今現在も、大乗仏教の門弟や、在家の追従者らは、何かしらの「歩み」を進めとるから
それを一口に「ムダだ」と言い捨てられれば、そりゃあ腹も立つであろうし
己の歩みや努力の過程を否定されることは、気分が良いものではなかろうが?

事実なのぢゃ

その証拠に、お主らには「疑問が晴れない心」が、依然としてあるからぢゃ
悟ってしまえば、それらは消え失せるし、これ以上に精進する必要性も消え失せる
修行だけでなく、形式の類いも、何一つ不要で無意味なものに変わり果てるのぢゃ

それでも依然として、悟りに到達できておらん者らは「己のモチベを失いたくない」
という気持ちが湧くであろう。だから「ドラッグを否定したがる」だけなのぢゃ

しかしながら「何かしらのモチベーションが必要な状態」というものは
しょせんは「未到達だからこそモチベーションが必要になってる」だけに過ぎない

つまりは、未だヒヨッコなのぢゃ (-人-) ♪