>>844
>なので、現象界が「空」であることを悟るということと空の中に永遠に住することとは意味はまったくことなる。

ダンマパダ

7 阿羅漢の章

7.3 ベーラッタシーサ長老の事例

92.(92) 彼らに、蓄積“たくわえ”が存在せず、彼らが、食のことを遍知しているなら
――彼らの、解脱の境涯が空“くう”にして、かつまた、相“そう”なきものであるなら――
彼らの境遇(趣:死後に赴く所)は、虚空における鳥たちの〔足取り〕のように、捉えどころがない。


7.4 アヌルッダ長老の事例

93.(93) 彼の、諸々の煩悩が完全に滅尽し、しかして、〔彼が〕食について依存なき者であるなら
――彼の、解脱の境涯が空にして、かつまた、相なきものであるなら
――彼の境処(境地)は、虚空における鳥たちの〔足跡〕のように、捉えどころがない。
http://aranavihaara.web.fc2.com/arana-khuddaka-2.html

中村元の訳だと

第七章 真 人

92 財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれらの行く路(=足跡)は知り難い。──空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。

93 その人の汚れは消え失せ、食物をむさぼらず、その人の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれの足跡は知り難い。──空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。


どの道>>693の経典からも解脱した者は空の境地にある、空に住する、とブッダは説いているように思えます。

あと補足として有名なスッタニパータの詩偈

「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」