【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 224
6ろんぎぬす2019/03/08(金) 21:03:07.91ID:yHr1SsRb
キリスト教で主日である日曜が
安息日である土曜から取って代わった理由を述べている箇所を
新約聖書続編というべき使徒教父文書から紹介

講談社文芸文庫 使徒教父文書 荒井献[編]
バルナバの手紙 佐竹明訳 四一
p74
15章
8節 さらに主は彼らに、「わたしには、
あなたがたの新月の祭と
安息日とは我慢がならない(イザヤ1・13)」
と言っておられる。
彼がどのように言っておられるかに注意をするように。
つまり、わたしにとって喜ばしいのは
今の安息日ではなく、わたしのつくった安息日であって、
その日には、わたしはすべてを休み、
第八日目のはじめ、つまり別の世界のはじめを
作るであろう、(と言っておられるのである)。
9節 それゆえにわたしたちも、
イエスが死人の中から復活し、(人々に)あらわれて、
天に昇った第八日を祝うのである。

講談社文芸文庫 使徒教父文書 荒井献[編]
イグナティオスの手紙 八木誠一訳 一五七
2 マグネシアのキリスト者へ p169−176
9章 1節
それでも旧い生き方で暮らしていた人々が
希望の新しさのもとに至り、
もはや(ユダヤ教の)安息日(土曜日)を守らず、
むしろ主の日(日曜日。キリストは日曜日に復活した)
を守って生きるなら−主の日に私達の生が、彼を通し
また彼の死を通して、立ちあらわれたのです。
これを否定する人達もいますが。
しかし私達はこの秘儀を通じて信仰を得たのであり、
そしてだからこそ私達の唯一の師イエス・キリストの
弟子とされるために、忍耐しているのです。