>>814
自己というものは、ただの思い込みであって、それは思考の連続性であって
決して、自分を司っておる主軸でも、本質でも、何でもない、空虚なものぢゃ

そういう意味で、人も、動物も、植物も、生きてなどおらんのぢゃ。生体機能はあるが
その中に、例えば魂だとか、なんて言うか身体を機体とすると、パイロットとなる
霊魂みたいな、そういう中心核となるものは、一切存在しないのぢゃ

そのように「現実」を理解した時、はじめて、自分の周りの人々や、動植物や
あるいは環境のすべてと、自分との間には、「一切、何の隔たりも無い」と知れるのぢゃ

すべては、すべての物は、すべての環境は、同じ素材のものの、一時の変化の形なのぢゃ

だからこそ、例えばお主のような1人の人間の身体と、その精神もまた「環境に過ぎぬ」
ということぢゃ。環境が、環境の中で、環境としてあって、環境を体験しとるだけなのぢゃ

このように理解することで、あらゆる妄想は、消え失せて、生命というしがらみから
解き放たれるのぢゃ。これが「真理」ぢゃ。だからこそ、誰も、何処にも、孤独は無い

孤独が無いどころか、お主など、初めからこの世には、おらんのぢゃ

(-人-)