>>53
>教祖は、本席様に、「心を低うして通るのやで」とよく仰せに
>なっていたといいます。「

天理教のある教会長様に聞きましたら、日々の理に関することは原典以前の基本らしいですね
そういうものは逸話篇など他の信用おける資料などを参考に語るべきなのですけど講師や教会長のレベルが様々で誰が何を言い出すかわからないのが昔からの天理教の特徴らしいです
基督教の牧師のように聖書注解まで身につけている人は稀で、ほとんどが行き当たりばったりの感覚で天理教の先生をやっていけるそうですよ
特に天理教の場合は、人前で話す講師自体があまりに専門家とは程遠い人ばかりで、今まで多数の適当に都合よく歪めて教理話を話している他の同僚を見聞きし慣れてると、
いい加減なことをいう習慣が身についてしまってる人も多いという状況だそうです