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--佛教論議の伽藍スレ-- 第五巻

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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/06/13(木) 09:52:06.35ID:omIq6Dlw
仏教に関するKeyword
「無我」と「アートマン(我)」、「輪廻」や「涅槃(ニルヴァーナ)」などについて、
原始経典(「パーリ五部聖典」や「漢訳四阿含経典」)に説かれているブッダからの教説を中心にして、
激しく議論したり、または有益な情報を互いに交換するためのスレです。
尚、自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されますよう宜しくお願いします。
基本的に仏典(原始経典)の記述を根拠にしていることが大前提ですが、
もし、そうでない場合には明確な理由を必ずしっかりと説明して下さい。

-------------------当スレの戒律(マナーとルール) -------------------
条項 1.アスキーアートは原則禁止(議論に使用する為の真面目な図解については可)
   2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない
    (チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。内容を一つに纏めてから投稿しよう)
   3.コピー転載やリンク貼りのみの投稿は慎んでください。
   4.一行明け投稿や無駄な空間を使用した投稿は遠慮願います。
   5.意味の無い無駄な投稿は完全な犯罪級の荒らしです。スレ主の判断で即刻、退場してもらいます。
   6.南伝仏教(または上座部仏教/南方仏教..)を「小乗仏教」と呼称することは差別用語なので使用禁止です。
    (1950年の世界仏教会議にて決議した)
   7.議論でヒートアップしても相手を不当に侮辱した言葉を使わないこと(節度ある態度で接しよう)
   8.仏教徒として当り前の話ですが、ブッダを侮辱する意味の言葉は厳禁です。即刻、退場してもらいます。
   9.次スレを立てる際は、勝手に「スレタイ」や「テンプレ」(及びレス番2/資料リンク)を変えないこと。厳守!!
  10.円滑な議論のために、当スレでは「コテハン」(固定ハンドルネーム)の使用を推奨します(ただし、強制ではありません)。
 以上ですが、基本的には参加者皆さんの良識に期待します。
0813宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2019/08/24(土) 10:23:52.79ID:/PxScjdl
>>721>>797>>798>>800
あのね...
文句があったら中村氏にいってくれ!!!
 http://ifsa.jp/index.php?Gnakamurahajime
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~posteios/PROJ_B035.htm

 これまでも何度かいってきたけれども、しかし、ホントにあなた方は“直訳”が好きだね!
ハッキリというけれども、「直訳」というものは極端な話が翻訳辞書と最低限の基本ルールさえ押さえれば、シロウトの誰にでもできるものだ
(ちょうど話に出てきたようですが、見たところ石飛氏もそうだ。結局、殆どが直訳ばかりだから、まともな意味が通り難く全体的にギクシャ
クした感じの文章が多い。ただの直訳しかできない下手くそ文章の典型だ)。
 ただの単語直訳でいうのならば、そもそも「アートマン」の単語だって本来は「息」(気息)ということであって、そこには“恒常不変なる
真実の自己”などという意味はない。しかし、もちろんウパニシャッドが説いているもの、その指し示しているものというのは「息」の話をし
ているのではない。そんなことは当たり前の話だ。それをあなた方は、「この単語は息だ。気息のことだ!」と言い張ってるも同然。

 この「真人」と訳して使用したのは中村 元氏ですよ(私は自分の先生以外は決して「センセ」とは呼ばないけど)。この方を舐めないほうが
いい...。中村氏にはいつも、神智学関係でもご理解とご協力を頂いています(神智学の最高原典である不朽のブラヴァツキー著『シークレット
・ドクトリン(秘密教義)』の翻訳書の帯に有難い推奨文を頂いた。実に本物のプロだけに神智学の評価は認められるのです)。

『[帯の文章]
 シークレット・ドクトリンとは、あらゆる宗教や古代思想の源である「秘められた叡智」(秘教)の体系を指す。本書は1888年に出版されて
以来、アインシュタインやカンディンスキー、イエーツやモンテッソリなど20世紀を代表する西洋の思想家や科学者、芸術家たちに多大な影
響を与えてきた。
 H・P・ブラヴァツキーは、アジアの人々に自分たちの宗教的、文化的伝統の尊さを自覚させ、アジアの精神的復興に大きく貢献した。
(東大名誉教授/中村 元)』http://www.meditations.jp/index.php?main_page=product_music_info&;products_id=11258
0814宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2019/08/24(土) 10:25:11.13ID:/PxScjdl
 世に知られる仏教学やインド哲学の専門研究者たちの殆どが皆、この中村氏の弟子かその教えを受けた者ばかりであり、中村氏の影響を受け
なかった者などいない。この中村氏の天才ぶりとその偉大さは並の学者陣のレベルを遥かに超えたものだ。その歴史的に最も偉大な天才的な研
究者であった中村氏が、何故、この「真人」などという一風変わった言葉をわざわざ「araham」の訳語に選出したのかということ?
 その意図を感じ取らないでいて、ただ単純に単語の直訳と比較して判断する愚ではとてもそのことを理解することなどできないと思う。ちょ
うど輪廻転生の否定論者たちの殆どがいつもやってるような経文の中のごくごく短い部分的なところや一つの単語だけを抜き出してきて、「〜
だから輪廻転生はない」といってくるのとまったく同じ勝手都合の卑怯なやり口と一緒だと思う。
 それが本当に正しい訳であるか? 正しい理解であるかどうかというものは、必ずもっと全体でもって、つまり、その文章のあるところの節全
部や章全体とか、そして当然、それは「仏教経典」全体の意図するところとの符合性において判断しなければダメに決まってる。
0815宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2019/08/24(土) 10:26:31.23ID:/PxScjdl
 その第五節の『敬わるべき人』を読むならば、それは「“わたしが語る”と言ってもよい」ということであり、そしてまた、「言語表現だけの
ものとして<<仮に>>そのような表現をしてもよい」といっている。訳注で中村氏は、ここでいう「わたしが語る」のわたしとは、存在の有無が
議論される「アートマン」のことだとハッキリ指摘していることが極めて重要だ。であるから、このアートマンとは真実の自己である真我のこ
とであり、これについてブッダ自らが言語表現としては「アートマンと言ってもいいよ」と話したということをここで指摘してるのです。だか
ら、わざわざ「仮に」とか「言語表現としてはいい」という断り書きがブッダによってここに付け加えられているわけです。ただ単に、普通に
この単語のままの「阿羅漢」(如来の十号の何でもいいが...)の意味でいいんだったならば、わざわざブッダがそれらの断りをいちいいち話の中
に入れる必要性がないでしょ!! 「araham」なので阿羅漢でいいんだ、その限られた意味でいいということだったならば、この断りを附け加える
ことの理由がないから。「araham」だから阿羅漢と訳すでは、普通にただ当たり前であって、その断りを附け加えた全体の文意にはまったく適さ
ないものです。そこで中村氏は文意文脈と見事に符合して、尚且つ、「わたしが語る」のアートマン(真実の自己)ともリンクできる漢字熟語の
「真人」をこの適語として敢えて採用した。これは中国では究極の完成者の意味であり、そして文字通り、日本人からみれば真実の人を意味す
る語だとすぐ分かる熟語となっている。なのでこれは、天才中村氏だからこそできた的確で神業的に見事な翻訳となっているのです。これがあ
まりにも適した訳語だったので、たぶんご本人もすごく気に入られたと見えて、この「真人」は『パーリ涅槃経』の翻訳でも随処において使わ
れているのです(例:第一章p14.p29、等々)。
 ということで、もいい加減にその一つの単語の原語だけで判断するなんてのは、そろそろ卒業してはどうなのかな?

>>799
皆さん、遠慮してるだけ。
ハッキリいうならぱ仏教学上は「無我」という漢訳などは誤訳以外の何ものでもないから。
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