>>818
>つまりブッダは存在と非存在の中間の状態即ち空に永遠に止まる選択をしたのだと思います

「空」というのは、現象界(有為)には固定的な恒常性はないことを一語で表現したものに過ぎない。
その現象界(有為)の諸性質の支配下から解脱した境地が無為である涅槃なのであって、
自己の意識がその涅槃に永遠に住しているのが如来(ブッダ)です。
従って、まだ生存中であっても意識が現象界の支配を受けないならば有余涅槃ということになる。
そして一度、涅槃の到達した者は肉体崩壊後もその境地から堕ちることは二度とない。
なので、現象界が「空」であることを悟るということと空の中に永遠に住することとは意味はまったくことなる。
無為法が空といったのはすべてアビダンマの間違いです。

「空」とは有為のことであり、それは無我性のものだということ。
そして、それは“一切に限定されたもの”のことです。
そのことについては、『仏教要吾の基礎知識』(水野弘元著)に明らかなのですが、
また話題に上げられている一代による最高の推奨本がこの『--要語』なのでした。
ただし、あの方は自分が奨める本が自分の主張には不利な内容のものであることすらも理解できてはいませんでした。
どうしてもテーワワーダに洗脳された色眼鏡で読むから分からないのですね。
あの方の推奨した本は、その殆どが自分の間違いを指摘した内容となっていたことすらも分からず誤読ばかり。
まずは、「一切」について正しく理解しないことにはすべて誤読に終わるだけです。

>空の中に於ては全ては空なのでどれとか彼とかの代名詞が全く通用しなくなり
>自他の区別も生滅も無くなるから何の不安も無くなるという事でしょうね

自他の区別や消滅がなくなるのは無為である涅槃です。
「空」は有為に限定された話です。これが分かっている仏教徒はいったい何人いることやら...。
般若心経の“色即是空/空即是色”がそのことを端的に表現している。
空とは「色」(物質、及び物質的現象のすべて)に限定されたものです。
それ以外は含まない(涅槃は空ではない/それはアビダンマの間違いだ)。