米国人神父が取り組み、わからなかった公案
両手で打てば音が鳴る、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。

人は自分が聞きたいように聞く、とは、言うもの、これまで何度も悪意に満ちたデッチ上げを訂正してきたが、一向に耳が従う様子が無い、腹に一物有りの性悪漢なのかな。
この人は、以前は外資系化粧品会社の美容部員でした。
わたしとの接点は、ジャズが好きと言う点です。
頼まれて神社の巫女さんもやっていた女性。
のち頼まれてキャバレーのアルバイトもしてました。

その女性はジャズが好きで県の二つも先の遠くの街のコンサートにもフィアットを飛ばして聴きに通っていた。

説明はこれくらいで、良いだろう。

さて、わたしは万巻の仏教書をむさぼり読む時期があった。
その中の一冊に米国人の神父だったか牧師だったか、片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい、と言う公案に取り組み死闘の揚げ句、結局、わからなかった、と言う本を読んで、この公案に取り組んだ。
その取り組む中で、ある日、目を左方向に移した時、黄金の炎が立ち上がった。
これは何だろうと思った、その後も数回見た。
修行僧も見た人は多く、直接この黄金の炎を見たからと言ってさとりではないので、ああ、そうなんだ、と聞き流してください

さて、こういう時に、その女性と話していた時、「あなたが言う片手の人が拍手する音と言うのは、こういうことを言ってるのじゃないのかなぁ」と ジャズのコンサートでの事を話してくれた。
それからしばらくして、片手の人が叩く拍手の音を聞きました。
片手の拍手を聞いたものの、わたしの他に一如が分かる人はこの世にはいないのかな、と言う思いでした。
ですからわたしの色即是空時代は長かったのです。

それが有って、年月が過ぎ、同じく、隻手の公案に取り組んでいた臨済の修行僧がみんなに遅れて悟れずいた時、片手の拍手を聞いた!
それでお師家様の部屋へ、足音を荒々しく駆け込んで、聞きました!と喜んでいただきたいばかりに叫んだ。
すると、お師家様は、片手の声は聞こえない、と、色即是空から、空即是色へと引き戻していただいた。
それでわたしも、色即是空は空即是色に還(かえ)るになった。

さとり とは 法、真理、ダルマ である。
好き嫌いをしない、一味平等です。