019/09/15(日) 07:35:58.97ID:4VwamKSE
お邪魔します
論点として合っているか分かりませんが、私見を述べます。

サタン(明けの明星による高慢と神への欺き)から悪が始まったのか?は明記されてませんね。
サタンが生まれる前、世界に悪は存在したのでしょうか。
サタンは嫉妬から人間を憎んだとされています。
ですが、神ご自身も、「わたしは妬み深い神である」と旧約で語っています。偶像崇拝をするな、わたしのみを拝め、と。

(ねたみの神、訳色々)
http://hel4y.hatenablog.jp/entry/2014/12/11/033000

不思議ですね。
サタンだけでなく、カインの嫉妬に対しても神は喜ばれなかったのに、神はねたみの神なのです。
0235七味座
垢版 |
2019/09/15(日) 07:37:45.13ID:4VwamKSE
私が思うに、キリスト教の悪とは「分不相応」とも言えるのかもしれません。
神は、創造主として絶対の立場です。なので、言い方悪いですけど、何しても許される。全てを作った人なのだから。
そして崇められて当然の立場です。

サタンは、神の創造物に過ぎないのに、分不相応に神のように崇められることを望み、順位付けで負けた人間に嫉妬し罠に嵌めた。
神からの離反が悪である、と同時に、分不相応が悪である、と考えます。

サタンは分不相応の最初の被造物だったのか、それ以前よりいたのかは分かりません。

神は全能であるのに、なぜ分不相応の行為を始める被造物が次々と起こったか。(サタン、他の天使たち、人間・・)
それは自律して、自由意志で神を愛する被造物を作るという目的のためには、許可の範囲内であったと思っています。
神が、神を愛するだけの簡単な構造の被造物では面白みがない、孤独だ、と思ったかは知りませんが。
0236七味座
垢版 |
2019/09/15(日) 07:40:22.06ID:4VwamKSE
天使はペットとしては出来が良かったが、更に子供(人間)を作りたかった。
でも、不思議なのは、天使より人間の方が能力値が低いことです。神に似せられて作られたのに。ここにはどんな意図があったのか。
まあ、赤ちゃん育ててると、なんとなく分からないでもないですが・・(???

私は、天使たちが分不相応に堕落しサタンになるのも分かった上で、神は人を作ったと思います。
それは自律して神を愛する被造物を子供とするためであった、と考えます。

なので私の結論は、

神は目的のためなら悪(分不相応)をも利用する、神は創造主だから妬むのは悪(分不相応)にならない。

です。

それでは神は愛なり、と合致しないのでは?となりますが、聖書における愛ってそもそも、神からしか与えられないアガペーであるわけで、
悔い改めは神に立ち返る、向きを変えることであるわけなので、人間が出来る愛とは、神を向くこと(被造物として相応しい姿)なのだと思います。
0237神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/15(日) 12:23:22.04ID:28xGZP7d
>>226
コズモスティオスさんは、神の摂理という教義に固執し過ぎて、返レスしなくなりましたね、

>神様からアンコントロールな人間であること
が、神様の定めた摂理だからです。

という、コズモスティオスさんのご意見主張ですが、

さてさて、この旧約聖書の主とアブラハムの対話はどう思うんですかね?
摂理という法則では言い切れないのでは?

創世記第18章
20 主はまた言われた、「ソドムとゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重いので、
21 わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」。
22 その人々はそこから身を巡らしてソドムの方に行ったが、アブラハムはなお、主の前に立っていた。
23 アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
24 たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。
25 正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。
全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。
26 主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。
0238神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/15(日) 12:23:42.88ID:28xGZP7d
27 アブラハムは答えて言った、「わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。
28 もし五十人の正しい者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか」。主は言われた、「もしそこに四十五人いたら、滅ぼさないであろう」。
29 アブラハムはまた重ねて主に言った、「もしそこに四十人いたら」。主は言われた、「その四十人のために、これをしないであろう」。
30 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしは申します。もしそこに三十人いたら」。主は言われた、「そこに三十人いたら、これをしないであろう」。
31 アブラハムは言った、「いまわたしはあえてわが主に申します。もしそこに二十人いたら」。主は言われた、「わたしはその二十人のために滅ぼさないであろう」。
32 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。
33 主はアブラハムと語り終り、去って行かれた。アブラハムは自分の所に帰った。
0239神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/15(日) 12:27:50.82ID:28xGZP7d
要するに、コズモスティオスさんが「神の摂理」に固執するとき、
福音書のイエスキリストが弱い人々や鈍い弟子、ペトロと対話しており、
旧約のアブラハムですら、主と対話し、
預言者、エレミヤ、ヨナも対話している。

神の摂理に固執し過ぎると、
主との対話が失われる、
コズモスティオスさんの信仰で非常に気になります。
0240神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/16(月) 00:27:33.26ID:k8LHYAA0
こんばんは

>>233
やっぱりそう思いますか
だけど諦めたわけではないですけどw
最初を解き明かすならば最後も解き明かせると思うので

悪とは到達する善になりきれなかった小さな善である、一応の善の一元は保てるのかもしれないです
ただし蛇はどこから流出したのかはモヤモヤしますけど
そもそも悪が流出であるのか、初めを持たず単一的に光のように闇として生成なく場に単独支配していたのか

マニ教やゾロアスター教、ネオプラトニズムなどのグノーシスの神話的二元論を持って説明したくなります
が、果たしてそこをキリスト教信仰として踏み込んでいいのかどうかは大いに悩ましいところです
最大の異端という自覚がある以上、キリスト者には罪になる可能性が潜んでいます

>>234
ねたむ神である、という一文はぼくも悩みました
単純にねたむならば誰に対してねたむのか
ねたむとは同等の対に抱くしかできない感情です、ならば神が他にも存在することを打ち明けていないだろうか
何て思いましたが、違うようです

七味さんの言う通りきっと恩寵が本来の道に戻る鍵なのかもしれません
個人的には啓示が鍵であり復活が扉だと思っています
鍵と扉を繋ぐ場があるとするならば、それが自由意志だと思っています

>>237
コスモさんは早起きの人なので忙しいんですよ
ぼくみたいに怠惰に朝を寝ているわけではないのでw
0241atheist
垢版 |
2019/09/16(月) 01:14:02.66ID:Crs+hfEN
>>240
俺の場合はクリスチャンではないので、どうしても外部的な視点で見てしまいますからね

外部的な視点から見れば、ヘブライ語聖書は1000年の長きに渡って書かれてきた宗教文書の
集合体であって、しかも基本となるモーセ5書は異なった編集者集団によって異なった意図や
神学の下に編纂された複合的な文書群、ということが推定されています

新約聖書も、ヘブライ語聖書からさらに数百年後に、ヘレニズムが浸透したローマ世界のなかの
属州としてのユダヤという環境の中で生まれた宗教運動を、パウロを中心とした初期キリスト教団が
その神学で解釈した文書群が主になっており、そこにヨハネ福音書を書いた集団の神学が
付け加えられています

よって旧約も新約も多様な伝承や神学、宗教的政治的意図が折り重なった
重層的な文書群だと言えるわけです

そこに統一的で単一的な解釈の糸を通すのは極めて難しいばかりか
文書の本来の著者・編者の意図を曲解しかねない危険すらあるのではないかと思うのです

ここまでは外部的に、いわば冷めた目で見た解釈のあり方ですが
解釈という行為には新たな創造性が伴うことがしばしばあります
もし解釈のそういった積極性を許容し、なおかつそれを信仰につなげて読み込むことを是とするなら
そこに「隠された」解を見出すことも不可能ではないと思います
0242atheist
垢版 |
2019/09/16(月) 01:28:23.47ID:Crs+hfEN
>>240
キリスト教的には悪を実体的なものではなく「神からの乖離」という、「実体的な善の欠如」として
陰画的に定義するのが一般的だと思いますが、それでもクリスチャンの発言にしばしば見られるように
サタンという悪を実体化した捉え方も同時に行われているように思います

もし「悪も神の創造」と「悪は神の創造ではない」という矛盾したふたつの命題を
両立させる解釈がありうるとするなら、おそらくそれは自由意志の解釈によるものだと思います

基本線としては「神によらない創造はない」という大前提を置き
神による自由意志をもった存在の創造→自由意志をもった存在がまったく無から悪を創造→
神は自由意志から悪が創造されることを知悉して自由意志をもった存在を創造した
→よって究極的には「神によらない創造はない」が派生的に「悪は神以外の存在によって創造された」

こんな解釈経路になるんでしょうか
この場合の自由意志は無から行為を自発的に選択できる(創造できる)、そういった権能として
解釈されることになるのでしょう
0243神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/16(月) 02:30:18.63ID:k8LHYAA0
>>241
>>242
自由意志の無をも含む権能か、なるほどというよりなるほどです
客観的に眺められる素質は創造の種になりますね
どこか片隅に忘れていた、創造し続けていくという認識が想起されました
認識がまた変わりそうな気がします

自由意志の権能を自分で勝手に限定しすぎていたようです
確かに悪の発生を、神の創造と神以外の創造、というパラドックスをそのままにしながら止揚できそうです
しかも原理的に

思いついたのは、イエスキリストの受肉が意志の自由への開放という面も含めて、原罪の鎖の贖いだけに限定しないとするならば、良心の新たな領域が神のギフトとして拡張されたことになる
壮大に選択するという自由は、限定された行為の良心から変革されて、人は心の自由も手に入れたことになる
人そのものが神の一部の一部から、ただの一部にさえなり得る可能性がそこにはあるのかもしれない
もっとも良心の重みが増したという自覚は大いにありますけどね、自由からの逃走になりそうですが

ただ、ここまで書いておいて思うのは、あなたもぼくの正体を知っているはずですw

人そのものが社会的実存という物質に生きるとは考えていません
精神的実存という心や魂の本質、それも本質ですらないイデア的な完成をも必要のない完成された原型を、人間ではなく神そのものに求めていることが、あらゆる帰結を人を創造したという神(認識)に行き着こうと自覚してしまう自分が正直います

ただし、思っている以上に今回説明してもらった自由意志の権能については考えを新たな領域に向けられそうな気がしてます
0244神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/16(月) 02:50:50.68ID:k8LHYAA0
>>242
それにしてもエイシストさんは誠実さがありますね
別に神を否定して、宗教そのものを否定して終わることだって自由に持っているのに、有神論者側に話を合わせてなおかつ信仰にすら関わるテーゼをメインにレスして貰ってます
得した気分ですよw

おやすみなさい💤
0245コズモスティオス
垢版 |
2019/09/16(月) 04:38:59.94ID:KfupU55/
おはようございます。
コリント人への第二の手紙10章~13章
0246七味座
垢版 |
2019/09/16(月) 05:11:13.82ID:8PCrB++L
>>234-236 と書いた私は、この創造主が間違いなく存在するのかと聞かれれば、はっきりYESとは言えず、疑問が残るので、
私はクリスチャンではないという立場です

サマリヤ人はユダヤ人からは異教徒と呼ばれていました、たとえ話に出てきますが、このサマリヤ人がキリストを救い主として受け入れていた描写はありません

たとえの彼はキリストを信じなくても良心はあり隣人を愛したので永遠のいのちを得たのでしょうか
あくまでたとえであるので、クリスチャンはそう解釈せず、サマリヤ人は隣人を愛してもキリストという神の子を信じず=神を愛してないからダメなんでしょうかね

それとも、以前サティさんに無名のキリスト者という概念を教えてもらいましたが、このサマリヤ人はそれに当たるんでしょうか

最上の愛、アガペーは神由来でないとあり得ないというわけですが、私はアガペー的なクリスチャンにリアルで会ったことがないかもしれません

クリスチャン家庭で育った私が瀕死のごとく倒れていたタイミングで、助けてくれたクリスチャンは1人もいなかったと言えるので・・
唯一祖母が生きていたら私を助けようとしてくれていたかも・・
(元々別の宗教を信じていて、父親に無理矢理改宗させられたような感じでしたがw

皆さんのまわりにアガペー的なクリスチャンはいらっしゃるのでしょうか?もし出会えているならば幸いですね
0247七味座
垢版 |
2019/09/16(月) 05:27:39.68ID:8PCrB++L
生まれた時からいたキリスト教世界を抜け出して、初めて、この世界には優しい人がたくさんいるのだと知りました。
私は特殊でしょうか?
意外とキリスト教界においてはよくある話なのかもしれない、と思わざるを得ません。

キリストと繋がれた人は、キリストの香りを放ち、愛の実を実らせるはずなんですけどね。
0248七味座
垢版 |
2019/09/16(月) 05:45:09.94ID:8PCrB++L
ある歌の歌詞に、
「おまえの神様なんて存在しないんだ
俺の神様は存在するし 愛に満ち溢れてるんだ
俺に賛成しないから お前を殺すぞ」

とあるんですが、殺さないまでも、

「おまえの信仰は間違っている
俺の神様は存在するし 愛に満ち溢れてるんだ
俺に賛成しないから お前を攻撃する(排除する、馬鹿にする)」
ということが、割と茶飯事のように感じます
同じキリスト教徒の中でもあり得るように思います

愛って、なんでしょうね
アガペーってどこに流れてるの、
と私は改めて思うのです。
0249七味座
垢版 |
2019/09/16(月) 06:07:50.44ID:8PCrB++L
キリスト教批判のようになってしまい申し訳ないのですが、私自身の経験を述べさせてもらいました。
もしアガペー、愛を感じた経験をお持ちの方は教えていただけたら嬉しいです。
0250神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/16(月) 06:31:59.24ID:o85aAsq6
>>249
アガペーは“一なる現実”を理解したときに自然に生じるから気にする必要はないです。
0251七味座
垢版 |
2019/09/16(月) 06:46:46.93ID:8PCrB++L
>>250
自然に生じるというのは、感覚として生じたと分かるものでしょうか?
0252コズモスティオス
垢版 |
2019/09/16(月) 07:18:33.91ID:KfupU55/
>>249
七味座さん、おはようございます。

アガペーを現実で探すのは難しいかも知れ
ないですね。

でも、クリスチャンの本心にはイエス様に
ならいての、アガペーがあると思います。

それが現実では、理想的な形として目に
見える形で現れることがないだけだと思
います。

もし現実で、自分が犠牲になるならば、
いや、自分が犠牲にならなければ、他の
人の命が確実に失われるという状況に追
い込まれたのなら、クリスチャンなら自
ら犠牲になると思いますよ。

現実にはそういう白黒はっきりわかるよ
うな事態が起こらないから、わからないん
だと思います。
0253神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/16(月) 07:21:50.25ID:Y5l1aaej
愛とは、共生関係にある身近な者同士で共生が可能に
なるように、創造主が与えた肉体的行動本能。ユダヤ教では、
隣人愛の隣人を「同胞」とする重要な制限を加えていることが、
このことを証明している。共生の当事者ではない遠くの者を
愛するアガペーは、あくまで人間が考えた人工愛、観念愛で
あり、神が与えた共生に不可欠な肉体的行動本能としての愛とは、
似て非なる代物。
孟子に出てくる話だが、ある中国の王が、屠所に引かれて行く
牛を見て哀れになり、従者に「羊に代えよ」と命じた。王は、
羊をみたことがあかったのである。これが愛である。
アガペーに対する聖書学者の批判は強い。
0254神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/16(月) 07:32:57.54ID:o85aAsq6
>>251
七味座さん、おはようございます。

私が説明するとしたら、他の方にとっての異端になる話になりますので
七味座さんとスレ主さんの許可を貰った上で書き込みしたいと思います。

と言っても、話の内容が不明では回答しようがないと思いますので
具体的にはトマス書を肯定した内容になります。

http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html

スレ主様の許可がいただけない場合でも
別のチャットルームを案内するのでご安心ください。
0255コズモスティオス
垢版 |
2019/09/16(月) 07:40:42.43ID:KfupU55/
>>254
あ、どうぞご遠慮無く書き込みください。
人の誹謗中傷以外の書き込みでしたら
ご自由に書き込んでください。大歓迎です。^^
0256神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/16(月) 07:54:26.30ID:Y5l1aaej
>>253の訂正
×羊をみたことがあかった
○羊をみたことがなかった
0257七味座
垢版 |
2019/09/16(月) 08:41:41.81ID:8PCrB++L
>>252
おはようございます。
クリスチャンの心にアガペーはあるけども、可視化するような状況が現実にはあまり見られない、というお考えなのですね。

私の考えでは、無神論や他宗教の方でも、他者を助けるためにならば自分の命を投げ捨てる方って結構いらっしゃると思うんです。ニュースにもなってますよね、時々。
そういう方々でも、キリストを信じていないのであれば永遠のいのちは得られないという解釈の教会(極端に言えば地獄へ)もあると思います。

地上において聖人と呼ばれる方もいますが、キリスト教以外でも素晴らしい愛の働きの方はいる、それでもアガペーは働いてないというお考えなのでしょうか。

また、コズモスティオスさんの周囲のクリスチャン、教会においては隣人愛は溢れているでしょうか?
体験談として何かあればお聞きしたいです。
0258七味座
垢版 |
2019/09/16(月) 08:53:18.70ID:8PCrB++L
>>254
トマス書というのは、私はあまりよく知らないのですが、wikiによると外伝扱いされているもののようですね。
貼っていただいた箇所ですが、今少し時間が取れず全てを読めていません。
スレ主さんの許可もおりましたし、注目すべき点と解説をしていただけたら幸いです。
0259七味座
垢版 |
2019/09/16(月) 09:41:32.49ID:8PCrB++L
>>258
貼っていただいたトマスの書はざっくり一通り目は通しました。他の書と同じ部分もあり、聞いたことのないたとえなども多いですね。
他の書のたとえ話等の解説は、一応プロテスタントの教会で一通り聞いたことがあるので知っています。
0260コズモスティオス
垢版 |
2019/09/16(月) 10:07:03.44ID:KfupU55/
>>257
教会においては、表面的に隣人愛が溢れているよう
には見えません。が、心の奥底では互いにアガペー
で繋がっている事は暗黙の了解のような気がします。

子供を愛する両親は、子供が幼いうちは、愛情表現
丸出しで接しますが、成長するにつれ、人生の厳し
さを教えるようになります。

表面的に愛に溢れているように見える愛情よりも、
厳しさ苦しさを共にする仲での愛情表現のほうが
深く、真実のような気がします。

戦友同士の愛情みないなものですかね。何が戦場
かといいますと、ペテロの言うような戦場です。

ペテロの第一の手紙5章
8最大の敵である悪魔の攻撃に備えて、警戒しな
 さい。悪魔は、飢えてほえたけるライオンの
 ように、引き裂くべき獲物を求めてうろつき
 回っているのです。
9信仰に堅く立って、悪魔の攻撃に立ち向かい
 なさい。ご存じのように、あらゆる地域の
 クリスチャンたちが、同じ苦しみを通って
 いるのです。
0261七味座
垢版 |
2019/09/16(月) 10:22:41.86ID:8PCrB++L
>>260
悪魔の攻撃に備えよ、というのは個人における肉の欲との闘いという解釈で良いでしょうか。
コズモさんは教会において、肉の欲と闘っている者同士としての、兄弟姉妹の連帯感を感じられているということなのでしょうね。

私は20年キリスト教会に在籍していましたが、兄弟姉妹とアガペーで繋がっている感覚というのは得られなかったというのが現時点での結論になります。

確かにみなさん、非常に努力されていました。神の御心に叶うようにと。
ですがそれは時に、隣人であるクリスチャンを苦しめるものであったと思います。
そして本当に苦しんでいる人、窮地に立った弱者ほど熱心に神を求めた結果、教会から離れていった印象です。
(あくまで私の体験談として

コズモさんの教会では、クリスチャン同士のアガペーの繋がりを感じられる、とのことで、それは素晴らしいことだと思います。
0262コズモスティオス
垢版 |
2019/09/16(月) 10:35:48.96ID:KfupU55/
>>257
私の個人的な考えでは、イエス・キリストという固有
名詞に拘る必要はないと思います。

イエス・キリストとは固有名詞ですが、霊においては
全き愛だと思います。自分の命を自ら進んで、人類の
罪の贖いの生贄として神様に捧げた、その霊が大事な
のであって、固有名詞はどうでもいいと思います。

ですから、もし他の人で、ご自分の命をその様に捧げ
た人がいれば、その人によっても、人は救われると
思います。

しかし全世界を探しても、そういう人は歴史上
イエス・キリストただ一人だったと思います。

イエス・キリストという固有名詞を知らないで
死んだ人も沢山い入ると思います。しかし隣人愛
の為の自己犠牲の愛を知って死んだ人ならば、
復活した後に、イエス・キリストの霊ががその
本質であったことを知らされば、その場で、
救われると思います。

イエス・キリストという固有名詞は、その霊の
実態を指し示すものであって、霊こそ実態で
あるのだとと思います。

霊そのものには名前のつけようがないからです。
0263七味座
垢版 |
2019/09/16(月) 10:51:40.97ID:8PCrB++L
>>253
肉体的行動本能としての愛、というのは普通だよね
赤ちゃんでも人種差別するらしいよ
黒人と白人の生後8ヶ月くらいの赤ちゃん達に対する実験で、、内容はまた後で記事見つけたら貼ります

基本的には、種として生存するために他者とうまくやっていくスキルとしての愛だよね
まあ、遠いところの他者、あるいは敵という他者への愛について云々するあたりは生物でいうと人間しかしないのかな



では、また時間が出来たら来ます
0264七味座
垢版 |
2019/09/16(月) 13:44:13.90ID:8PCrB++L
>>262
なるほど、当たり前といえば当たり前ですが、コズモさんはイエスキリストに全幅の信頼を置いているんだなと思いました。
プロテスタントの方ですか?
やはり聖書は神の霊感によって書かれた、と信じられているのでしょうか。
0265コズモスティオス
垢版 |
2019/09/16(月) 14:52:32.44ID:KfupU55/
>>264
私たちは、聖書の示すイエス様の霊の働きの
ほんの入口しか知らないのだと思います。

その体験がないからです。聖書は神の霊感に
よって書かれたと思います。しかしそれを信
じれるとすれば、それは自分でその体験をし
てみて、初めて分かることではないでしょうか?

誰でも最初から信じますといえる人は居ないと
思います。私もそうです。でも怖いながらも
霊の働きを有ることを確信できなくても、進
んでみて、知りたいのです。

水の上を歩いたペテロのようにです。
0266神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/16(月) 18:45:04.60ID:63WEjUUf
>>264

コズモスティオス氏は、

終末論を極端に信奉するウェスレー系でしょうね。
0267神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/16(月) 18:48:38.01ID:63WEjUUf
コズモスティオス氏の教会は、
「弟子訓練」が好きそう。
0268神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/16(月) 21:16:05.92ID:o85aAsq6
>>259
七味座さん、コズモスティオスさん、こんばんは。

話してもOKということで簡単に解説したいと思います。

まず今回説明するのは「1,3,5」のみです。
>>254にリンクがあるので内容は省略します。

トマス書の概要を一言で表すなら、「汝自身を知れ」という
他の宗教や哲学等が混じったような印象を受けると思います。

この「1,3」に書いてあることを解説すると
・すべての人が父の子である=イエスと同じである=自己と父は一つである
・神の国は自己の内、外にある
・自己を知ることが永遠の命である
といった一元的な内容になっています。

その上でネットで偶然見つけたエホ○の聖書から
ヨハネの福音書17:3の訳が優れていると思ったので引用したいと思います。

彼らが,唯一まことの神であるあなたと,
あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,
これが永遠の命を意味しています。

つまりトマス書の内容を前提とした場合
上記の聖句は、イエスが、父と一つであるといった意味
それが何を示しているのかを、自己に見出しなさいということになります。

そしてトマス書の5はこれを検証する内容になっています。

最後に遠回しになってしまいましたが、七味座さんへの解答として
自己と他者が一つであるという理解を得られるのであれば
肉の働きから離れ、御霊の実がこの肉体を通して働くのではないでしょうか。
0269atheist
垢版 |
2019/09/16(月) 22:15:32.00ID:Crs+hfEN
>>243
もちろんひとつの解釈の可能性として、ということです
天使、ひいては人間という存在が本当に無から原因もなく、悪であれ何であれ、
意味のある行為を創造できるのか、という問題は生じてしまうでしょう

それに人間の自由意志の権能を拡大することは、キリスト教の人間観、特にカルヴィニスティックな
人間観と調和するのか、という問題もでてきてしまうでしょう

元々、性急に結論を出せるような問題ではないですし
キリスト教的には常に神および神の摂理というものは、人智の及ばぬものなのだ、という「戒め」を
忘れないことも大切なのかもしれません
0270七味座
垢版 |
2019/09/16(月) 22:41:01.22ID:8PCrB++L
>>268
ふーむ、難しい内容ですので
ゆっくり読んで考えてみますね

教えていただきありがとうございます

>>265
〉進んでみて、知りたい

未知なるものへ、信仰を持って知っていきたいと思われるのは、なんだかいいなと思いました。
何か、気づきがあればまた教えてくださいね
0271コズモスティオス
垢版 |
2019/09/17(火) 04:10:37.75ID:4ZsRLijS
おはようございます。
ガラテヤ人への手紙1章~3章
0272コズモスティオス
垢版 |
2019/09/17(火) 05:10:01.93ID:4ZsRLijS
難しそうな問題は後から考えようと思い、
ご返事後回しにしておりました。
最初に謝っておきます。m(_ _)m

>>232:atheist
>私はアプリオリな善悪というものは存在しないと
>考える立場ですが

>>239:28xGZP7d
>神の摂理に固執し過ぎると、
>主との対話が失われる、

>>240:k8LHYAA0
>悪とは到達する善になりきれなかった小さな善で
>ある、一応の善の一元は保てるのかもしれないです
>ただし蛇はどこから流出したのかはモヤモヤします
>けど、そもそも悪が流出であるのか、初めを持たず
>単一的に光のように闇として生成なく場に単独支配
>していたのか
>マニ教やゾロアスター教、ネオプラトニズムなどの
>グノーシスの神話的二元論を持って説明したくなり
>ますが、果たしてそこをキリスト教信仰として踏み
>込んでいいのかどうかは大いに悩ましいところです
>最大の異端という自覚がある以上、キリスト者には
>罪になる可能性が潜んでいます

>>269 atheist
>天使、ひいては人間という存在が本当に無から
>原因もなく、悪であれ何であれ、意味のある
>行為を創造できるのか、という問題は生じて
>しまうでしょう

>それに人間の自由意志の権能を拡大することは、
>キリスト教の人間観、特にカルヴィニスティック
>な人間観と調和するのか、という問題もでてきて
>しまうでしょう

知の巨人さん達ですね。理解力と考察力には目を
みはらされます。後ほど返答させていただきたい
と思います。またのちほど。
0273神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/17(火) 23:31:48.86ID:Fm1VGBSg
こんばんは

>>272
性急に勝手に急いでいろいろ質問して、こっちこそなんかすいません
>>1にあるように、教派を超えて考えるスレがあってイイと思ってます

ウィリアムジェームスを読んだことはありますか
彼の考え方にぼくは共感しています
だから尺には尺をでいけたらいいですね

自由意志に関する論争はもう何年も前に議論が出尽くされているので、新たな論客が現れても、誰もが聞いたことのある陳腐な説を温め直すくらいしかできないというのが通説になっている。
しかしこれはひどい間違えだ。
私はこれほど古びていない議論を知らないし、意欲的な天才が新しい説生み出すチャンスに満ちたテーマもないと思っている。
それも結論を無理に出したり、同意を強制したりするのではなく、両派の間にある本当の問題は何なのか、運命と自由意志という概念が本当は何を意味しているのかについて、私たちの認識を深めるチャンスである。
0274atheist
垢版 |
2019/09/18(水) 01:49:30.34ID:XpqMF7FA
>>272
急ぐようなことではないので、都合のいいときにお考えを聞かせてください
0275コズモスティオス
垢版 |
2019/09/18(水) 06:40:13.13ID:nSyr+nAE
おはようございます。
ガラテヤ人への手紙4章~6章
0276神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/09/18(水) 09:01:11.25ID:fJnBhSmY
おはよう
こずピィ達専門的な議論しててすごい
0277いさな
垢版 |
2019/09/18(水) 19:12:30.61ID:9KWwbIMZ
>>262
コズモスティオスさん、こちらははじめてきました(^−^)よろしく
お願いいたします☆彡

賛同いたします。

霊的な読解力も必要としますから、
とても表現しにくい事を思い切って言われました事にも感心いたしました。👏
0278コズモスティオス
垢版 |
2019/09/19(木) 01:44:43.85ID:QrTVat5j
>>277
いさなさん、いらっしゃい。
賛同ありがとうございます。

ただこのことはあまりおおっぴらには言えない
ことなので、私の個人的な考えとしてはと、
最初にことわっておきました。^^;;

というのは、聖書の中で至る箇所で、イエスの
御名によって云々、という言葉がでてくるから
です。

イエスの御名が全き愛・自己犠牲の隣人愛の霊
そのものを指すことを知っている人は、その名
を使う事はなんの支障もないと思います。

でもキリスト教以外の宗教の人や、キリスト教
を知らない、無宗教の人でも、全き愛・自己犠
牲の隣人愛の霊を知っている人がいると思うの
です。

そういう人たちが、イエス・キリストの名前を
知らなくても、その本質である霊を知っていて
実行しているとしたら、復活の後火の池に投げ
こまれるはずはないと、思ったわけです。

つまり、私としては、イエス・キリストの御名
を、個人の名前に限定するのではなく、もっと
普遍的な霊的存在とみなしたかったということ
です。

読みの深い、いさなさんなら、賛同して下さる
と思います^^v
0279コズモスティオス
垢版 |
2019/09/19(木) 02:08:24.41ID:QrTVat5j
>>276
かわいい、呼称考えてくれてありがとうござ
います。^^v

難しそうなこと話してるように見えるかも知
れませんが、大事な部分は、子供でも考え付
くような単純で簡単な内容です。

真理とは複雑で難しいものではなく、単純で
簡単なものだと思います。

イエス様が真理を話されるときは、子供にも
わかるような、簡単で単純な例話を用いられ
ました。

簡単で単純な話の中に、私たちを悩ませる
パラドックスが潜んでいます。これをどう
解釈して、パラドックスを無くすかが論点
であり、まだ解決に至っていません。^^;;
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況