天理教の基本 5の理
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宗旨の意味は 国語辞典では@ ある宗教・宗派の教義の中心となる趣旨。である。
天理王命と称するは、一つの宗旨(しゅうし)である。天理王命と 元一つ称するは、天の月日である。元一つ始めるは 女一人である。元よく聞いてくれ。
〔おさしづ 明治21.7.31〕
天理教の基本は、中山みき様のお名前が天理王命であることを基本教理とする。 創価学会池田大作SGI会長の絶頂期に、天理教団の破壊工作に乗り出したカイン。
天理教社会科学研究所に協力した植田氏や天理教フリーフォーラムの面々は、同じ因縁。
ゴキブリほいほいに吸い寄せられて、不満をはきますが、肝心の、池田大作先生は、SGI会長となって。
扉を世界に広げましたが、126の真の数理を知るわけもない。
南朝の皇統利用の、祭政一致を、公明党で推進の途中に、神の理吹くの5の理の2乗で、
公には出られないが、しかしSGI会長であるという、はびこりながら枯れて行く、「はびからし」。
元の親神と力比べするには、あまりに欲の深い、嘘だ固めた宗教ビジネス実業家のお姿です。 明治20年陰暦1月26日は (1887年)2月18日である。
年と21日目(125年目)に、2011年3月11日東北大震災
そんな深い天理教の126の理を軽く扱った池田大作。
126をぱくって世界に扉開いた創価SGIは、きちんと神の立腹を受けた。
そんなことも知らず天理教社会科学研究所は天理教の基本に、
観察されながら、2007年から天理教団崩壊工作をしたが、
2017年10月29日の新着記事以後更新がない。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/?p=1331
「NEW! 天理教次期真柱の結婚披露パレードが不評だったワケ」
私が聞きたいことは一つだ。信者から巻き上げた金を自分たちで存分に消費し、目の前でレーザービームとスモークを浴びせられ、神聖な神苑に大型ビジョンを乗り付けられ、天理教の神と存命の教祖は、果たしてどのような気持ちで見ていたのだろうか。
※天理教本部、大教会、上級教会、支部等から配布された書類、メモ、写真等を集めております。ご協力いただける方は下記メールに送ってください。送っていただく際には発行元とおおまかな日時をご記入ください。
ここで、以後はカイン本人の記事がない。 明日も日勤、明後日も泊り勤務なんで当然
前日からの山の中の末端教会の月次祭行けないんで泊り明け勤務後、献血行って、その後
今城塚古墳の埴輪前で萬とやって、後二下り?
位、練習しようと思ったが、ヤッパリやめて
一週間前?位に行った楯原神社めざした え、だって基本ちゃんは 青銅よりも鉄器の方が先とか 鏡は時刻をあらわすとか
蛇は気流の流れとか、縄文人が丸木舟で黒潮逆流してメソポタミヤへ行ったとか、
極めつけは 聖書のガラテア3:13 のろいをだして 天理の原理は呪詛だとか。
台風は天罰だとか 信じてるんだから訂正不能だし。 そうそう岩船もおもしろかった。
巨石に乗って空から降りてきて、今それは大阪にあるとか。 そう言えば以前 体中に納豆菌を塗り付けて 幽体離脱するんだとか言ってた人がいたね。
結局彼が予言した日にポールシフトは起きなくて 逃走したけど、
あれは>>1ちゃんじゃないの ?
大本から改宗したの ? 基本はオカルトでカルトの基本です。天理教中山みき派で、真柱派です。
今世界は、政経高山が、戦争にも誘導の情報操作など工作していて、開戦を防ぐために、
基本は天災を研究し、こふきを書いている。神の働きやすい環境づくりは天理教中山みきの、望みです。
15年ほどまえと記憶しますが、異端認定の数理「3625」を研究していて、創価学会が、国会では治まらないの予言の28年後に、政治活動をしていて、
創価学会の年表から、2ちゃんに投稿したところ、創価さんは年表を書き換えたので、
基本は創価学会に観察されていると知りまして、本気で呪詛に入りました。
それから天理教社会科学研究所カインなる人物の登場事情を調べました、正月26日をぱくった、SGIの日を知り、当然ですが、126の数理を説きました。
理を諭しておけば、神仏はお働きになる。
それにしても、126の理とは、姿を隠す理のことで、姿があっては、ならない。
創価学会の歴史は、天理教の異端として、最後は自分が神仏になるための模倣でした。
確かめておきます。 126の数理を理の怖さを知らず、SGI記念日を1月26日とした 創価学会の、「会憲」を引用する。
池田氏が天理の神のお怒りに触れた原因が見える。
会憲
釈尊に始まる仏教は、大乗仏教の真髄である法華経において、一切衆生を救う教えとして示された。
末法の御本仏日蓮大聖人は、法華経の肝心であり、
根本の法である南無妙法蓮華経を三大秘法として具現し、未来永遠にわたる人類救済の法を確立するとともに、
世界広宣流布を御遺命された。
初代会長牧口常三郎先生と不二の弟子である第二代会長戸田城聖先生は、
1930年11月18日に創価学会を創立された。
創価学会は、大聖人の御遺命である世界広宣流布を唯一実現しゆく仏意仏勅の正統な教団である。
日蓮大聖人の曠大なる慈悲を体し、末法の娑婆世界において大法を弘通しているのは創価学会しかない。
ゆえに戸田先生は、未来の経典に「創価学会仏」と記されるであろうと断言されたのである。
(引用つづきます) (引用続きです)
牧口先生は、不思議の縁により大聖人の仏法に帰依され、仏法が生活法であり価値創造の源泉であることを覚知され、
戸田先生とともに広宣流布の実践として折伏を開始された。
第二次世界大戦中、国家神道を奉ずる軍部政府に対して国家諫暁を叫ばれ、
その結果、弾圧・投獄され、獄中にて逝去された。
牧口先生は、「死身弘法」の精神をご自身の殉教によって後世に遺されたのである。
戸田先生は、牧口先生とともに投獄され、獄中において「仏とは生命なり」「我、地涌の菩薩なり」との悟達を得られた。
戦後、創価学会の再建に着手され、人間革命の理念を掲げて、生命論の立場から、大聖人の仏法を現代に蘇生させる実践を開始された。
会長就任に当たり、広宣流布は創価学会が断じて成就するとの誓願を立てられ、
「法華弘通のはたじるし」として、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」
「創価学会常住」の御本尊を学会本部に御安置され、本格的な広宣流布の戦いを展開された。
戸田先生は、75万世帯の願業を達成されて、日本における広宣流布の基盤を確立された。 (引用つづきです)
第三代会長池田大作先生は、戸田先生の不二の弟子として、広宣流布の指揮をとることを宣言され、怒濤の前進を開始された。
日本においては、未曾有の弘教拡大を成し遂げられ、広宣流布の使命に目覚めた民衆勢力を築き上げられた。
とともに、牧口先生と戸田先生の御構想をすべて実現されて、大聖人の仏法の理念を基調とした平和・文化・教育の運動を多角的かつ広汎に展開し、
社会のあらゆる分野に一大潮流を起こし、創価思想によって時代と社会をリードして、広宣流布を現実のものとされた。
会長就任直後から、全世界を駆け巡り、妙法の種を蒔き、人材を育てられて、世界広宣流布の礎を築かれ、
1975年1月26日には、
世界各国・地域の団体からなる創価学会の国際的機構として創価学会インタナショナル(SGI)を設立された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中山みきが扉開いて神となったように、池田大作氏も、神仏になろうとしたとわかる。 1975年1月26日をSDIの日と定めた。
池田大作は宗教ビジネスから祭政一致の世界宗教の神を目指した。
高利貸し金融業のノウハウを身に着けた、そして創価教育法、祭政一致。
南朝の皇統利用と日蓮正宗の利用を経て更なる事業展開の拠点を創った。
その100年前天理王命は、お筆先に、宗教の悪事を戒める理を説いた。
月日よりたん/\心つくしきり そのゆへなるのにんけんである (6-88)
それしらす今のところハ高山ハ みなはびかりてまゝにしている (6-89)
この月日大一これがさんねんな どんなかやしをするやしれんで (6-90)
このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく (6-91)
どのよふなたいしや高山ゆたんしな なんとき月日とんてゞるやら (6-92)
この神の立腹は、お釈迦様とイエスさま、天理王命、神仏以外には鎮められない。 おふでさき執筆の125年後、SDI記念日制定の25年後。2000年。
神の立腹は太陽の異常行動にと宇宙に生じ、磁場に生じている。
マスコミは報道しないが人間の生活原因の地球温暖化の問題以前に、
太陽の活動活発化、磁力線の増加など。地球の温度が上がる原因?かも
が、宇宙発の原因として登場した。
2000年五月、125年前におふでさきで、大社高山へのご立腹で、
中山みき、親神のまねをして、126に日を決めて神仏になろうとした、池田大作氏には、
これからハ月日かハりてまゝにする なにかの事をまねをしてみよ (6-73)
このところなにをゆうにもなす事も 月日のをもう事ばかりやで (6-74)
これからハ月日の心ざんねんを はらするもよふばかりするそや (6-75)
このさきハどのよなほこりたつとても これをやまいとさらにをもうな (6-76)
まさに病ではない、神の理吹くで、池田大作氏は、人前に出なくなっています。
中山みきは、やるのです。数理をきちんと整えて、確かにやったとわかるように。 災害、天災があった場合の天理教と創価学会の相違点、
天理教では被害教会はそれぞれ、独立の宗教法人だから、末端の被害は、
そのまま上級の被害とはならない。
部下教会の被害は、大教会の被害そのまま教会本部の被害とは、ならない。
創価学会は全国に、創価会館をたててある。
天災、があった場合、会館の被害は、そのまま学会の被害となる。
今、会館に被害があった場合には、来るべき選挙に重大な影響を与える。
今回の災害は、全国をじゅうたん爆撃的に被災地にしているから、
全国の会館の被災状況は、公明党の集票に大きな悪影響となる。
まさか、であろう。 情報操作や、嘘を常套手段と知る基本は、きちんと神に申し上げし、呪詛し、神仏の慈悲におまかせする。 たまたま“自力 他力”でググッて説明みて解った。主語が私と阿弥陀仏の場合を統合したら
『人を助けて我が身助かる』そのまま。結局
真宗が戸籍·葬式仏教に形骸化したのを天理が
解り安く具体化した そりゃ法然、親鸞、一遍とか実行者。カリスマ、実質インフルエンサーは遥か昔···道理でオチバの巨大な瓦屋根、東西本願寺にも似てるかと前々から思ってた?他の宗教要素混ぜて浄土宗の教えを当時リニューアル実行者。
130年?天理も形骸化しないよう頑張らないと行けないか? 本願寺の屋根に瓦製の千木って、ほんと
ドンだけぇ〜〜え!? 萬にしても、各下りの終りにしても。拍じゃなく
手を合わして·············南無阿弥陀仏の阿弥陀仏の所
が·····どう考えても仏教、浄土宗
そりゃ親様、雛形を真言宗じゃなく吉田神道を強く推したの道理。も道理。今気付いた 仏教行為した後の4泊考えさせられる
今オチバ南拝殿野外パイプ椅子なう。12下り目
中、、でわ、もうライブ書き込み終ります。。 人間を創った宗教なんだから種類多いのは道理
?天理に外国宗教の成分は有るのか?知識ないから自分には判らないが。吉田神道自体は確か?儒教、道教、密教、陰陽道の当時のハイブリッドだったはず、、、今、石上神宮初めて行ってきた、目と鼻の先だった ご本部の月次祭からの?だから行けるかと思ったが、行けたんだから、やっぱり、この前の
磐船神社からの式内楯原神社からの石上神宮。
と、参考館の古墳図にも布留の地と、フルベなんたらフルベの十種神宝の説明は無かったが
昔授業で習った七支刀?の文はあった 境内にやたらエリート鶏?の古事記とか?に
出てくる長泣き鳥いっぱいいて昼間から、やたら泣いてた、何か?雰囲気
ある京都にありそうな?エリート神社ぽい。前、上司といった大和神社は戦艦とか、護国神社系の雰囲気だったし
三輪みたいに大社感無かった?様な?規模的 フルベって、フルベッキーと関係ないか?
なんか?時間軸的に神殿講話の人に
上からと言われた、様な?内容的に。最近は
脳内。妄想、事実イーブン理解してるが。
昔と違い、この一連の書き込み自体。自分でも
手グセ感。此れが治らないと、新たなる御守護貰えないのも理解。参考館行った時も直前に 近くの三島神社と教祖の墓行ってみたかったから行った。他に先なやらないと行けない優先課題あるだろと〜に怒られそうなの解ってても
無駄に生きるのに役立たない知識欲が
。だいたい生きて存命の教祖殿あって、行っても意味ないと···本人が、粗末なので頼むと
そう言や一遍上人の神戸の御陵?行った時も
。本人は骨は犬か狼にでも食わせと本人は希望したが、回りの弟子?は、そうが問屋が 一遍上人も親様も墓は超巨大ではないが
それなりに大物の墓だった。まあ、それが
言いたかっただけ、終り。疲れたた
泊り明けで。因みに、石上神宮の御賽銭は
直前のオチバや楯原神社や磐船神社より
少なくした。なんか?マズイと
何?この文、自分でも思う、神殿講話の
暴走族の少年の噺は良く判る。具体的に
かかないが 自分にはない、荒き棟梁や男神や平野樽三氏や
天理のラグビー、柔道、、相撲、野球部や暴力事件とか
、。、の類いの、巨大組織は国家でも教団でも
会社でも政治でも実働、実動は身体性の担保がないと、事は進まない、夢は実らない、勝負には勝てない。勉強、知識、偏差値高くても結果に結実しない噺。かと?やっと終われた
終り。 >>422 ガラテア 3:13 のろい 基本ちゃんには理解はムリだね。
不正な引照
旧約では 「処刑された者は 腐敗が早く衛生上よくないから また夜間動物がきて細菌をまき散らすから
夕方までには埋葬しなさい」という規則。
これをパウロに直接当てはめると「キリストは キリスト教徒のためにばい菌となって、衛生的な規則を守らなくてもよいようにした」
が 正しい引照となる。
四書を含めて新約には このような旧約からの不正な引照が 数多くある。(ねつ造)
パウロはゾロアスタ二元論者であるが 法王は一元論に軌道修正を行おうとしている。 だから 基本は 呪詛という言葉の曖昧性を使って 【こふき】を善悪二元論宗教化しようとしているのは、
火を見るよりも明らかだということ。(反人類教化)
基本ちゃんは 前頭葉機能障害。 呪詛と言う言葉は曖昧ではない。
呪とは、兄が言うと書いて呪,詛は、神への捧げもの且の言と書いて詛。
神は親であって、どこにも善悪の二元はない。
>>1
天理王命と称するは、一つの宗旨(しゅうし)である。
天理王命と 元一つ称するは、天の月日である。元一つ始めるは 女一人である。
元よく聞いてくれ。
〔おさしづ 明治21.7.31〕
天理教の基本は、中山みき様のお名前が天理王命であることを基本教理とするが、
天の月日は「善」、「慈悲」「ぬくもり」であり、善そのもの。
中山みきは弥勒菩薩で、衆生を救済するという菩薩。善。
そのこふきは、悪を払えと言う教えで、全区二元論など、さぁばんと Servantさんの
妄想的見解で、五の理の間違いであるから、呪詛します。
衆生を救済するという菩薩。
その救済は、五つ理を吹くで行う五の理と言うものが、中山みきのこふきの中核をなす。
天災も病気も、悪を吹き飛ばすといういみで、五の理です。 誰かが、天理王命の真似をして、自分も天理を使えると見せかけたら、
その嘘を暴かないと、善にならず悪に負けます。
中山みきが126の数理で神になると示したのはお筆先に明らかですが、
池田大作氏が真似をして、正月26日をSGI記念日としたのは、悪しき行為だから、
天は「はびからす」、これは、天理王命の善の一元を示しています。
基本はそれを、計画的に論理的に説いていて、前頭葉機能障害ではない。 さぁばんと Servantさんはこんな言葉を自白した。
「 パウロはゾロアスタ二元論者であるが
法王は一元論に軌道修正を行おうとしている。 」と。
法王と言えば、 2017年11月10日、ローマ教皇庁・人間開発促進省主催の、
核兵器のない世界への展望を巡る国際会議に、SGIを代表して、
池田博正SGI副会長らSGI訪問団が参加しています。
池田大作師と池田博征氏には行動原理おいて変化があります。
それまでの主張 〔創価学会版 仏教哲学大辞典 池田大作監修より〕
「因果の理法をわきまえず、生命の根源を何ら明かすことのできない
低級哲学のキリスト教は、
過去の一時期、仏法のいまだ流布されない一地域をうるおす役目を果たした過去の宗教にすぎない」
大作師の論、これも善悪二元論の一種ですよね、法王のしもべServantさん。 天理教の基本5の理とは、人間は五分五分であるという理を基本とします。
その最も大切なことは、宗教や信仰で人間を差別しないという事で、
天理教の真柱であれ、会長職であれ、特別な人間はいないという事です。
世界でいえば、ローマ法王であれ無神論者と五分五分。
基本とServantさんも、五分五分。
無視するというのは、六四でむし、六分四分に見下す態度ですから、五の理に反します。
本当はどんなお方でどんな神意で登場されたかは、あるとしても、ないとしても、
無視するというのは見下げたことになりますから、基本は、五分五分に、全力で対話します。 Servantさんの論には、背後に語られていない事情があるのか、分かりませんが、
基本の聖書解説(聖書・こふき論)への、ユダヤ神秘主義、法王などの見解に寄せて、
Servantさんの批判があるわけです。
基本の聖書(新約。旧約)への意見は、縄文人の信仰(文様時代)を根とし、聖書は
モーゼやキリストの言行以外の記述は「教会信仰のつけたし」だと、批判の立場です。
Servantさんは組織信仰の下僕、奴隷であることを信仰の正義とするお立場、
基本が何を言いたいかは、Servantさんにはある程度察しが付く。匂いが分かる。
信仰組織の説く真理一つと知るServantさんは、信仰も宗教の真理だが、教えには、
呪術信仰(おまじないや祈祷)もある天理教だと説く基本は、結局は、
教団が公然と言わない、説かないところの呪詛信仰なのに、ギリシアの用語と神道の用語にて、
天理教は「呪詛信心」だと説いているわけですから、唯一の真理を否定されたと思う。
基本は聖書信仰は 「真理信仰と称し」で「魔術を否定した」と語る。
基本は「呪詛こそ天理教」という五の理を説いているわけです。
Servantさんは「呪詛は二元論で真理(天理)ではない]」と対決の姿勢ですから、
五分五分に受けて立ち、Servantさんを呪詛するわけです。
この対論は、スレの趣旨に合致しております。 >>1
>天理王命と称するは、一つの宗旨(しゅうし)である。
「天理王命と 元一つ称するは、天の月日である。」このお言葉は、
・・天理教団内の学者の研究を引用しますと、
http://blog.livedoor.jp/rokkouoroshini/archives/1040881940.html
『 それから中西本では、
『我は天の将軍なり。 此屋敷は神の予定の地なり。今や時至れり。
我は全世界を救わんが為めに降れり。 此屋敷と親子を併せて我に捧げよ』、
かような言葉になっています。 』
とありますように、天の将軍として捧げものを命じた姿が、宗教上正しい認識です。
引用続けて、初代真柱の記録の事です。
『 『大神宮ナリ』ト(『天ノ将軍』トモアリ) 御答エアリ 市兵衛曰(いわ)ク
「是迄幾度(これまでいくど)モ降神アルモ如斯(かのごとき)神ノ御下リハ嘗(かつ)テナシ」ト
大(おおい)ニ怪訝(けげん)ノ想(おもい)ヲナセリト且(か)ツ仰セラルルニハ
『此屋敷親子諸共貰ヒ受ケタシ(この屋敷、親子もろとも、もらい受けたし)』ト
仰(おおせ)ラレキ尚(なお)仰セラルニハ
『聞キ入レ呉(く)レタ事ナラバ三千世界ヲ助クベシ
若シ(もし)不承知ナラバ此家粉モナヒ様ニスル(粉も無いようにする)』ト
(復元 第33号 27頁) 』
『「これは前川の隠居から聞いた話である」こういう風に割注があります。』
神の側からの呪詛ともいうべき捧げものの強要と予言があったことは、事実です。
五分五分の関係の親神と人間なのに、力づくの相談があった。
天理教の宗旨の始まりは、理を吹くにおいて「神のいう事聞け」なのです。
受ける受けないは人間の自由ですが、ひどい話です。 >>1 >>443
> 神の側からの呪詛ともいうべき捧げものの強要と予言があったことは、事実です。
> 受ける受けないは人間の自由ですが、ひどい話です。
我は天の将軍なりとの天の武力の権力者天理王は1838年12月12日五つ時刻限に、
教えを聞け、聞かなければこの家(粉も無いようにすると脅したのです。
その時、いう事聞いたふりの夫善兵衛は、15日の善悪の分岐の日限で、15年目、222の5の数理で1843年3月31日に死んでいます。予言どうりです。
五の理は、五分五分ですから、実数にて隔てなく実現します。
天理教の教え五の理とは、基本的に呪詛の教えであります。 お筆先によれば、呪詛は誰でもできます。
理を諭す、手出しはしない、手差しもしない。
それだけで良いのですから、簡単で五分五分です。理であれば正義は通ります。
理で無かったら、残念で、神の残念までも願うと、願った人が死にます。
人の不二を願うと、神は残念です。人の幸福を願うのが、呪詛の基本です。
幸せを、良きようにとて 十分に身についてくるよう、呪詛の腕に磨きをかけるには、
教えの根を掘る事です。
Servantさんとの対論は、とても素晴らしい機会であり、しっかりと磨きます。 おたすけの場面では、呪詛は極めて有効な手段です。
夫が浮気して女のところに行って帰ってこない。夫を取り返したい。
こういう願いをした奥さんがいて、基本が小学校の頃ですが、母親がその奥さんに、
「たんのうするんですよ」と諭していた。
母親とはよく相談しましたが、「すべてを神様に捧げてしまうということ」を教えた。
そして「自分は妻を続けたいのか、やめたいのか」を確認させた。妻を続けたいというので、
「戻ってきたら絶対に夫のこと悪く言わない、絶対に話題にしない」、全部神様に捧げてしまう。
その心を定めさせて、それで神様にお願いした。
すぐ夫から連絡があって、相手の女の正体を見た、今から帰ると、それで願いは叶った。
以後、その奥さんはなんでも私に相談したが、後に、天理教大嫌いのご主人は、
家内を引止めてくれただけは感謝しているが貧乏な天理教は嫌だと、基本に告げた。
のちにご主人は大きな神殿のある天理大学教授が教会長する教会にて入信した。 基本は小学校は、朝晩おかき下げを暗唱し、中学に入るころは、ポケットには「論語」、
お言葉集(おさしづの言葉)を愛読しというオカルトで、基本に天理教を教えてくれたのは、
宮島佐太郎(当時80才頃)先生で、この人の師は天理教会本部を懲戒免職になった布教師でした。
基本がおさづけを頂いたとき教会で学んだおさづけの作法を父からならった。
その作法がどうやら普通と違うと、確認した処、甘露台のさづけという作法という事でした。
そんな具合でしたが、宮島先生の講話は「三年殺し」のお話の連打で、
「天理教を馬鹿にした〇〇に棲んでいただれだれは、○月○日に△△秒で死んだ」
「自分の息子はお守りを山になくして、3年で死んだ。」を含めて、当時の録音が残っていれば、
文字どうり、3年で死んだお話の、山だと確認できるでしょう。
3年殺しの宮島先生には、病気をたすけられた信者が山ほどいて、・・・
この3年殺しが、いわば呪詛なのですが、「いう事聞かねば死」という、片理教の
基本教理を、ズバリ説いていたわけで、宮島先生の講話は最前列で聞く、小学校入学前からです。
母親が、膝に乗せて聞かす。だけでなく、基本は自分から、宮島先生のお話を聞きたくて、
機会があれば、求めて聞きました。
父親は、小学校に行って、教会の祭典日には天理教で休ませますと、あいさつし、
基本は宮島佐太郎先生から「みんななんでも口で言わす」(自白の教理)と、
「神に背けば三日で死ぬ」(3年殺しの教理)で、しっかり洗脳されました。
これは天理教の基本、5の理のうえでは大切な体験でした。 >>447
ばぁか お前がすることは教学を引っ掻き回して 改ざんすることではない。
天理の修業の基本 早朝まだ暗いうちの清掃。
お前は 下座の精進 死ぬまでやれ。
修業から逃げて 何ふんぞりかえってんのや ? 基本は、子供の頃、教会にあった道の友と真柱訓話集で、天理教団の教理を学ぶ、
天理教の出版物は売られてるものは全部、繰り返し読んで、学びました。
そして、一言でもいいから学んだことは人に諭しました。だから、
色々な悩み相談が来ます。それをお言葉集と、十柱の神の理の教理本で調べて、
宮島佐太郎仕込みの「自白」と「三年殺し」の併用で応じる。助かったと言われる。
なにせ本部員を鼻で笑って馬鹿にし、上級教会会長も大教会も鼻で笑っている佐太郎。
お前たちには天理教はできないだろうと、見下していました。かっこよかった。 >>448神も仏も名無しさん2019/09/27(金) 19:34:08.87ID:JQ54gyaA
>>447
>ばぁか お前がすることは教学を引っ掻き回して 改ざんすることではない。
>天理の修業の基本 早朝まだ暗いうちの清掃。
>お前は 下座の精進 死ぬまでやれ。
そんなこと、18までにさんざんしましたが、意味ないです。
真冬に雪の中、はだし参りとか、ね、あなたしてないでしょう。
信仰組織は、下座とか上座とか五分五分でないことを強いる。それは大埃です。
>>448神も仏も名無しさんは、「お前は 下座の精進 死ぬまでやれ」との自白。
神様に言わされましたね。
呪詛します。 天理大学の宗教学科の先生方とは表棟梁の清水国男先生が対論させて下さいました。
ご挨拶は済んでいます。
橋本学長には「中山みきは天理王命であるとして、天理教教理を体系化します」と、
きちんとご挨拶してあります。
>>1
>天理教の基本は、中山みき様のお名前が天理王命であることを基本教理とする。
これを基本教理としていないで、
448神も仏も名無しさん2019/09/27(金) 19:34:08.87ID:JQ54gyaAさん、
>>447
ばぁか お前がすることは教学を引っ掻き回して 改ざんすることではない。
・・・・・・・・・・・・・・
基本は「教学」なんて引っ掻き回していませんよ。天理教学の大掃除です。
18才で、それを精神定めして50年、こうして理を諭しておけば、神が働くのです。
おかわいそうに思います。
真から信じていない天理教の親神、中山みきを天理王命と心から拝せない、
お気の毒に思います。
自分が心から信じていないのに、天理教学とかかたるのは、嘘つきです。
早く、おやさまの言う事を全部神の言葉だと、分かってもわからなくても、
胸に納めてください。
呪詛します。 >>451呪詛
ガラテア 3:13 に由来
だから 基本は 呪詛という言葉の曖昧性を使って 【こふき】を善悪二元論宗教化しようとしているのは、
火を見るよりも明らかだということ。 3:13
キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、
わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。
聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キリストは「呪いとなって」と明記されています。
基本は呪詛するだけですが、キリストは呪詛そのものになられました。
「木に掛けられるもの」とは十字架にはりつけになる人、皆にイエスは呪われました。
呪われて、キリストは呪詛そのものとなって、世界をたすけておられます。
基本の尊敬する、イエス様こそ、呪詛の使い手です。さすがです。
ガラテア 3:13 に由来 です。 信仰者は、こんな風に解説します。ガラテア 3:13
https://blog.goo.ne.jp/kamisanbi/e/0a3ae54e49a3bab4d98c9e854c8390c1
キリストの福音によって,わたしたちは呪いのイバラから解放され,
アブラハムの祝福を受けとることができます。
「キリストは,私たちのためにのろわれたものとなって,
私たちを律法ののろいから 贖い出してくださいました。
なぜなら,
『木にかけられる者は すべてのろわれたものである。』 と書いてあるからです。
このことは,
アブラハムへの祝福が,キリスト・イエスによって 異邦人に及ぶためであり,
その結果, 私たちが信仰によって 約束の御霊を受けるためなのです。」
(ガラテヤ3:13−14) >>350
>Servantさんと基本の論は、論点が6つあります。整理します。
>論点1 宗教とは何かについて、
基本は天理教という宗旨、対してServantユダヤ神秘学。非宗教の立場。
論点2 こふきの内容について、
基本は天理教の元の理。Servantはそれは伏せる立場。
論点3 文字について (粘土板の解読のこと)、
基本は文字の仕込みに粘土板を含めない。Servantは粘土板文字を認める立場。
論点4 今回起きた自然災害について、
基本は天災は神のたすけと知る、Servantは人間の技で対応との立場。
論点5 呪詛、生贄について、
基本は呪詛はたすけを願う行為、Servantは呪いとみなす立場。
論点6 たすけたまえの願いについて
基本は神と人は五分五分で願いを告げる、Servantは願わない立場。
つまり、天理教祖のお筆先を読まないで概要すらしらずに、
Servantさんは、天理教の基本5の理スレで、根拠を示さず、天理教を批判したという事です。
論点5、ではまだ立場、鮮明ではありませんよ。
論点6、では、たすけを願うかどうか、鮮明ではありませんよ。
明かせますか、お立場。 アラユル問題解決の糸口には
教祖が示したような実力が必須でしょうね。 今、職場の上司と子供と某図書館なう
続わけあって絶滅しました。読んでるが
考えさせられる、あの時、ああすれば良かった
・、・。中生代ジュラ紀から新生代第四紀あたり?から
オヤガミも"こふき"の草案を考えてた? あの時ああすれば良かった、あの時、教会を
飛び出してたら良かった、あの時、退職してたら良かった。オタクも俺もヘンテコ恐竜も皆
同じか?!ある特性だけ優れてても``` まあ、飛び出しても・・その時点の・・・・運?実力?徳?か知らんが・・・出世して帰ってくる(帰って来ない?引き篭もり?死亡?···)保証はないが。
リスク負い。やる人はやるし。俺みたいに
やらないで2chで未練がましく書き込···
まあ人生本人の決断。 心得違いは出直しや。は俺は戒律破りと捉えてるが、〜は違うかと?ヤクザの組抜けや自衛隊の脱走でもあるまいし。会社就職正社員でも同じ大きな組織は、嫌ならやめろ。辞めるリスクは自分の責任。辞めて、悠々自適に生活できる
や夢叶う始めから自力·実力·徳あるはず 外にでて、例え負けて帰ってくる人間は
教団に責任転換しないかと?お前は、お気楽の通い用木で幼少から教団で生活してないから
と言うだろうが、俺の場合。外に居るからコソ
(マズイからボヤカシ言うと)その困難の圧、首の締り方が天理の関わりの濃淡で変化する スプーン曲げより凄いかと?でも人には説明出来ない不思議・、。、,続絶滅しました、まだ、半分も読んでないから。終るわ >>459神も仏も名無しさん2019/09/27(金) 23:41:10.28ID:32Z1t8RX
>アラユル問題解決の糸口には
>教祖が示したような実力が必須でしょうね。
恐竜には巨大であるという、絶滅因縁があって、大教会や大組織は、恐竜です。
脳の指令が、届くには、巨大すぎるので、第2、第3の脳が必要である。
大男、総身に知恵がまわりかねと、昔のことわざですが、
大組織では、「そばなもの」、側近や官僚が力を持つ。つまり脳がいっぱいいる。
おやさまは小石がとても大切でした。
一人一人は、五分五分の存在として、おやさまは小石のような「講・こう」。
講を結ぼうと言われています。 >アラユル問題解決の糸口には
これはたすけの道は千筋、助けの糸口は、意図と口で、「いとぐち」です。
助けたいとの意図をもって、口を利く。
おやさまは、「ひとことまでで皆助ける」と言われています。
おやさまほどの能力はなくとも、恐竜でなくても、小さな脳であっても、
助けたいという意図をもつことから、口を利く。
そのためには、お言葉を知る、学ぶ、教えの根を掘ります。
なにやってんだ、力もないのにと笑われたら、おやさまがにっこりします。
助けたい意図と語れるお言葉があれば、たすけの糸口が開きます。
そして、たすけは、みき姉さんがしてくださいます。
南無天理王命、南無天理王命。 論点5 呪詛、生贄について、
基本は呪詛はたすけを願う行為、Servantは呪いとみなす立場。
>>457神も仏も名無しさん2019/09/27(金) 23:21:35.42ID:ICWYO4ex
信仰者は、こんな風に解説します。ガラテア 3:13
https://blog.goo.ne.jp/kamisanbi/e/0a3ae54e49a3bab4d98c9e854c8390c1
これを基本的に説明します。
「キリストは,私たちのためにのろわれたものとなって, 私たちを律法ののろいから 贖い出してくださいました。
なぜなら, 『木にかけられる者は すべてのろわれたものである。』 と書いてあるからです。
このことは, アブラハムへの祝福が,キリスト・イエスによって 異邦人に及ぶためであり,
その結果, 私たちが信仰によって 約束の御霊を受けるためなのです。」
(ガラテヤ3:13−14)
これは、キリストのはりつけと十字架上の死、死後の復活と、多重言語での説教のことです。
以前に天理スレにて投稿し過去ログにあります。引用します。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1563701747/l50
589 :神も仏も名無しさん:2010/02/07(日) 02:38:39 ID:N2uy5ssW
222の五つ
ニニンガ4、シニが8、ハチゴ40と、このように簡単に計算しますと、40とか、4とか数字になります。
四というのは、普請の数理です。 ・・・
大工という理について、数理という問題で、イエスキリスト様と、伊蔵さまと、
お二人においての「4」という数理で、確かめておきたい天理の話題です
(引用続きます) (引用の続きです)
普請の数理と言うのは、四です。
おやさまは、四の数理について、こう教えられています。
http://homepage3.nifty.com/nagano_karasugawa/bunko/itsuwahen.html [ソースチェック]
逸話篇173 教祖は、高井直吉に、
「不足に思う日はない。皆、吉い日やで。世界では、縁談や棟上げなどには日を選ぶが、皆の心の勇む日が、一番吉い日やで。」
と、教えられた。
一日 はじまる 二日 たっぷり 三日 身につく 四日 仕合わせようなる ・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イエスキリスト様においての、四の数理はどのように示されてありますでしょうか。
聖書の記述を年表に整理した、内容から、確かめておきましょう。
590 :基本。:2010/02/07(日) 03:06:43 ID:N2uy5ssW
イエスは三日目には死者の中から復活、
四十日間にわたり、弟子たちの前に現われ、教えを説いた後に天に昇っていきました。
先ず、キリスト教の信者さんには最も重大な、イエスの復活という、そこにおいての数理に注目します。
三日→四十日
三日間は、「洞窟・埋葬された穴、にいて、それから、四十日間教えを説いた。
これが、大工のイエス様のなされた事です。
それでは、大工の伊蔵さまはどうだったでしょうか。
元治元年に、入信して、三年間はお屋敷に住まいされます。
そして、その後、四十年間教えをといて、死んでいます。
こういう、一致は、「しあわせなるよう」と言う、天のはからいと言うよりありません。
(引用さらに続きます) (引用続きです)
591 :基本。:2010/02/07(日) 03:16:15 ID:N2uy5ssW
イエスキリスト様は、やまい助けの名人であった。
イエス様の入信は29才頃といわれていて、大工をしていた。
そして、やまい助けを開始されて、三年千日で、「神の子イエス」とあがめられるようになります。
31才から34才までが、イエスキリスト様の、世界の普請の第一幕で、十字架にかけられて、死にます。
けれど、三日で復活し、四十日で、キリスト教会の基礎をきづいて、死にました。 (引用の続きです)
592 :基本。:2010/02/07(日) 03:40:45 ID:N2uy5ssW
念のために、復活のことに触れておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E7%A3%94%E5%88%91
キリストの磔刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キリストの磔刑(-たくけい、-たっけい)は、キリスト教の聖典である新約聖書の四福音書に書かれているエピソードの一つ。
ナザレのイエスがエルサレム神殿を頂点とするユダヤ教体制を批判したため、死刑の権限のないユダヤ人の指導者たちによって、その権限のある支配者ローマ帝国へ反逆者として渡され、公開処刑の死刑である十字架ないしは杭に磔になって処刑されたというものである。
十字架刑 [編集]
この時代の磔刑では十字架につけられて即死することはなかった。
刑を受ける者は両手首と足首を釘でうちつけられ、体を支えられなくなることで呼吸困難に陥って死に至った。
そのため、長引く場合は48時間程度も苦しみ続けて死んだと言われる。
ただしイエスと共に十字架につけられた二人の男[1]は、安息日に死体が十字架にかかっていることを厭ったユダヤ人たちの依頼で、安息日を迎える前に足を骨折させて窒息死させられた。
兵士はイエスの足も折ろうとしたが、すでに死亡していたためやめた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、埋葬されたが、その洞窟には遺体がなかったと、復活の証拠になっています。
これは、実に合理的なキリストの復活劇だとみなすのが基本です。 (引用の続きです)
:基本。:2010/02/07(日) 03:51:35 ID:N2uy5ssW
>>592
> イエスと共に十字架につけられた二人の男[1]は、安息日に死体が十字架にかかっていることを厭ったユダヤ人たちの依頼で、安息日を迎える前に足を骨折させて窒息死させられた。
> 兵士はイエスの足も折ろうとしたが、すでに死亡していたためやめた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
そのとき、イエスと他に二名の男が貼り付けになっていた。
他の二名は、生きていて、足を折られて死期を早めた。
ところが、イエスはもう死んでいた。
それで、死体として埋葬されるのですが、まさに、普通に考えても、イエスは瞑想の名人であり、ヨーガの達人のレベル以上。
強盗犯二名よりも簡単に死ぬということはありえないのです。
呼吸法の大名人なのですから。 と、基本は、考えます。
復活というよりも、仮死の瞑想術と、みなします。
イエス・キリスト――四十日間の断水断食 これもキリスト教での大切な教え。「悪魔よされ」です。
キリスト教の開祖であるイエス・キリストも、40日間のサマディを行なった。
とみなす新宗教はたくさんあります。
釈迦が三昧、サマディと言う瞑想に到達し、悟りを開いたごとく、
イエスキリストが、この四十日の断食で、サマディに到達したとみなすわけですが、
いずれにしても、常人を超えた瞑想(ヨーガ)の達人であることは、普通に理解されることで、
それが、呼吸法も知らない他の二人より先に、窒息で死ぬということは、ありえない。
だが、一見すると仮死の状態が、三昧(サマディ)ですから、
きわめて合理的に、イエスは死んでいなかったとなります。
「四十日」の断食。
ここにも、イエス先においての、「4」の数理があります。
これが、四十日→四十年の布教→キリスト教会。
キリスト教教義の根幹をなすものとして、実は「四つよなおり」の数理があると言うことです。 恐竜は言い安い例えで、恐竜以外が・、。
亀が頭に角はやしてしまったから、甲羅に
引っ込められず・、。とか色々忘れた
・・・〜と別れて又、磐船神社行ってきた、今日は車だから上司の家から20分もかからなかった、ネットに物部氏の神が亡くなったのが
白庭山って、どう言う事?白庭台駅の近く?
式内楯原神社いった時に息長氏の ちっさな碑あったが、二回目いった時は
直前に一キロ以内の、バス停前の何たら池前という名前のバス停、古事記の后が身投げした?
の宗教法人(寺)、・、。そとから丸見えの
碑文の息長氏何たらの文字、こっちの方は
楯原神社境内よりドデカイ石碑でググり関連で
解ったのが、誉田八幡宮の12年後に宇佐八幡宮
の前身の意味解った、応神天皇は宇佐出身で
息長氏も?宇佐〜四国〜喜連瓜破〜近江にだったか? 今、スーパー銭湯青空二階駐車場なう、
風呂行っくる、明日から又、仕事一週間始まる終り。俺が貢献できるのは、
お布施、送迎、献血、個人でやるゴミ拾いだけ
?・・疲れた。終り 人を助けたい心って確か?真宗、浄土宗の
阿弥陀仏の本願?菩提心じゃなかった。だから
私が主語で苦しんでる人を助けたい、阿弥陀仏が主語で
苦しんでる人(この場合、私)を助けたい
だから。人助けて我が身助かる。と同じ。比叡山の落ちこぼれ凡夫の親鸞と同じ 親様が天啓?とは別に家が浄土宗だったから
法然、親鸞の意志と一遍のやり方を神道を使い
よりシステム化?高オペレーション?確率を上げた(普通一般道徳でも言う良い事すれば良い事が悪いをすれば悪い事)信者に対しては まあ内の家が真宗だし一遍にも興味もったから
そう思っただけで、家が日蓮系の用木の人は
日蓮宗のこの部分を天理は取り入れてるのでわ
?と気付く人がいるかも?と自分みたいに···
あとキリスト教なら、とか他にもあるかも
荒き棟梁の発想なんか日蓮系のイメージある
強者の悩みとか?他力って弱者、一般の悩み
イメージ あと天理ってアップデート版、最新版だから
生贄、人柱って概念ないはず。アニメ天気の子
に人柱って表現でてくるが、あれは『担保』の
言い換えでわ?主人公が晴れにする能力?霊力
?をあんなに使わなければ早く亡くならなかったんだから。気功でも天理みたいに 上から降ろしくる系と仏教系みたいに本人の
能力系?力使う系?は確か?相手をお祓いしたら本人はクタクタになると聞いた事ある様な?
終ります。 日蓮系以外に禅宗、山伏系も身体性高く、
武士とか名家、有力者や勝者筋が多いか
、、、一遍なんか南無阿弥陀仏を広めてる割に本人が海賊(水軍)の棟梁って、トライアスロン
並みの踊り布教って凄すぎ。親鸞家康なら一遍
って信長、秀吉的イメージ
おわり あと昔から正信偈を意味解らず墓や仏壇で唱えてたが、御経なんで当り前だが、最近ちょっと解って来たのも親様のお陰と思う、一遍展いかしてくれたから、どんらん、善導、源信、
源空、が四字熟語の一部じゃなく高僧の名前
だったとか、回向?の五十六億七千万弥勒菩薩は年をへん〜の所とか、数字の言葉遊びも
何か意図ある?弥勒サブロク協定とかは冗談だが、数字ダジャレも馬鹿に出来ない?か おふでさき5号には、五号 七十七才老女 明治七年五月
いきなり、牛馬というという話題と前生・後生の問題が登場します。
いまゝでハぎうばとゆうハまゝあれど あとさきしれた事ハあるまい (5-1)
このたびハさきなる事を此よから しらしてをくでみにさハりみよ (5-2)
今までは前生・後生、後生・前生についてしらなんだ。つまりそこがダメということ。
このたび、というのは実の箱時代(立教から扉開く・天理教会開始まで)です。
天理教が立教され「身に障り」を見せる時代が来た。
つまりイエス様やお釈迦様は天罰・仏罰の原理原則を教えたが、そこが人間はちゃんと聞けていない。
天国や地獄も「幽冥」の出来事、「夢物語」で、「説話」であると「哲学である」と、駄目な教えに落した。
理を曲げたのは信仰組織の長たちで、それで、「新宗教・天理教」がはじまった。
仏の因果応報もキリストの神の審判も具体的な事実としての「天理」なのだよと、教えたのが天理教。
親神中山みきの、教えなのだよと、宣言されています。
五号 七十七才老女 明治七年五月の 刻限は、五号・五月は五の理で仏法を意味します。
七十七才老女 明治七年 刻限は、777の理で、キリストを示します。
以上を前提に、おふでさきは、仏教系の人、キリスト教の人、おのおの個別であるを諭します。
そして、現実に、神が善悪を分けるという宣言をしています。
この宣言は、明治21年から実効が開始されて、やまい助けの天理教は大繁盛です。
明治21年の天理教会開始以前にあった「不思議なたすけ」(初代たちの出来事)は、
実の箱時代の、「ひながた」(モデル)であり、中山みきは模倣魔術として「鏡屋敷」をつかう。
その悪しきモデルがおふでさきや、逸話編に収録されています。
あく因縁のお話ばかりが大教会初代や先人の話題であり、真似しないほうがよい。 心どうりに病気にするよという、天理の発動は万民には明治21年からですが、
その、5・5の理(仏法)、777の理(聖書教)の教えの、駄目つめをする原理原則は
実の箱時代には、55、777の刻限で以下記されています。
このよふハいかほどハがみをもふても 神のりいふくこれハかなハん (5-3)
めへ/\にハがみしやんハいらんもの 神がそれ/\みわけするぞや (5-4)
一やしきをなじくらしているうちに 神もほとけもあるとをもへよ (5-5)
これをみていかなものでもとくしんせ 善とあくとをわけてみせるで (5-6)
このはなしみな一れつハしやんせよ をなじ心わさらにあるまい (5-7)
をやこでもふう/\のなかもきよたいも みなめへ/\に心ちがうで (5-8)
せかいぢうどこのものとハゆハんでな 心のほこりみにさハりつく (5-9)
みのうちのなやむ事をばしやんして 神にもたれる心しやんせ (5-10)
どのよふなむつかし事とゆうたとて 神のぢうよふはやくみせたい (5-11)
いまゝでハ神のぢうよふしんぢつを しりたるものさらにないので (5-12)
これからハいかなむつかしやまいでも 心したいになをらんでなし (5-13)
しんぢつの心を神がうけとれば いかなぢうよふしてみせるてな (5-14)
こらほどの神のしんぢつこのはなし そばなるものハはやくさとれよ (5-15)
これさいかはやくさとりがついたなら なにゝついてもみなこのどふり (5-16)
けふまでハなによの事もせかねとも もふせきこむでをふくハんのみち (5-17)
このみちハせかいなみとハをもうなよ これまつだいのこふきはぢまり (5-18)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神も仏もあると思え。やまいたすけの要諦です。 五濁 仏教用語。 濁とは濁(にご)り、穢(けが)れのこと。
五つの穢れとは、劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁をいう。
この基本的な教えが信仰組織を通してゆがめられていく。その結果がこんな文章になる。
五濁 仏教の世界観を表わす用語。
世界の存続期間中,世の中のけがれゆくさまを5つに分類したもの。
まず人間の寿命が短くなり (寿濁) ,時代的な環境が腐敗し (劫濁) ,煩悩が盛んとなり (煩悩濁)、
思想が混乱をきたし (見濁) ,人間の肉体,精神とも貧相,無気力になる (有情濁) という5つの段階を経て世の中が衰微すると考えられた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
心の汚れを取りなさいという教えが、「汚れをとらないと不幸になるぞ」「世は滅ぶぞ」と、
脅して、信者を頼らせるけれど、その因果関係は解明されずあいまいで、信仰組織は逆に人を惑わした。
ダメである。
https://www.afpbb.com/articles/-/2249679
7はいろいろな宗教にとって意味のある数字。キリスト教の聖書には創造主は世界を創るために7日間を要し、
ユダヤ教の花嫁は花婿の周りを7周し、イスラム教の巡礼者はメッカ(Mecca)の神聖なカーバ神殿(Kaaba)の周囲を7周する。
ヒンズー教では、体にはエネルギーの源となる糸車(spinning wheel sources of energy)である7か所のチャクラ(chakra)があるとされ、
「7つの大罪」や「世界の7不思議」は、宗教を越えて人々を引きつける。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
777の理は世界創造の理に由来するが、聖書の神の世界創造についても、その理が歪められている。
終末論には悪魔の数字があって666、こういう、救済を説いた聖書の教えも、
人間の原罪をキリストが十字架で贖ったとか、信仰組織の長がすりかえてしまっている。
救われるには神を敬えという、教会を敬えという最悪もあって、立派な教会や神殿は、
祭祀の場であり、権力の場となって、祭政一致の政治は今も世界にはびかる。
この現実こそ、信仰を捨てよと仏陀が示し、神殿を清めたイエスキリストの行動を、
まるで理解しない、聖教主義であり、実際に現実の民衆をまどわし、人心は、正しい神仏のお心、
釈迦の慈悲とイエスの愛の純粋さのみを救済に求め、実際に心の汚れを清め、人々で愛し合うを捨てた。
だから、因果応報の天理と、天罰の天理を、人においての病の理を教え、中山みきは、
現実においての因縁切りの道を、教えると、宣言したのが、おふでさき5号の冒頭である。 明治7年、おふでさきで、やまいたすけの根本原理を示した親神は、
人から人で人材を三人、道に寄せた。
先ず、西浦彌平
明治7年長男・楢蔵のジフテリアをご守護頂き入信
上田嘉治郎(嘉助)、ナライト等を導く
泉田藤吉
明治4年にはお地場帰りをしていたが、明治7年2月入信。
増井りん、明治7年3月入信。
因果応報の教理を、やまい助けの教理を説く、
お助け人泉田藤吉から、弟子の中川弥吉、よし、北初代。麹町初代、そして愛町初代。
増井りんも因果応報の教理の達人であった。針のさづけをいただく。
天理教は、実の箱時代にお助けの名手泉田藤吉を手本として、おさとしで病を治した。
それが、扉開いて一気に、病人を治しては、お地場帰りさせ、信者を増やす。
これは、うまいやりかただと、病治し信仰は国内にあふれる。
宗教ビジネスの仲間が増え、政府は拝み祈祷の禁止を法律化し、ただちに弾圧する。
5の理の間違いの、基本形が実の箱時代にはあって、偽教祖やあらゆる異端がはびこるが、
これははびこらしである。
運命ではやがて枯れるが、その泥海の中から、
裏天皇を信奉する大日本立教皇道会に、百戦錬磨の新宗教の立教願望者が集合する。
ここまでも、すべておふでさきは理を知らせてある。 大本の子孫の人の本とお宅の文で幕末から終戦までの大まかな全体像、又、見えたわ・、、
長い文書くの嫌だから。乱暴に例えると75日断食で75年終戦まで、親様的世直しはムリで
でも親鸞的ボトムアップ個人助かりは基本
(教団としての戦争と関わりは各自?任せる?) で進める。一方、大本の聖師?は戦争は絶対ダメだと(ここが麻原との違い)でも起こったならどうにかしないと?、元寇からの国難介入スピリッツの日蓮的トップダウンで悪の戦争を苦しんでるアジア解放の大義実現の道具にと思ったのでわ?国柱会と大本掛持ちの石原莞爾も 対ロシアの乃木スピリッツだし聖師と同じでアメリカとの戦争が早過ぎとか。皇道会じゃなくても皇居二重橋に楠木公の銅像あるんだから
大教、天照側も第一次大本弾圧までは皇道会チーム?も分裂せず政府側の主流?レベル?でわ
頭山満とか韓国併合じゃなく対等とか、満州も
初期は・、。でもヤッパリ戦争がアジア解放と
大義も殺しあいの中で行き違い?や色々···幾ら大本教が頑張っても··巧く行かなくてなるのは当然で 細かい事は言ったら切りないが、たまたま
父が石原莞爾の本読んでて解ったのが
最後、東条英機氏のあのエスカレートの行動は
天才で実力のあった石原莞爾氏への嫉妬が
原因みたいな事書いてた終り。 はじめてポストに天理教のハガキがはいっていたw
天理教で余程の何か変化に気づいたのかと思ったんだが。
足元のしあわせのことが書いてある。
一人一人の心の中で決まると書いてある。
正しい心を持ち続けるのがいかに難しい世の中になったことか。
全て外に誠を要求すれば必ず戒めの言葉か罵りの言葉しか返ってこない。
または的のはずれた言葉だけ。
これだけ酷い世の中でどういった未来になるのか、おぞましいことだ。 太陽が当たり前に登って沈む事が叶わない事実。
朝日は月のように暗く、災害は人外な酷さ滅びるほどの。
日本人がこんなにおかしくなったのは世紀末だからだ。
呪いのせいで思うように人生なんか送れない。
全ては無くなっていくという。
人が減ることは免れない。 メソポタミアに雨が普通に降りますように、呪詛します。 新約聖書は、カインへの呪いの言葉と理解して、こんな解釈を知れいる。
『 あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。
あなたは地上の放浪者となるでしょう』。
これは神の言葉を文字にした時の、解釈者の誤解交じりであると理解する。 日本で起きたことは世界でも起きている。
縄文人が、異常気象により、福岡から信州安曇野へ、佐賀から関東東北へ、
移動したように、カインは気象変動で、砂漠と化した土地での農業を放棄し、
遊牧と、鉱物資源をもとめて流浪したと理解すれば、天然自然である。
それを神に呪いありと解釈したのは、信仰を文書化した時の誤解であり、
気象変動は蛇(気流)の蛇行が原因だから、砂漠に雨がふれば、全て解決するとみて、
雨が欲しいですと、基本は呪詛する。 アラブの石油王のことを資源の独占者として非難するが、石油高山がいて、
世界中に安定提供は出来ているとみれば、人類が五分五分と成長したが、兄たちは。
高山となって、弟を差別した、つまり、弟殺しのカインである。
それが、もはや、全人類五分五分になるから、砂漠にも雨が降る。
中山みきを、信じて、基本的に呪詛する。
農業生産のための雨を、ください、メソポタミアに、と願う。 米は月さまの理、小麦は日さまの理。
https://www.nisshin.com/entertainment/encyclopedia/flour_04.html
小麦粉として食べられる前
小麦や大麦は人類最古の作物のひとつとされ、今から約1万年前には、すでにその栽培が始められていたといわれています。
このことは、これまでに発掘された多くの遺跡から小麦の穂などが発見されていることからもわかります。
当初は麦や雑穀類の混ざったものを石と石の間にはさんで砕いてから焼いて食べていました。
その後、土器が生まれると粗挽きにした麦をお粥のようにして食べたと言われています。
シュメールの頃には天候はまだ厳しい乾燥ではなかったとすれば、シュメール人の都市国家の繁栄も理解されます。
豊かになった王国間で奪い合ったのは、智慧でした。
その時資源を重視するカインは、農耕を重視せず、天罰を受けたと誤解しますが、
金属の発見と鍛冶の発明は、世界を変えます。
しかし、農耕の出来ない砂漠においての領土争いは熾烈で、武器が革新され、領土拡大が起きる。
では、ずっと安定した天候でいたら、鉄器も発明されなかった。未開人の生活しかなかった。
日本の縄文人系物部氏が、弥生人に滅ぼされたのは当然で、「道具」において進歩なく来た縄文人は、
闘って勝ち取る以外にない弥生人、渡来人に負けて当然、しかも弥生人は「仏法」を、
縄文人の宗教のルーツである月日の教えを、日本に元帰らせた。
砂漠は裁くという固定観念を捨て、
地球の地場も反転しているように、今の乾燥地帯が、肥沃な農業地帯になるを、願います。 >>498
誤解じゃない、事実だよ。
何故人は気づかないのか、自分達の誤ちに、これを理解出来ないなら干上がる土地は出てくる、必然。 >>499
天のすることというのは多力本願と言えるよな。
全て人の生き血のせいなんだよ。
やってる事がどういうことか理解出来ないと誤った事を続けるだけ、滅びを見るという事。 >>499
人が災害を把握するなんておこがましいんだよ。
カトリック東京大司教区六本木外国人共同体教会
日本 東京のカトリック教会
〒106-0032 東京都港区六本木4丁目2−37
アメリカ牧師 サンダン リチャード 45
080 1479 8522
狂ったキリスト教徒に真面目に答えちゃったよw
サイバカサイバー 親神と言うのは、一神教でなく八百万の神で、人間は人間そのものも神の子であって、
関係は五分五分。
天理王命は「天理」という親心で支配するから、その支配の手段である、天災と言うやまいは、
人間の心次第で、改善される。
それは人による人の支配ではなく、信仰組織や信仰権威は何の意味も持たない。
「合うたら鳴る」という単純なものである。
人は天災を見て為政を改善し、天災により人間の悪事を改善する力を全員が有している。
人は病を見て、前世の因縁を悟り來世どうなるかを知り、心ひとつで病を治し、來世を、今世を健康に変える。
それを神の貸し物借り物と言う。 >>505
一神教というのも相応しくない。
八百万の神々とは日本人のそのもの事だよ。同じ事を言ってるかw
天理教はその通りだと思う。
ただ、その理解を促す行為そのものがもう既に無駄で手遅れだと分かったんだよ。
人を変える事が不可能になるくらい狂ったということ。
もう殺すしか出来なくなったんだよ。 神は人間の陽気ゆさんをみたい。
人間の肉体も、陽気の肉体である。国も国土も陽気の為である。
ところが人間は陰気で、無残な社会を、宗教高山(大社)や政治権力、経済権力(高山)が、
谷底の陽気を妨害してきた悪因縁がある。
聖書にある兄がカイン、弟がアベルの関係は高山と谷底の関係である。
食の陽気の、パンの始まりは6000年前のエジプトと言われてきたが、1万年前には日本の縄文で、
栗を材料としたパンの製作は開始されていた。世界中に色々なパンがあった。
パンの材料の代表の小麦は1万年以上前から、栽培され、古代小麦と言われる品種が栽培されていた。
植林や穀物の栽培は「これも月日が教え来ることであい、小麦は日さまの貸し物借り物である。
兄魂の農耕民メソポタミアのカインは、牧畜を開始した遊牧民アベルと言う後進人類に、
兄カインは弟アベルに、遊牧の成果の大(神の守護の大)を嫉妬し、遊牧の民の命である辰えば羊たちを虐殺し、
農耕地にしてしまうという、高山権力を行使した。
それが、人類最初の、農耕民族の異業種民族への弾圧であって、神は天災でカインを追放した。
聖書のカ物語は人類の悪因縁の物語であり、カインは農耕を行い、アベルは羊を放牧するようになった。時の文明の事実である。
ある日2人は各々の収穫物をヤハウェに捧げる。カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、
ヤハウェはアベルの供物に目を留めカインの供物は無視した。
これを恨んだカインはその後、野原にアベルを誘い殺害する。
・・大地に流されたアベルの血はヤハウェに向かって彼の死を訴えた。
カインはこの罪により、エデンの東にあるノドの地に追放されたという。
この時ヤハウェは、もはやカインが耕作を行っても作物は収穫出来なくなる事を伝えた。
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神の追放とは、天災を手段としており、天災とは「天空の蛇」(気流)という龍の仕業である。
兄魂は、悔い改めのときをむかえたのが、天理教の立教の刻限である。 人間が成長するを待たれた親神は、旬刻限の到来を待って、善と悪とを分けに、
親神として出現するを、666(みろく)の理と567(みろく)のりにおいて、
寛政10年4月18日に中山みき誕生で開始し、「50年」の実の箱時代に、
おふでさきにて、よろず委細の元の因縁を「ひらかな」で「実数の数理」で知らせた。
神の立腹の発動を、宣言された。
このよふハいかほどハがみをもふても 神のりいふくこれハかなハん (5-3)
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これをみていかなものでもとくしんせ 善とあくとをわけてみせるで (5-6)
キリストの審判の教えは130の数理にて「三日殺し」(宮島佐太郎伝承)にて理をしめし、
お釈迦様の地獄の教えは、閻魔大王の裁きとは「自白の教理」(天理教の基本)と示した。
善と悪とを分けて見せるという天理王命を信じても信じなくても、
理を。こうして告げておけば、天災も、大病も、バンバン現れる。
呪詛します。メソポタミアのち大地の血を洗い、豊かな農耕の地へと、呪詛します。
南無天理王命 南無天理王命
このよふハいかほどハがみをもふても 神のりいふくこれハかなハん (5-3)
めへ/\にハがみしやんハいらんもの 神がそれ/\みわけするぞや (5-4)
一やしきをなじくらしているうちに 神もほとけもあるとをもへよ (5-5)
これをみていかなものでもとくしんせ 善とあくとをわけてみせるで (5-6) 高山の横暴がどんなにひどいとしても、皆中山みきの子である。
イエスキリストの兄弟である。
人類は滅亡に向かっていると見えても、中山みきがいる。イエス様がおられる。
日蓮上人がおられ、弘法大師もいて、心ひとつの建て替えを導いてくださる。
理を知れば、世界は陽気になる。世界を陽気にするのは「神」であり「仏」である。
神仏にもたれて、たんのうすること。理に精通する事、願う事、祈る事。
真言を唱え、お題目を唱え、隣人を愛し、互いに助け合う事である。
そして大多数の方々は、その神の子のそのままにふるまう時代を迎えている。
天災が多いのは、滅亡の予兆ではありません。
神仏がどうしてでも、人間を皆、幸福にしたいという、慈悲の発動です。
唱えましょう、それぞれの方の、神を、仏を、名を唱えましょう。
こころ善であるを、念じて、それが信心です。信心は効能を生みます。
奇跡は、神がおこします。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています