>>859
そして当然、
“涅槃も空である (涅槃に住する如来も空) ”という見解には、やはり私は異を唱えさせてもらいます。
そのようにブッダが説かれたとする根拠については未だ私は見たことがありません。
ブッダは『ウダーナ』において、“涅槃とは縁起せず有為とは全く異なる境地”だと明確にハッキリ説いている。
なので、縁起している無自性/無我空なる現象界(有為)とは異質の縁起せず無自性/無我空ではない境地が無為なる涅槃です。
確かに、経典上では明確にされていないかもしれませんが、
つまり、これは実際上は“自性/我”ということになるのではないのか?
尚、“涅槃は空ではない”そして、“輪廻と涅槃を同じものにしてはいけない”という意味については、
あのテーラワーダのスマ師も同じことを述べています。

 『仏教の世界でも、「無」「空」という概念は人気があります。それは、虚無主義ではなく、我々が経験している現象の世界は、
実は実体のないものです、という意味です。この存在は、「空」というのです。しかし、涅槃は「空」だというと、正しくないの
です。そうなると、輪廻も涅槃も同じものになるのです。であるならば、修行しなくても、努力しなくても良いことになるのです。
釈尊は、涅槃を anakkhāta (ineffable)表現不可能だと説かれているので、涅槃を「空」とは言わないのです。』
https://j-theravada.net/dhamma/kantouhouwa/kantou125/

>>858
物質はすべてエネルギーであるという見解は私も同意します。
尚、「空」というのはただ単に、
“物質には永遠不滅の固定的な実体というものはない”という意味でしかないです。
その状態がただ単に「空」であり、
流転変滅して止まない現象(無常)を引き起こしている作用を「縁起」(因縁生起)として説明しているのです。