七.あのですね...。

 例えば、石飛道子氏との昨年のあのときの議論では何が浮き彫りとなったのかというと、“アートマンは無い”という意味での伝統説とし
ての無我論は、実は部派仏教による間違いを継承したものだとする仏教学上の事実を彼女自身も学者の一人として、その厳然たる事実とし
てしっかりと受け止めているということ。がしかし、それでも自分自身はテーラワーダを中心とする伝統教義を信奉するんだというものです。
 彼女は一代によっても大天才と讃えられた聡明な学者さんですが、その一代が惚れ込むのも当然のことであって、彼女の思いというのは
一代(ただし、一代は日蓮さんには苦言あり)と同様に大乗上座部を問わず、すべての仏教諸派がブッダの教え(意志?)を受け継いだ素晴ら
しいものなんだというものですよ。
 だから、これだったならば全然いいのです。これならこの私も(その人には)何もいいません!
 何が好きだとか、どれを信仰するというのは人それぞれまったくの自由だからです。全然、自分の好きなものを大いに学び信奉すればい
いのです。ただし、目の前の事実は事実としてしっかりと受け止めろということです。“自分の眼耳を塞いで嘘吹くな!!”といってるのです。

 日本の大乗諸派も未だに大乗非仏説には無視の態度を保ち続けている。そして、大乗諸教(諸経)がブッダの教えだなどと今もテキトウな
ことを話している。それをいい加減にしろ!と、この私はいってるわけです。

 まずは、事実を事実として謙虚に受け止めて認めなければならないということ。そして、その上で自宗自派の存在意義とその素晴らしい
点について各自で主張すべきです。そうでないならば、ただの詐欺集団ですよ。