いやいや.
そうではなくて初期経典を読むならば非我以外にはない。そして、尚かつ輪廻を認めている。
そして、伝統説というのは実は仏典に忠実ではなくて部派教義の信奉者に過ぎない(捏造ではなく仏教学上の事実)。
そもそも五蘊は非我であり、そこにアートマンがないから輪廻するのです。
元々、最初からアートマンというのは輪廻しないからね。その辺をアホは誰も分かってない。あなた方の理解はすべてレベルが低過ぎるから。
ブッダの教えというのは、「アートマンでないから苦があり、アートマンでないから輪廻している」というものです(無我の経文を百遍嫁!!!)。
では、どーやって輪廻してるのか? それは五蘊の「識」だと仏典では説かれている。
ただし、「これをアートマンと見なすなかれ」ということだ(これが重要!!)。
アートマンでなければ三世の時空を超えられないという理解がすべて浅はかだということだ。
そもそも五蘊(識)とは何か? これが唯物論的理解と同じものでいいのかどうかを比較することだ。
とにかく---もっと勉強しろってことです。

「アートマンは無い」という意味での無我説というのは完全に誤解であり、
本来、元々ブッダの説かれたものではなかったが後の部派仏教によって教義として確立されたものだ。
〜この仏教学上において確認された事実というのは、もうほぼ統一的な見解であって殆ど定説とみてもいいものです。
部派仏教〜以来の約二千年来も続いてきたこの伝統仏教の伝承(口伝及びアビダンマ)が間違いだったと確認されたというものなのであって、
これが再びまた、「いや、やっぱり伝統教義はそのままで正しく合っていました」などということにはまずならないでしょう。
それはまるで、地球は太陽を回る惑星の一つに過ぎないと判明したにも関わらず、
再びまた、いやいやこの地(地球)を中心として宇宙のすべてが回っているという理解に戻ることはあり得ないでしょうから!
しかし、その昔は地動説を主張し続けたら投獄され教会に処刑されたのです。

宗教上の迷信を打破するのが学問と研究の成果です。
しかし、宗教で説かれる真理の実体験は宗教上の実践による以外にはない。
この二つは共に正しく必要なことだ。