【イエス】み言葉と共に【キリスト】Part1
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
当スレ参加の皆さん。聖書や色々な教えなどを語り合いましょう。
新約聖書 マタイによる福音書 11章 28〜30節
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
新約聖書 マタイによる福音書 4章 4節
イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」
旧約聖書 イザヤ書 40章 8節
草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
新約聖書 ユダの手紙 25節
わたしたちの救い主である唯一の神に、
わたしたちの主イエス・キリストを通して、
栄光、威厳、力、権威が
永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。
聖書 新共同訳 日本聖書協会 673ろんぎぬす2019/05/06(月) 14:50:39.97ID:C4c2YCOO
ジャン・ダニエルー キリスト教史 1 初代教会 平凡社
上智大学中世思想研究所 編訳/監修 定価:本体1,553円(税別)
第4章 エフェソス、エデッサ、ローマ
p110
・・・エイレナイオスという第一級の証人がある。
彼自身アジア州の出身であり、ヨハネの弟子のポリュカルポスの
知り合いであったが、・・・。
そしてポリュカルポスとパピアスはこのヨハネの弟子であった。
・・・
p111
・・・。ここで、イグナ
p112
ティオスが言っている「古めかしい作り話」という言葉は、
千年至福説的待望を指す典型的表現なのである。
キリスト教徒は安息日ではなく主の日を守るべきであり、
イエス・キリストを語り、同時にユダヤ教の宗規に従うことは
矛盾であると彼は言っている。・・・
p113
・・・。『黙示録』やイグナティオス、パピアス、ポリュカルポスの
「手紙」を通して、アジア州における
いくつかのキリスト教団の拠点の実状をかいま見ることができる。
その第一の町はエフェソスである。ヨハネはここで彼の生涯を終わった。
彼が『ヨハネの黙示録』(二:一 − 八)でまず最初に
呼びかけているのもこの町である。・・・
・・・ユダヤ・キリスト教異端派を
エフェソスの町が憎んでいると述べている。しかし同時に
エフェソスの町がはじめの頃の熱意を失ってしまったことを非難する。
三〇年後にも、イグナティオスは
あいかわらずエフェソスに第一の地位を認めている。
彼はエフェソスが
あらゆる異端から免れていることを称讃しているのである。・・・
・・・。二世紀に入ると、スミュルナは<監督>ポリュカルポスを得
p114
て、特別な重要性を持つに至るのである。
彼は一一〇年には<監督>になっていた。というのはイグナティオスが
ローマへの旅の途中スミュルナで彼の客となっているからである。・・・
・・・エイレナイオスの証言のおかげで、
いろいろなことが知られている〔教会史X.20.4-8〕。
そしてポリュカルポスは・・・一一五年、殉教することになる。
彼の死については『ポリュカルポス殉教録』(ActaPolycarpi)が残されている。 【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 224
92ろんぎぬす2019/03/12(火) 19:59:25.34ID:SHQv64Vy
毎日のミサ 2019年2月号(通巻第361号)
カトリック中央協議会 定価(本体四一八円+税)
今月の教会暦(目次)
23日(土・記念・赤)聖ポリカルポ司教殉教者・・・84
p84
ポリカルポは使徒たちの直弟子であり、スミルナの司教であった。
彼は、殉教の地に向かって旅行を続けたアンチオケのイグナチオを、
スミルナであたたかく迎えた。後に、復活祭の日付の問題について
教皇アニケトゥスと話し合うためにローマに赴いた。
一五五年頃、スミルナの闘技場で火刑により殉教。
(『毎日の読書』より)
朗読 黙示録2・8−11、ヨハネ15・18−21
毎日のミサ 2018年10月号(通巻第357号)
カトリック中央協議会 定価(本体四一八円+税)
今月の教会暦(目次)
17日(水・記念・赤)聖イグナチオ(アンチオケ)司教殉教者・・・61
p61
イグナチオはペトロの二代後の司教としてアンチオケの教会を治めた。
野獣の餌食となる刑を受けるためにローマに護送され、
一〇七年にトラヤヌス帝の治世のもとで殉教した。
ローマへ向かう旅の途中で、各地の教会に七通の手紙を送り、
キリスト、教会の構造、キリスト者の生活などについて優れた教えを説いた。
アンチオケではすでに四世紀から、この日を彼の記念日として祝っていた。
(『毎日の読書』より)
朗読 フィリピ3・17〜4・1、ヨハネ12・24−26 【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 224
94ろんぎぬす2019/03/12(火) 20:02:55.13ID:SHQv64Vy
新約聖書続編というべき使徒教父文書から紹介( 忘備録 )
講談社文芸文庫 使徒教父文書 荒井献[編]
目次
解説 四五五
「イグナティオスの手紙」解説 八木誠一
p465
イグナティオスはシリアのアンティオキア第二代の監督であった。
トラヤヌス帝(在位九八 − 一一七)下の迫害のとき、
アンティオキア教会の責任者として逮捕され、
十人の兵士によりローマに護送されて、野獣と闘う刑に処せられた。
殉教は一一〇年のことであったと伝えられる。
イグナティオスはローマに赴く途次、各地の教会の人々に会うことが出来た。
そして小アジアのスミルナから、エペソ、マグネシア、トラレス(以下小アジア)
および行先のローマの教会に宛てて書簡を認めた。
さらに小アジアのトロアスから、同じく小アジアのフィラデルフィアと
スミルナの教会へ、またスミルナの監督ポリュカルポスに宛てて手紙を書いた。
これが殉教者の七書簡として知られている、イグナティオスの手紙である。
「ポリュカルポスの手紙」解説 田川健三
p468
ポリュカルポスが書いたと言われる多くの書簡のうち、
今日残されているのはここに訳出したピリピ人への書簡のみである。
ポリュカルポスは二世紀前半の人物で、スミルナ(今日のイズミール、
トルコ西海岸の大きな港町)の司教であった。
イグナティオス(本巻に収録)とは親しい関係にあり
(特にイグナティオスのポリュカルポスあての書簡参照)、
そのイグナティオスが殉教の死をとげる時に、
自分の教
p469
会(シリアのアンティオキア)のことを
「使徒的人物であり・・・・・・真実で良い牧者たる」ポリュカルポスに
託した、と言われている(エウセビオス『教会史』V三六・一〇)。 【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 224
93ろんぎぬす2019/03/12(火) 20:01:44.62ID:SHQv64Vy
新約聖書続編というべき使徒教父文書から紹介( 忘備録 )
使徒教父文書 講談社 文芸文庫 アC2 荒井献[編]
十二使徒の教訓 デイダケー
バルナバの手紙
クレメンスの手紙 コリントのキリスト者へ(T)
クレメンスの手紙 コリントのキリスト者へ(U)
イグナティオスの手紙
ポリュカルポスの手紙
ポリュカルポスの殉教
パピアスの断片
ディオグネートスへの手紙
ヘルマスの牧者
イグナティオスの手紙 八木誠一訳 一五七
1 エペソのキリスト者へ p157−168
2 マグネシアのキリスト者へ p169−176
3 トラレスのキリスト者へ p177−183
4 ローマのキリスト者へ p184−191
5 フィラデルフィアのキリスト者へ p192−198
6 スミルナのキリスト者へ p199−206
7 ポリュカルポスへ p207−212 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています