禅宗の公案でも、
「狗子に還って仏性有りや無しや」って問題に参じることで
「有る」か「無い」かっていう、「思い」を事実として認めてる錯覚、
その「思い」な錯覚を破って、そのものに目覚めさせようとする

「有るか無いか」ってのが二元って呼ばれる
この二元(分かれた)の世界ってのは、実は「思い」の上でしか成立してないことに目覚める