--佛教論議の伽藍スレ-- 第五巻
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仏教に関するKeyword 「無我」と「アートマン(我)」、「輪廻」や「涅槃(ニルヴァーナ)」などについて、 原始経典(「パーリ五部聖典」や「漢訳四阿含経典」)に説かれているブッダからの教説を中心にして、 激しく議論したり、または有益な情報を互いに交換するためのスレです。 尚、自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されますよう宜しくお願いします。 基本的に仏典(原始経典)の記述を根拠にしていることが大前提ですが、 もし、そうでない場合には明確な理由を必ずしっかりと説明して下さい。 -------------------当スレの戒律(マナーとルール) ------------------- 条項 1.アスキーアートは原則禁止(議論に使用する為の真面目な図解については可) 2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない (チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。内容を一つに纏めてから投稿しよう) 3.コピー転載やリンク貼りのみの投稿は慎んでください。 4.一行明け投稿や無駄な空間を使用した投稿は遠慮願います。 5.意味の無い無駄な投稿は完全な犯罪級の荒らしです。スレ主の判断で即刻、退場してもらいます。 6.南伝仏教(または上座部仏教/南方仏教..)を「小乗仏教」と呼称することは差別用語なので使用禁止です。 (1950年の世界仏教会議にて決議した) 7.議論でヒートアップしても相手を不当に侮辱した言葉を使わないこと(節度ある態度で接しよう) 8.仏教徒として当り前の話ですが、ブッダを侮辱する意味の言葉は厳禁です。即刻、退場してもらいます。 9.次スレを立てる際は、勝手に「スレタイ」や「テンプレ」(及びレス番2/資料リンク)を変えないこと。厳守!! 10.円滑な議論のために、当スレでは「コテハン」(固定ハンドルネーム)の使用を推奨します(ただし、強制ではありません)。 以上ですが、基本的には参加者皆さんの良識に期待します。 >>688 >UFO妄想 エッ! まだ見てなかったの? いや.ザンネンだね.. ホントあなた方は...。 で、あなたは生きている間に心霊存在とUFOのどっちかくらいは見れますかね(笑) 宇宙に地球人だけという方が不自然で不条理です。 科学的にも確率的に宇宙人の存在は当然と考えられている。あとは彼らとの遭遇の問題...。 しかし実際上、UFOくらいすでに多くの人が目撃してるよ!! これが私の目撃情報です--あいよぉ!! https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1548698413/986-987 >>691 サナット・クマラから直接、何処かの誰かにコンタクトをつけるなどということは在り得ない。 サナット・クマラは世界主にしてワンイニシエーター。サナット・クマラに遭えるのは、 第三段階イニシエーションとそれ以降の高位のイニシエーションのときのみです。 そして尚且つ、通常はその時の記憶は保持することができない。 たかが通常の瞑想レベル程度でこちらから望んでMaitreyaや世界主に会って来るなどできる筈がない。 あなたが第三段階以上、いや第四段階のアルハット位階以上の進化を遂げていなければ、 とても望むような接触などはできない。 >あ、弥勒菩薩に関しては、神智学と同じこと、無着がやらかしてたっけ? それはハイアラキーの首長であるMaitreyaとは別存在であり、普通に実在した僧侶です。 『インドの僧。大乗仏教の学派のひとつ瑜伽行唯識学派の開祖とされる人物[2]。未来仏として信仰される弥勒菩薩と同じ存在 として扱われてきたが、仏教学者の宇井伯寿が1929年に『Maitreya as an Historical Personage』において歴史的人物として扱 う見方を提示した[3]。』(Wiki) >>700 それらはすべてデタラメです。 あなたは、それを何処のサイトで見ました? いっておきますが、 ネット上に溢れているホワイト・ブラザーフットとハイアラキーの覚者方についての情報は その殆どが間違っており、まったく使えませんから。 >>701 冗談じゃない!! “デタラメ”見て反応するのはやめてくれよw >>698 >その偉大な科学者先生の名前でググれば、 >前世が動物のケースも検証してる 了解しました...。 ご指摘ありがとうございました! そのことについてはココに謝罪をしますm(__)m 『「前世」は,非業の死を遂げた人物であることが多く,殺人被害者の場合は,加害者に対して敵意を見せる。 「前世」が,自殺者であることは少ないし,動物であることはほとんどない(少なくとも報告されてない)。』 (生まれ変わり事例の研究) http://www.kisc.meiji.ac.jp/ ~metapsi/psi/7-3.htm ということで、 私は人間⇔動物間(人間以外)での転生についてはかなり懐疑的でしたが、 しかし、そのようなごく稀なレアケースもあるらしいことについては認めることにします。 私は、仏教における六道(本来は修羅のない五道)の“畜生道・畜生界”とは、 まるで人間ではない動物のような扱いを受ける酷い境涯のことなのだと受け止めていました。 つまり、分かり易く極端な事例でいえば、マルタ人体実験とか人身売買や奴隷虐待、人質拷問...等々が上げられますが、 それらが畜生道(畜生界)への転生のことであると。 なので仏典の説く、動物に生まれるという意味での「畜生胎」>>657 の話はすべて、 人を悪事に入らせないための脅し的な方便だととらえていました。そのまま受け取るのは迷信かと...。 しかし、まさか本当に動物の肉体に転生する事例があるとは...かなり驚きました。 でもたぶん、本当にそれは極々稀なレアケースだろうとは思いますが。 >>694-696 いや、意味不明...。 私はブッダが低いなどとはいったことはないし、そして、誰もそう見てない。 低いのは現状の“仏教界の実態”のことですよ。 仏教徒自身が“本来の真実のブッダの教えを見失ってしまった”のです。 だから、仏教徒たちというのはその実際上の歴史において常に、 大衆部及び大乗vs上座部、説一切有部vs諸派、密教vs諸派、中観派vs唯識派、 浄土信仰vs諸派、輪廻否定/断滅論支持派vs伝統諸派...etcと、限りなく果てしなく論争し続けてきたのです。 つまり、何が正しいのかが分からないのです。 まずは、その事実を認めなさいな! 神智学の教えでは、 地球人類から出てきた中での最高度の進化を達成した方がブッダであり、その進化段階は8段階だとされる。 そして、ブッダと一緒に一番最初に地球上でのイニシエーションを受けたのが、ブッダの兄弟であり後継者のMaitreya(7段階)。 そのMaitreyaを頂点とするハイアラキーの覚者方、Maitreyaの直弟子たちがチョハンの6段階。 我々が目指すべきゴールであるニルヴァーナ境地に達した覚者が5段階です。 そして、その手前のアルハット位階の4段階(神智学ではアルハットは覚者ではない)、 サナット・クマラ(この惑星ロゴスの反映であり、人類の魂を吹き込まれた父)から最初に受ける本格的イニシエーションが3段階、 Maitreyaから受ける幼子のイニシエーションが1-2段階です。 そして大体、世界平和を志向したり、瞑想などの実践に取り組みだすような人々というのは殆ど皆、 1段階の前後にいるとされています。 尚、一般大衆が何もそこまで知る必要はまったくない。 ニルヴァーナ涅槃(5段階イニシエート=覚者)を目指すことには何も変わりがない。 >>704 アルハットはもともと「尊敬されるべき人」の意味でその意訳が応供、音写が阿羅漢。 真人という意味ではありません。 >>697 その主張は概ね認めます! 確かに人々に受け入れられ、 認められて、実際に永い歴史の中で信仰され続けてきた。 こうしてブッダの精神を二千五百年を経て今日まで伝えてきたわけです。 それ自体が素晴らしい奇跡といえるし、それこそ大変な努力ですよ。 ならば、 仏教だけが唯一の真理で他はすべてダメというアホ論理は捨てるべきです。 己の未熟を顧みずヒンドゥーを下位に置こうとする醜態は止めた方がいい。 あとは、ご自由に信仰をこれからも続けるのは何も問題ない。 >>705 > >UFO妄想 > > エッ! まだ見てなかったの? > これが私の目撃情報です--あいよぉ!! > https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1548698413/986-987 セブン、これが宝珠の本質なんだよ サンタさんの実在を強弁してはばからない こんなのは、サンタさんを信じるガキを論破して得意満面の紐あたりに任せときゃいいのよね 真面目に仏教の思想体系に基づいて反駁する価値はない >>706 天下のWikipedia様w もう、身内の神智学同士でも、要するに ・自分の都合の良いものは(他人に突き付ける印籠として)援用する ・自分の都合の悪いものは間違っているとして無視 なんでしょw そうやってハイアラキー同士でも手品で出す手紙を互いに捏造し合って神智学協会は分裂したわけだしw 三つ子の魂百まで 始祖の魂末端信者まで の好例がここにもw >>706 >In the Ascended Master Teachings, it is believed that on January 1, 1956, >Buddha advanced from the 8th level to the 9th level, becoming co-equal with Sanat Kumara. 英語で情報入れられると、海外の情報は最新の情報をキャッチアップしやすいねw て、1956年だけどなw まあ少なくとも己が情弱になって、情弱相手に偉そうなこと言って圧倒しようとする手の詐欺師のペースに陥ることは なくて済むので助かるわ >>709 だから、“古訳”としてあるといってるでしょ。 前回の引用が少しミスってるようなので再掲しますよ! 『老荘の伝統では,「聖人」よりむしろ「仙人」を理想の姿とする。仙とは長生ないし不老不死の意であり,「真人」 とも呼ばれる(儒教では「真人」という語は用いない) ---中略--- 因みに「真」という文字は儒学の経典には出てこない。それは概念も言葉も道家のものであって,『老子』には現れ ないが,『荘子』において多用されている[吉川 1990 : 178]。 仏教の文脈でそれはアルハトarhat すなわち阿羅漢 (羅漢とも)を指す古訳である。阿羅漢を意味する真人は格義〈的〉であると言える。』 (船山 徹著『文化接触としての仏典漢訳―「格義」と「聖」の序論的考察』) https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/177242/1/ctz_4_010.pdf そして、『ブッダ神々との対話』(岩波文庫)の訳注p248では、 中村氏は、『シナでは「真人」をこれの訳語として用いていることがある。』と説明しています。 “これ”とはもちろん、“尊敬されるべき人”のことで、araham.のこと。 認めたくないならばご自由に... >>711 仏典のこそ奇跡と神通のオンパレードでしょうが! 事実は事実。本物は本物。そして、迷信は迷信だ...。 そのように正しく分別をつけるのが正しい姿勢だ。 >>712-713 デタラメはデタラメ。 嘘は嘘。間違いは間違い。 それ以上のいいようはない!! あなたの発言にはいちいち付き合ってられないので、 今後は逐一レスしませんからね。労力の無駄...。 なので、あなただとすぐ分かり易いようにコテハンつけて欲しいね。 >>707 瞋痴の言う、動物の魂は同じとかって話は間違いだった訳だ。 こんな重要な事を間違う瞋痴なのに、何故、仏教より上だと断定できるのかな? 「瞋痴が絶対正しい」という結論ありきで考えてるからだろ? それはキリスト教と同じく、異教は愚かな迷信という傲慢な考え方。 それと、仏教で「自分の宗派が絶対に正しい」と言い合うのは、 「自分の宗派が、回り道せずに悲願に至る方法論として、絶対に正しい」 という意味であり、 他所の宗派は劣るものであって「愚かな迷信」という意味ではありません。 これは七氏などが繰り返し何度も言い方を変えて説明してますが、 先述のバイアスが掛かってるから読み取れないのです。 これを世間では、洗脳状態と言います。 (^。^)悪いことは言わないから、一度、マトモなカウンセリングを受けなさい。 >>717 承狂 だから、 それは極ごくレアケースとして、稀なる可能性としてです。 基本前提の認識には変更はないです。 そんなことを言う割には、あなた自身が仏典の記述を信じないじゃないか! フザケルのも大概にした方がいいのでは??? あなたの真面目さはコテハン使用を守ることだけだw >>718 レアケースがある法則なんてものは間違いだよ。 そんなものは単なる経験則に過ぎない。 瞋痴は、基本中の基本である魂の在り方を誤認してるって認めなさい。 間違った話を元に、他の宗教を歪めようとするのは、良いことではないと解りませんかね? 「人は人に絶対に生まれ変わる」 これは間違いです。 つまり「輪廻を、生まれ変わりとするのは間違い」な訳。 蛇が人に転生するなら、人が転生しないケースも有るかも知れないでしょ? これを証明するのは論理的に不可能なのは判りますか? 結論ありきではなく、論理的に考えてみなさい。 というか、瞋痴はどれだけ術を使えるのか知らないが、 何らかの術で実際に神仏や霊とやりあってたら、 「輪廻が生まれ変わりの意味」 だなんて単純な考えは改めさせられるはずなんだがね。 まさか、聞いた話、見かけた現象だけで、正しいとか間違いだとか言ってるのかね? それがどのくらい恐ろしい事か、考えた事はないのかね? >阿羅漢を意味する真人は格義〈的〉であると言える。 つまり、『中国的に解釈し直した訳語』ということ。 原義ではない(インド仏教が付与していた意味合いではない)ということ。 大きな辞書的に言えば、10番目20番目になってようやく出てくる意味ということ。 >>714 >>719 承狂 いやいやまだ、動物⇔人間についてはその可能性としてですよ。 だから、そういう情報があるという程度に留めます。 それは憑依であり、憑依していた時の記憶である可能性も検討する必要があるだろうしね。 また、もし仮に動物⇔人間があるとしても、それは“蛇が人に転生する”のではなくて、 それはあくまでの“人の魂が蛇に転生し、そしてまた再び人へと転生して戻って来る”ということだと理解します。 「蛇の魂そのもの」が人間に転生するという意味とは見なさない。 >つまり「輪廻を、生まれ変わりとするのは間違い」な訳。 >蛇が人に転生するなら、人が転生しないケースも有るかも知れないでしょ? あなたは論理が突然、飛躍するのですね! 業報理論からみて在り得ないでしょ! では、ここに涅槃に入る以外の転生が止むケースについてその仏典の記述を出してもらえます? >>708 なぜ意味不明なのか意味不明w >私はブッダが低いなどとはいったことはないし、そして、誰もそう見てない。 >低いのは現状の“仏教界の実態”のこと だからw 「ブッダは覚醒レベルが低かった」 で良いじゃないですかw なぜ、神智学の枠の外のインドの一遊行者を、最高レベルに祭り上げる必要があるのか? という話。 *(だから、その意味では、 仏教の世界観では勿論頂点(か、舎利弗と並ぶかwという位置付け)としても、 神智学の世界観では、多分真ん中くらいの低い所なんだろうな、と私は思ってますよ?www) 説かれなかったことは説かれなかったこととして素直に受け止めておけばいいのに、 なぜ、「実は云々」という形にしなきゃならんのか?ということ。 (まさに少年ジャンプの世界観!w) >>722 それ、文脈から見て、「人が人に」の脱字でしょ 423 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成すべきことをすべて完成した人、---かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。 岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より 「Pathame udana(歓喜の言葉)」 Aneka j?tisa?s?ra? sandh?vissa? anibbisa? Gahak?raka? gavesanto dukkha j?ti punappuna? ? 無数の生涯にわたり、あてどなく輪廻をさまよってきた、家の作者を探し求めて。 更に更にと、生まれ変わるのは苦しいことである。 ? 154. Gahak?raka di??ho'si puna geha? na k?hasi Sabb? te ph?suk? bhagg? gahak??a? visa?khata? Visa?kh?ragata? citta? ta?h?na? khayamajjhag?. ? 家の作者(渇愛)よ、汝の正体は見られたり。 汝が家を作ることはもはやあるまい。 汝の梁(煩悩)はすべて折れ、家の屋根(無明)は壊れてしまった。 形成するはたらき(行)から心は離れ、渇愛を滅ぼし尽した。 ?(ダンマパダ153,154)p28「日常読誦経典」 >>723 >神智学の枠の外のインドの一遊行者を、最高レベルに祭り上げる必要があるのか? という話。 いや.意味不明。 “どの宗教からでも道を上ることができる”とするのが神智学であって、 神智学以外は非真理でダメだというものではない(あなた方とは違う)。 単純に、ブッダが最高位にあるというのが事実だからであって、別に神智学外の聖者を持ち上げているわけではない。 で、神智学はMaitreyaが説いたものではなくて、その弟子の覚者方からのものです。 Maitreyaは一般には誰にでも分かる簡単な教えしか語らない。 そして、世界中に出現した諸宗教の発生を最終的に決定しているのはMaitreya(ブッダ以降の後継として)です。 舎利弗その他の古い弟子たちは皆すべて、とっくの昔に5段階以上です。 まっ、詳しくやっても意味ないだろうから辞めます。 >>726 いや、だからw 神智学で言われる幾つかが、仏教では説かれていないんですよね? 少なくとも、仏教内の文献からは辿れてませんよね? だから、 「ブッダはそこまでだった」でいいじゃないですか?と言っているのですw 或いは、別の妄想をしてもいい。 >>726 >舎利弗その他の古い弟子たちは皆すべて、とっくの昔に5段階以上 寧ろ、ブッダよりも舎利弗やその他弟子の方が上位階層へ登っていて、 だからこそ、晩年隠居状態だった釈尊の言葉以上に、 弟子たちの言葉が、(明文化ではなくとも)残った。 弟子たちの方が釈尊より上だった、という仮説もとれますよ?w このスレ読んでいて 神智学って妄想を駆使して作り上げた 「ぼくの考えた最強の」なんちゃって宗教なんだね という感想を持った なるほど、真我実現を唱え真我を発見したようなことをハッキリと言っているラマナ・マハリシなどの聖人は、 真我を見つけられなかった、確認できなかった釈尊よりも神智学のイニシエートとかいうものでは何段階か上ということになるのかもしれないね。 うむ。 或いはまた、 仏教内でも様々な僧が輩出されているわけだが、 それら有名どころもまた、或るレベルどまりで、ブッダ釈尊だけが最高位に置かれるところも、 「開祖・創唱者だから?」と勘繰りたくもなる。 又、 仏教外でも様々な宗教的聖者の名は挙がるわけだが、 彼らもまた最高位に列せられない。 なぜ、仏教・ブッダだけが、他を抜きんでて表彰台の頂点へ列せられるのかな、と。 (残された資料からすると、大乗系の各如来や菩薩の方が、よっぽどふさわしいし、 19世紀以降の近代仏教学の成果は、史実としての歴史的人物シッダッタの掘り下げに寄与してきたわけで、 その視点からすれば、他の多くの聖者方の方が、よっぽどふさわしい。) 又、 儒教的価値観と先祖供養や、 日本の霊魂観と儒教的道徳観と仏教的世界観の上に構築された、 「日本的先祖供養」についても、 葬儀社や仏具石材店のHPレベルの知識しかないもんだから、 日本仏教の問題点が、布施等金銭面、或いは僧侶の日常生活しか見えてない。 勿論、それも重要な点だけれど、 根っこというか病巣は、もっと根深く、長期に亘って醸成された日本文化、習俗にあるというのに・・。 その辺も書き込もうかと思ってたけど、面倒なんでやめた。 また、何かきっかけがあれば、少し喋るかも・・。 訳の分からん論争が続いていますなあw 皆さんご活発で何よりなことですww 大体、宝珠の神智学なんて真面目に取り組む人間の方が少ないだろうよw 人間は空も飛べ、文字通り食わず飲まず息もせず、海中(水中)で無呼吸で 生き続ける事が出来て何万年でも生き続ける事が出来る〜なんて誰がマジに 信じるのだ? ミスターマリックが目の前で手品を披露したらそれを真に受けて信じるような 感覚で、騙された感がある〜と感じるのが普通の人間。それを大真面目に信じるのが宝珠。 仏教の特異的な特徴は無我にある。他宗教ではアートマンを肯定するが、仏教だけ これを否定する。これが仏教の特徴であり魅力でもある。仏教がアートマンを肯定して いるのなら仏教の魅力なんて無いも等しいww ×ミスターマリックが目の前で手品を披露したらそれを真に受けて信じるような 感覚で、 〇ミスターマリックが目の前で手品を披露したらそれを真に受けて信じるような 感覚であっても、 そうは言っても、極端な阿呆は、人生全部無我やら実体がないから空だとか虚無の 世界観を仏教から誤読(まあ私から見ての事だがwww)するから時々ちゃちゃを入れているw >>735 そっから先はお前の預かり知るところじゃないからw 仏教を虚無志向と捉えるのは、200%西洋的価値観の人間。 また、 近代の科学的世界観価値観、 或いは世俗的享楽の否定が許せない人種、 或いは、自我・自己等「わたくし」の消失を怖れる西洋的感性・神智学的感性もまた、 それを怖れる。 しかしながら、 「涅槃」が「寂滅」と同義と扱われる所以に思いを馳せるなら、 虚無ではなく安楽だと、ストンと解るんだけどね・・。 科学的云々言う前に己の200&とか500&とか非科学的な表記を改めよww 100%を超えても使っても良い表記は列車の乗車率位なものだww それ以外で使う奴は大体頭が非科学的w 良くも悪くもレトリックに対する不感症さが紐の限界なんよねえ >>739 大きなお世話w 別に、数学的計算をしてるわけじゃないから。 もしかして君は、 「八百万の神」と謂う時、800万柱の神を指していると思ってる? 「八百屋」と謂った時、800種類の野菜が並んでると思ってる? 「八万四千の法門」と謂った時、本当に8万4千通りの説法だと思ってる? 「三千大千世界」と謂われた時、3000×1000個の世界だと思ってる? 「指切りげんまん、針千本飲〜ます」と謂った時、実際に1000本飲まし得る約束と思ってる? 「世尊が、2500人の菩薩と云々」と記されている時、本当に2500人の人間(弟子)がそこに居たと思ってる? 君には日本語が向いてないんだろうな・・・。 >>紐 >>743 追記 「十二分」を広辞苑で調べとき。 本来は「十分」が正解で、「100%と120%の違い」は、たぶんそこから来てるんだろうと思うけど。 阿呆ww 日本語が向いていないのはお前らの方だろうがww 200%とか500%とかいうのは何らレトリックではないww 日本古来の言葉の使い方で200%とか500%とかあるのかよwww 日本古来の言葉の使い方はOKだが、「200%とか500%」なんてのはいただけないなあw 使う人間の感性を疑うw >>745 「ら抜き言葉」「させていただきます」の濫用より遥かにマシw 人によっては、主語と敬語・謙譲語の連関が滅茶苦茶なの多いしね。 こわいのは、ビジネス・営業の場面で、それが黙認されている(というか気付かれずにある)ということ。 ま、言葉は生き物だから、いずれ、 「写真を撮らさせていただきます」とか、 「では、あと数分もすれば、○○先生が、ここに来ていただけますので云々」とかも、 通常如常の、正解の言い回しになるのかもしらんけど・・・ orz そんな言葉の変化より200%とか500%の方が遥かに気色悪いがなあw >>747 まあ非科学的な頭の人間にはこれがレトリックにうつるんだろうなあw まあ情緒の解せない人間には、計算通りの数字しか見えないんだろうなぁw >>748 算数が出来ない人間は、 >計算通りの数字〜 となるが、そもそも「計算」なんてしていないし、「数学」ですらない。算数でもないw 表記の問題なのを理解できないのは日本語の理解力の欠如が甚だしいw やっぱ、あらゆる方角から見てセブンは僧侶には向いていないだろうなあ。 表記の問題だから、そこに情報の上乗せがされる(され得る)ということが理解できないなら、 やっぱ、あらゆる方角から見て紐は日本語には向いていないだろうなあ。 表記だから>>745 >使う人間の感性 なので、 200%やら500%が、100%を超える甚だしい状態を指す表現を示そうというのであっても 駄目ということだよw センスのないのは性分だから変えようがない。僧侶もその意味で合っていないという事だ。 表記だから、使う人間の感性 なので、 甚だしい状態を強調したい表現として上乗せされるわけだよw (八百万の神、八万四千の法門、八百屋、千代に八千代に細石の、 万国博覧会、千の風になって、百千万劫難遭遇、などまさにそう。) センスのないのは性分だから変えようがない。日本語の使用もその意味で合っていないという事だ。 ああ、でも、 出会った当初から、 日本語の使い方でコンセンサスが取れてない感じはあったかも。 >>紐 ワシとはともかく、他の人とも齟齬が多かったのは、存外、その辺にも原因があったのかもな・・。 >>732 補 強いて一言二言添えておくなら、 「生まれ変わり」と「日本的先亡の諸霊」と「盆彼岸等の先祖の霊の【帰【郷】】」、 或いはまた、 「(日本的には)先亡の諸霊と(ある種)合一化し(祖霊というグループ化を果たし)、 「そのポジションのまま」子孫・家系を守護する」 ということと、 「生まれ変わって別の人生を生きるということの両立」は成立するのか? ということを、神智学ではどう理屈をつけてるのかね? 地域によっては、盆踊りの際は、死者が戻ってきて一緒に踊ってるという考え方もあるらしいけど、 生まれ変わって、別の人生を生きて、別の我が子と盆踊りを踊りながら、 別の場所で、前世の縁者と盆踊りを踊ってるのかね? んー、まあ、多少は紐の立場も擁護を試みると、 時代的に日本人がそな言語的背景にある文化教養的コンセンサスの厚みや幅というのがどんどんと薄く、狭くはなってきているので、 セブンの期待するほどの“日本語理解力”はそれほど求めることは難しいのかもしれない まあ、紐のは確かにアスペルガー寄りなんだけどw ただ、仏教とか特定の文化カテゴリーに足を踏み入れて何か言論行為をなすにあたって、そのカテゴリーのレトリックを踏まえず、一方的に元来から持っている自分の了見を押し通すのはね…… ……あ、なるほど、宝珠がどうりで紐に秋波を送るわけだw いやもうね、宝珠たんのUFOとか真顔で言ってるのと同じ路線で「本当の仏教ガー」ってやられると本当、 エクソシシズム必要なんじゃないかと 「俺は見た見たって」言い張るんだけど、 尊師よ、眼は私の物です って悪魔のセリフのまんまだしね そんな人の見た弥勒菩薩なんて もう99.99%本物の弥勒菩薩じゃなくて あれだよね 「悪魔のもの」である眼が見させている経験を何の疑いもなしに丸呑みしてるだけだよね >>755 全員が全員自動的に転生されるのか それとも生前の世に未練を持って迷うのか または転生するものとこの世に止まり続ける者に別れるのか? そもそも肉体と心のどちらに主体が有るのか? 死後も心が有るとして それは永遠に有るのか? それとも一時的な仮の現象に過ぎないのか? 永遠に有るとすれば恐竜や原始人の霊が見られない事の説明が付かないし 直ぐに自動的に転生するので有れば死者の霊が目撃される事の説明が付かない 或いはフアントム・ペインの様に生者の心に帰属する幻痛が産み出す錯覚なのだろうか? 貴方はどう考えますか? >>760 有り難うございます ゴーディカ経を始めて読みました ですが 私の問いかけはそのレベルに達する遥か以前の俗人の死後に対するものです また文中の黒い煙の様なものの表記で亡くなった身内の顔から出た同様のものの正体が私の直感と合致していて納得が行きました 重ねて有り難うございます >>743 そこはジンバブエのインフレ率とか宇宙の膨張率とか、具体例を上げてやんないと、バカは納得しない…… あ、しないからバカなんだっけ。(笑) (^。^)そうそう、だから係わりたくないんだった。(笑) >>724 いや、「人が転生しない」ですよ。 例えば、数劫の間地獄にあるという場合、生命の歴史は数十億年なので、それは未来の話であり、 現状は永遠に地獄に在るのと同じことです。 また、何かに封じられれば、転生も何もありませんし。(笑) そもそも、マクロな観測が出来ないんだから、「全て転生してる」とは言えないんですがね。 全て個人からの観測の伝聞でしかないので。 霊に関する通説は、 「太陽は毎日昇って沈む」ように見えるから、「太陽が死と再生を繰り返してる」と信じるのと同じく、 見たままを信じてる「素朴実在論」レベル。 これと「輪廻」を同じレベルで扱うのはね。(笑) (^。^)もう、宝珠いじりは飽きました。(笑) 後は頼んだぞ、諸君!(笑) >>762 他人の言葉にはうるさいが己の言葉にはいい加減な承狂大先生かよww 俺は列車の乗車率などで100%を超える表記は許されるが〜と念を押しているw 何でも全て駄目だなどとも言っていない。 お前は人の何を読んで偉そうに茶々をいれているんだ?カスがw ↓こういう表記で100%を超える表記は駄目だと言っているんだよ。 >500%お釈迦さんの系譜ではない >200%西洋的価値観の人間。 200%あり得ない〜 500%そうに決まっている〜 なんて頭の弱い人間が言う言葉だw そんなに頭が弱くて僧侶が務まるのかよww だから辞めろとwww それに輪廻転生なんてのはインド地方の信仰にすぎず、体験例として上がっているのも そのほとんどがインド辺りのもので、世界的に他の地方での報告例はごくわずかしかない。 臨死体験の報告例が世界全体に偏らずあるのに対して輪廻転生はインドに偏っているのは インドの信仰のバイアスがかかているからだろうなあww >>762 > >>724 > いや、「人が転生しない」ですよ。 それは失礼しました 宇宙が崩壊する時、第2禅定地未満の存在がどうなるのかという話もありますね 地獄界の連中は「他の」宇宙の地獄界に転生するしかない、というような話もどこかで聞いたような 転生するしかない、という話であって、自動的に転生するシステムになっているという話ではないですからね まあどこまで仏教的に通説なのかも不明ですし 愚か者が人に生まれるのは奇跡 たとえば、穴の一つ開いたくびきが海に浮かんでいて、一匹の盲目の亀が百年に一度浮かびあがって、たまたまそのくびきに頭を突っ込んだぐらいの奇跡。 「それはどうしてでしょうか。弟子たちよ、 (地獄、畜生、餓鬼といった)悪趣には、法に適う行いがなく、正しい行いがなく、善を積むことがなく、徳を積むことがないのです。 弟子たちよ、そこには足の引っ張り合いがあり、弱肉強食があるのです。 弟子たちよ、そのようにして、その愚か者が幾久しい歳月の後に人という境涯にやってきますが、そのときには、卑しい家−−チャンダーラの家、猟師の家、竹籠作りの家、車作りの家、あるいは屠殺者の家に生まれ変わります。 ・・・そこでは衣食を得るのが難しいのです。 それでかれは容色悪く、容貌醜く、病気がちです。 目がつぶれていたり、手が曲がっていたり、足をひきずっていたり、半身不随であったりします。 また、食物や飲み物や衣類や乗り物や花環や香料や塗油や寝具や家屋や灯明も手に入れることができないのです。 かれは悪しき行いをし、悪しきことばをしゃべり、悪しき考えを抱いてから、死んで肉体が滅んだ後、幸なきところ、悪い行き先、落ち行く先である、地獄に生まれます」 博打ですべてを失ったとしても、地獄に行くことに比べれば取るに足りない。「弟子たちよ。これこそ、まさに愚か者の完成する境地なのです」 (中部経典 第一二九経 癡慧地経) >>767 個別具体的な他者に対する害意ではなく、 仏法 という抽象的なものに対する「盗み」ってどうなるんでしょうね? エキノコックス星人がやらかしているかもしれないという >>768 横からすみません 造られた法なら盗みも出来るだろうけど 始めから有る法なら盗む事も所有する事も不可能ではないのですか? 寧ろ万物が法の支配下に有る訳ですから >>769 そういう意味での「盗み」ではなく 「仏」法 を 「コンコンチキ」法 とか、ラベルを貼り変えてしまうということです 相対性理論を「アインシュタインではなく俺が発見したんだ!」と強弁したりするような >>770 ああ久遠実成の日蓮が釈迦を産み出したという様なアレな人達のそれですね? 彼はちゃんと話せば解らない人ではないし そこまでではないのでは? からかう様な物言いに反応して少し制御が効かなくなる感じはしますが 仏以外にも仏教VIPである弥勒菩薩や大梵天サナンクマーラの名を騙っている嫌疑もありますけどね その場合は名や権威を盗んでいることにもなりますね >>771 そんな酷いのがいるんだw 専ら話題にしているのはこのスレ参加者のUFOおじさんです >>774 日蓮本仏論は個人じゃなくて宗派まるごとなんで 酷いなんてものじゃ有りません 笑 そういう人達に絡まれてバトルしてると大抵の人は許容範囲内になりますよ >>772 そういう体験は個人的なものだから否定も肯定もしない方が良いのではないですか? 有ると言っても無いと言っても推量による断定だから確証には至りません 私も未確認飛行物体本来の意味でなら見た事は有るけど それが異星人の乗り物かどうかは確認出来ていませんので真偽保留にしています 現代では写真や映像も完璧な証拠にはならないし 誰かの経験と誰かの未経験だけで論じるのは余り意味を持たない様に思います 経験者で肯定派 経験者だけど否定派という様な細分化が適切かも知れません 確認出来るものは確認して 確認出来ないものは保留というのはどうでしょう? その方が仏教的だと思いますが? >>776 まあ、一般論としてはそうでしょうね 今、現に、このスレで訳の分からない偽の仏教像を語っているUFOおじさんは その個人の体験をここでねじ込んで来ているわけ なのでその行動ぶりから逆に何だかこれは異常だなってなるのね 冷静な姿勢の個人と個人のそれぞれの主観体験を別にとやかくするようなとこじゃないのね そこまで主観に踏み込んで客観で行き過ぎるのは紐だしw >>777 皆さん高度なお話をされてるのに僅かな違いで言い争うのは少し勿体無い気がしますね 既に知り得ている素晴らしい事を実践出来ていないのは見ていて歯痒い思いです 宝珠氏も皮肉ったりからかったりされなければ落ち着いて話の出来る方だと見えますので お互いに揶揄や皮肉を交えずに話し合われてみてはどうでしょうか? 一定以上の宗教知識と理解が有る同士がVIP板みたいな煽り合いをしてる様に見えてしまいます >>779 それが11年に渡ってこうだと思うとですね……(苦笑 結局、自説の確認行為しかやっていないんじゃないかと 私は、一代のおかげで、 「なるほど、そういう視線なら、(奈良さんの仏教風呂敷論よろしく) 阿含から“近世”日本仏教まで、ちゃんと仏教として(ブッダの教えとして)筋が通るのね」 と、視野拡がったけど。 別に非仏説とは言わんけど、理や筋は曲がり過ぎじゃね? と思ってたからw そんな彼も、日蓮さんは嫌いだったみたいだが・・ >>781 原始経典から密教迄を緻密に見れば糸は見えると思います 日蓮はその糸を法華経でおしまいにしてブチッと切るから嫌われるのは当たり前という気がしますね 華厳の一即多 多即一も 密教のシンボリズムも彼の視野に入らなかったのかなと思えます ああ、ここにも・・・w つか、仮面被った一代だったりして。 欲求を抑えられず、再び書き込んでるのかという気がするほどw、 ここ暫く、同系統の匂いの書き込みが続いてるので。 >>784 違う、その人はマインドフルネススレで念を保っていながら車のドアを閉め忘れたとして有名な人。 しかし7はいつまでも一代に恋い焦がれているんだな。 彼の再来を待ち続けるために5ちゃんねるを続けているかのようにみえる。 >>785 ああ、大乗(及び中観)って、こういうことか・・ という実例を見せてくれた点で、手帳に名前を残したくなる人物w つか、龍樹に関しては、 (今でも、 「尖り過ぎてて要らない、という判断をしてもいいんじゃないか」 とは思ってるけどw それでも)、 「縁起」という在り様の考察(及び教理面での発展)に関して、大いに参考になった。 >>788 補 「尖ってる」のは(理としての)中論だけで、 他は、ちゃんと(易行も含め)順を踏んだ行論だ、という 彼の言葉にも頷きはするけれど。 一代氏って宝珠に対しては当時からかなり否定的だった気が 過去スレ確認すれば分かることだけど(サボりスマヌ 宝珠は昔議論スレでその一代を含む色々なコテと議論してたのが楽しく懐かしい思い出ででありその続きをやりたくてこういうスレを立てている >>759 h t t p :// mailseijin. bl og129. f c 2 . com / bl og-entry-274. h t m l 漢訳は、その訳経のスパンの長さから、 「文体・単語・文意等で、古形を残している可能性」も高いのだけれど、 同時に、 「当時の価値観に合わせて、訳し方に語義の変更を加えているケース」も多い。 (というか、「6・7・8割がそうだ!」というのが、「格義仏教」という批判語なわけで) で、無我を初め、様々な中国的訳語を批判しながら、「真人」は無批判にそのままとか、 どんだけ御都合主義だよwと。 >>宝珠 「真人」を受け入れるなら、同じように「無我」も受け入れとけ、っていう話。 そしてもし、宝珠が、 「ちゃんと、語の意味内容を吟味して、正しい(―仏陀が説いたと思われる意義―) 訳され方、使われ方、解され方がされてる語は採用し、 そうでない、間違った(―仏陀が説かれていないと思われる意義―) 訳され方、使われ方、解され方がされてる語は採用しない」 というスタンスならば、 (私も含め)多くの対論者が、全く同じ思い・スタンスで、貴方に反論している、 ということも、 十分理解できる筈なんだけどね・・・。 >>799 補 その意味で、 大乗の末席にあることを自覚する者は、 「常楽我浄」を、仏説として、縁起の理の上に、まことしやかに説明できねばならないわけでね・・。 (まあ、だから 「涅槃の四徳」という逆相を設定していくことになった、 と、個人的には類推するのだけれど) ただ、その説明の際に用いる構図が、 キ教的なるもの神智学的なるもの古代中華的なるもの、 そして古代インド的なるもの、でないことが、ただただ希われる・・・・。 何て言うか、仏法を盗む、というか勝手に別物にして読み替えてしまうような真似をすると、 業論的には、 その業報として、 その者から、仏法が盗まれてしまう つまりダルマの深い真実に到達するという縁を自ら断ち切ってしまうという自業自得に陥るんじゃないかという気がするんだよね あ、それで今現にそうなって(現法受業)、悪循環してるわけか(苦笑) 完全な自己否定しか救いよう(改心のチャンス)はねーな 龍樹「空七十論」 第62詩頌から第66詩頌 真実を見ることによって4つの倒錯(無常を常と見ること、苦を楽と見ること、不浄を浄と見ること、無我を我と見ること)がなくなり、 4つの倒錯に縁って生起する迷い(=無明)もなくなる 迷い(=無明)がなければ行(=生成のはたらき)は生ぜず、その他の十二支も生じない Aに縁ってBが生起するという相互依存関係にある存在と無存在も、生成変化するものと生成変化しないものも、実体としては寂静だ そしてそれこそ涅槃ということに他ならない 「Aに縁ってBがある」というものを真実に実在するものだと妄想することこそ迷い(=無明)に他ならないと尊き師は言われた この迷い(=無明)から十二支が生ずるのだ 真実を見て、「実体はない、空だ」としっかり知るならば迷い(=無明)は生じない これこそ迷い(=無明)の滅であり、これによって十二支も滅する ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる