【イエス】み言葉と共に【キリスト】Part1
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当スレ参加の皆さん。聖書や色々な教えなどを語り合いましょう。
新約聖書 マタイによる福音書 11章 28〜30節
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
新約聖書 マタイによる福音書 4章 4節
イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」
旧約聖書 イザヤ書 40章 8節
草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
新約聖書 ユダの手紙 25節
わたしたちの救い主である唯一の神に、
わたしたちの主イエス・キリストを通して、
栄光、威厳、力、権威が
永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。
聖書 新共同訳 日本聖書協会 >>411 仏教といえば、四法印(しほういん)4つのキーワード。
仏教の出発点は、
「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」と
知ることから始まります。
なぜ苦しみが生まれるのでしょうか。
仏教ではこの原因を、
「諸行無常(すべてはうつり変わるもの )」で、
「諸法無我(すべては繋がりの中で変化している)」という ...
これが、目指すべき
「涅槃寂静(仏になるために仏教が目指す"さとり")」
です。
この世の真理を解き明かす4つのキーワード
|お釈迦さまの教え|仏教の教え|日蓮宗ポータルサイト
ttps://www.nichiren.or.jp/buddhism/shaka/02.php >>411
> 八正道 四禅 五戒
釈迦の四禅とは何か
- 本当のヨーガを体得しましたので皆さんにご紹介したいと思い、
これからいろいろと活動していきます。
ttps://blog.goo.ne.jp/kibinoseizan/e/490aed4b9f71c2ab9efb6038f5b633fd
中村天風とヨガ行者のカリアッパ師の瞑想から解説
初禅 大ざっぱな対象に心を集中、小さい(細かい)対象に心を集中
第二禅 強い喜びの感情が湧く
第三禅 眉間の前あたりに朝霧に浮かぶ太陽のようなものが現れる
第四禅 全く記憶に無い四〇〜五〇分の事を無我の境地、空と言う
釈迦は
「貴方の心の中に有るものは潜在的に苦しみの要素を持っている」
と言ったのです。
これが本当の一切皆苦即ち、諸行皆苦の意味です。
諸行と一切、原語は同じです。
宗教は自分と神仏との関係ですから他人は関係ありません。
化学に於いては
例えば1Kgはこれだけの重さ、1Mはこれだけの長さと言った具合に
誰にでも共通する基準が必要です。さらに何か新発見があっても
第三者による確認がされないと認めて貰えない。これが科学の世界です。
全ての人は同じ世界を共有しているのだという
科学的思考を持ち込むから 釈迦の仏教がわからなくなるのです。 >>411
> 八正道 四禅 五戒
ヨーガと釈迦の4禅
- 本当のヨーガを体得しましたので皆さんにご紹介したいと思い、
これからいろいろと活動していきます。
ttps://blog.goo.ne.jp/kibinoseizan/e/38d1969b936f9fbe8f8aaeb384758d20
ヨーガとは無想三昧の事。
釈迦の死後仏教は無想三昧(=涅槃)を喪失し、禅定=三昧だけが
残る事になりました。
竜樹はそれを大智度論に「禅定と三昧とは同じである」と書き残した
「釈迦が菩提樹下で静かに行った瞑想は『四禅』と呼ばれる。
瞑想の深まる段階を四つにまとめたもので、これも悟りの内容とされる。
初禅は、対象を粗く考えたり(尋)細かく考えたりし(伺)『喜』『楽』を伴いながら、
心を一つに集中(心一境性)する段階。
第二禅は、『喜』『楽』『心一境性』のほかに、心の清澄さ(内等浄)、
第三禅では、『喜』が滅して『捨<平静>』『念(憶念)』『慧』『楽』『定』、
第四禅では、『楽』が滅して『不苦不楽』『捨』『定』が現れる
4禅の「定」は思考能力が有りません。心に<移りかわるもの>が何も無いのです。
これが空であり釈迦はこの境地を涅槃と言いました。
ヨーガにはヴィヤーサの注解が有りますが、無想三昧について次のように書いています。
「対象に関する意識を有さない三昧とは、
心の全てのはたらきの寄りどころ(対象)が消滅したときに
心の止滅することであり、潜在的印象(潜勢力)のみの残余である」
* 潜勢力の原語はsamskara つまり仏教の「行」、複数形は諸行です。 >>460
四法印(しほういん)
一切皆苦(もろもろの潜在的印象サンスカラは、みな苦しみを生む)
諸行無常(もろもろの潜在的印象サンスカラは、移り変わり常なきもの )
諸法無我(もろもろの本体ダルマに、自我アートマンはない)
涅槃寂静(仏ブッダの悟りの境地は、動きなく静かである)
四法印(しほういん)は、
部派仏教の根本的な理念を示す教理である三法印に、
「一切行苦印」を加えたものである。
『 瑜伽師地論』の四法嗢拕南(udāna)説では、
「一切諸行皆悉是苦」としている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています