【イエス】み言葉と共に【キリスト】Part1
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当スレ参加の皆さん。聖書や色々な教えなどを語り合いましょう。
新約聖書 マタイによる福音書 11章 28〜30節
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
新約聖書 マタイによる福音書 4章 4節
イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」
旧約聖書 イザヤ書 40章 8節
草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
新約聖書 ユダの手紙 25節
わたしたちの救い主である唯一の神に、
わたしたちの主イエス・キリストを通して、
栄光、威厳、力、権威が
永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。
聖書 新共同訳 日本聖書協会 新約聖書 W パウロ書簡 岩波書店
p112
コリント人への第一の手紙 14:30−38
注 三
33b−36節の部分は、
ほぼ確実にパウロ以降の挿入であろうと思われるが(ただし異論あり)、
理由については補注「女性たちへの沈黙命令」を参照。 >>495 つづき
補注 用語解説
p6−7
じょせいたちへのちんもくめいれい
女性たちへの沈黙命令
(hai gynaikes ・・・ siga-tosan)
Tコリ14:33b-35の部分は、大略以下の理由からして、
大きな蓋然性をもって、パウロ後の挿入であろうと思われる.
@11:5では礼拝の中で女性が語ることが前提となっているので、
それと矛盾する。
Aここでの女性は結婚した女性であることが自明のこととされているが、
7章におけるパウロの議論と矛盾する。
Bしかしこの部分のような考え方は、
パウロの名による書簡であるTテモ2:11-12.15とまったく一致する.
単語も短い文章にしては共通するものが多い
(女性.学ぶ.従順/従属する.許さない/許されていない.男性).
「律法」への言及(14:34)もTテモ2:13-14のアダムとエバへの言及と一致する.
C直前の「黙りなさい」(28.30節)や「従属する」(32節)が.
この部分の中の「黙りなさい」や「従属しなさい」と単語の上でも共通するので,
それらに触発されて挿入がなされた可能性がある.
Dこの部分を飛ばして読むと.文脈はスムーズになる.
Eこの部分を欠いている写本がまったくないという事実も.
現存する写本は最も古いものでも四世紀のものであること.
したがって挿入が早い時期になされておれば
(二世紀前半のマルキオンもそれを知っている)
そうなるのも自然なことなので.決定的な反証にはならない.
36節をも後代の挿入の中に入れる考え方もあるが.
この「それとも・・・・・・.それとも・・・・・・」という言い方は.
パウロの特徴的と言ってよいほど多くなされる(15回)のに対して.
Tテモテ書.Uテモテ書.テトス書の
牧会書簡中ではまったくなされていないことを考えると.
パウロの文章としてよいと思われる.
実際.「神の言はあなたがたから・・・・・・か」という言い方は.
「神から」の「啓示」に基づくはずの「神の言」とは
正反対の事態を言っているわけで.
「神から」のものとしての「異言」を強調していたコリント人たちに対する.
いかにもパウロらしい鋭い批判を含む疑問文になっていると言えよう. ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています