--佛教論議の伽藍スレ-- 第五巻
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仏教に関するKeyword 「無我」と「アートマン(我)」、「輪廻」や「涅槃(ニルヴァーナ)」などについて、 原始経典(「パーリ五部聖典」や「漢訳四阿含経典」)に説かれているブッダからの教説を中心にして、 激しく議論したり、または有益な情報を互いに交換するためのスレです。 尚、自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されますよう宜しくお願いします。 基本的に仏典(原始経典)の記述を根拠にしていることが大前提ですが、 もし、そうでない場合には明確な理由を必ずしっかりと説明して下さい。 -------------------当スレの戒律(マナーとルール) ------------------- 条項 1.アスキーアートは原則禁止(議論に使用する為の真面目な図解については可) 2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない (チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。内容を一つに纏めてから投稿しよう) 3.コピー転載やリンク貼りのみの投稿は慎んでください。 4.一行明け投稿や無駄な空間を使用した投稿は遠慮願います。 5.意味の無い無駄な投稿は完全な犯罪級の荒らしです。スレ主の判断で即刻、退場してもらいます。 6.南伝仏教(または上座部仏教/南方仏教..)を「小乗仏教」と呼称することは差別用語なので使用禁止です。 (1950年の世界仏教会議にて決議した) 7.議論でヒートアップしても相手を不当に侮辱した言葉を使わないこと(節度ある態度で接しよう) 8.仏教徒として当り前の話ですが、ブッダを侮辱する意味の言葉は厳禁です。即刻、退場してもらいます。 9.次スレを立てる際は、勝手に「スレタイ」や「テンプレ」(及びレス番2/資料リンク)を変えないこと。厳守!! 10.円滑な議論のために、当スレでは「コテハン」(固定ハンドルネーム)の使用を推奨します(ただし、強制ではありません)。 以上ですが、基本的には参加者皆さんの良識に期待します。 >>651 歯が? ホントですか? それはカルシウム摂取の問題なのかな... そういわれれば確かに不足はするのかなぁ... お酒は親睦付合いのために職場の飲み会では飲みます(ビールを2-3杯)。 そして普段は、妻との晩酌で週に1回程度をビールやワインやカクテル缶を1-2杯を頂いています。 もちろん、大いに飲めということではありませんけれど... 元々の、仏教の不飲酒戒の起源は、莎伽陀(しゃがた/サーガタ)という出家僧が 信者から酒を振舞われて泥酔して大醜態を晒したためにブッダが激怒されたことに始まりました。 なので、飲酒の禁止は出家僧に対してのものであり、 在家については元々、禁止ではなくて「飲まないほうが良い」程度のものと私は理解します。 以前、僧侶もかなりの割合で飲んでいることを知り、ショックを受けたことがありますw >>652 了解しました^^ >>653 私も過去に七年ぐらい肉魚を一切採らずに過ごしてて歯がすっかり悪くなりましたから… 密教に歯痛呪が無いのは効かないからかも知れませんね 蝋燭の溶けた蝋が神仏の形になったりする事は有っても溶けた歯が再生する様な話は無いから その辺が真言の限界なのかも >>633 すまんねえw 宝珠・紐の言いように対してはどうしてもセブンの肩持ちたくなったりするから 「七狂」とでも名乗るべきか(羽柴秀吉みたいなw >>639 だから、仏教的な輪廻をどーの言うのなら、 畜生界や地獄界とも行き来があること前提にしろって 仏教的には、神智学が「個別の魂はない」と見下しているその辺の虫ケラだって、あんたの先祖である可能性があると見る 先祖供養どころの騒ぎじゃないね セブンに罪障ガーって霊感商法よろしく脅しかけてるどころじゃないね 俺は別に「仏教の修辞に従って」輪廻を語ることに禁忌はないんで、議論をもちこむなら仏教純正品の輪廻を持ってきな 偽物・紛い物・捏造品は地面師詐欺 増支部経典八集>第四 布施品 「 第十 悪行の異熟 40.比丘たちよ、生き物を殺すことを習い修習し多く為せば、地獄に転じ、畜生胎に転じ、餓鬼境に転じる。一切が軽いものであるならば生き物を殺すことの報いは、人としては寿命を少なくすることに転じる。 比丘たちよ、与えられていないものを取ることを習い修習し多く為せば、地獄に転じ、畜生胎に転じ、餓鬼境に転じる。一切が軽いものであるならば与えられていないものを取ることの報いは、人としては財産を損失することに転じる。 比丘たちよ、欲における邪行を習い修習し多く為せば、地獄に転じ、畜生胎に転じ、餓鬼境に転じる。一切が軽いものであるならば欲における邪行の報いは、人としては相手の怨みに転じる。 比丘たちよ、嘘を言うことを習い修習し多く為せば、地獄に転じ、畜生胎に転じ、餓鬼境に転じる。一切が軽いものであるならば嘘を言うことの報いは、人としては事実でないことを言われることに転じる。 比丘たちよ、分裂させることを言うことを習い修習し多く為せば、地獄に転じ、畜生胎に転じ、餓鬼境に転じる。一切が軽いものであるならば分裂させることを言うことの報いは、人としては友人を破られることに転じる。 比丘たちよ、不快なことを言うことを習い修習し多く為せば、地獄に転じ、畜生胎に転じ、餓鬼境に転じる。一切が軽いものであるならば不快なことを言うことの報いは、人としては意にかなわない声を聞くことに転じる。 比丘たちよ、気に触る駄弁を習い修習し多く為せば、地獄に転じ、畜生胎に転じ、餓鬼境に転じる。一切が軽いものであるならば気に触る駄弁は、人としては取るべきでないことを言われることに転じる。 比丘たちよ、穀酒・果実酒(木酒・花酒)を飲むことを習い修習し多く為せば、地獄に転じ、畜生胎に転じ、餓鬼境に転じる。一切が軽いものであるならば穀酒・果実酒を飲むことの報いは、人としては酔うこと(あるいは癡狂)に転じる。(了)」 『南伝大蔵経21 増支部経典5』大蔵出版 P139-140 に相当 ちなみに先祖供養は元々のブッダの説法では餓鬼界に転じた先祖の供養 >>653 >飲酒の禁止は出家僧に対してのものであり、 > 在家については元々、禁止ではなくて「飲まないほうが良い」程度のものと私は理解します。 五戒と律の違いすら弁えていないエキノコックス持ちの尻尾が丸見えw スッタニパータ ダンミカ 393 次に在家の者の行うつとめを汝らに語ろう。このように実行する人し善い<教えを聞く人>(仏弟子)である。純然たる出家修行者に関する規定は、所有のわずらいある人(在家者)がこれを達成するのは実に容易ではない。 394 生きものを(みずから)殺してはならぬ。また(他人をして)殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ。世の中の強剛な者どもでも、また怯えている者どもでも、すべての生きものに対する暴力を抑えて──。 (略) 398 また飲酒を行ってはならぬ。 この(不飲酒の)教えを喜ぶ在家者は、他人をして飲ませてもならぬ。他人が酒を飲むのを容認してもならぬ。── これは終に人を狂酔せしめるものであると知って──。 399 けだし諸々の愚者は酔いのために悪事を行い、 また他人の人々をして怠惰ならしめ、(悪事を)なさせる。 この禍いの起るもとを回避せよ。 それは愚人の愛好するところであるが、しかしひちを狂酔せしめ迷わせるものである。 400 (1)生きものを害してはならぬ。(2)与えられないものを取ってはならぬ。(3)嘘をついてはならぬ。(4)酒を飲んではならぬ。(5)婬事たる不浄の行いをやめよ。(6)夜に時ならぬ食事をしてはならぬ。 401 (7)花かざりを着けてはならぬ。芳香を用いてはならぬ。(8)地上に床を敷いて伏すべし。これこそ実に八っの項目より成るウポーサタ(斎戒)であるという。 苦しみを修滅せしめるブッダが宣示したもうたものである。 (略) 404 正しい法(に従って得た)財を以て母と父とを養え。正しい商売を行え。つとめ励んでこのように怠ることなく暮らしている在家者は、(死後に)<みずから光を放つ>という名の神々のもとに赴く。」 >>660 八斎戒で色界第2天に行けちゃうんだね 神智学のサナンクマーラでも梵天(色界第1天)なのに もちろん神智学のは弥勒同様、偽者の嫌疑アリアリだけどねw >>654 エエッ...そうなんですか? 私は、4-5年玄米菜食を敢行して肉魚鳥卵を絶ったのですが、 確かに、今は歯がボロボロでして、現実に上なんかは総入れ歯になりました(笑) 仏教と出逢う前の十代青年期にはシンナーも吸ったりと少し不良化していたので、 自分ではその影響ではないかと思い込んでいましたけど...。 今、ネットで少し見てみましたら、 最新研究では玄米菜食の落とし穴としてカルシウムとミネラルを排出してしまい、血管と筋肉の老化を招くとありました。 まーよくTVなんかの話では、長寿で健康な御老人たちは皆、肉を凄くよく食べてるようですが。 食べ物の事は本当によく分からない...。 >>656 すでに述べたように、 仏典における輪廻転生の話については七セブンとはとっくに議論を終えています。 尚、いっておきますが、 私は現存する伝統仏教各派すべてにおいて、ブッダの説いた純粋で正しい教えは“消滅して存在していない”ものと見ています。 それが、私が仏教を最高のものとする見方を辞めた決定的理由です。つまり、現存する“仏教はブッダの教えそのものではない”ということ。 その理由により、私個人の学びの中心は「仏教」→「ヒンドゥー」→「神智学」へと移行していったのです。 要するに、私個人の評価としては一位が神智学で、二位がヒンドゥー、 そして、仏教はその次の第三位となります(総じて聖職者と信者のレベルは更に低い)。 何故ならば、現存する伝統仏教は仏典に忠実でないことに加えて、更に言えば、その仏典そのもの自体がすでに変色している。 私個人は仏典の記述のすべてをブッダの正しい教えとしてはみていないし、真理ともみていません。 輪廻の内容についても然りです。ただし、仏教徒たちが伝統仏教の説く内容の輪廻を信じることについては別に構いません。 そのことでは特に害悪もないでしょうから、だから、どうぞ好きにすればそれでいいのです。重要なことは業報と転生を認めるかどうかです。 しかし、すみませんがこの私は“迷信は嫌い”なものでして、自分は“より真実を求めている”のでそれについては失礼させてもらう。 何故ならば、それが“ブッダの精神”だと思いますのでね。 >>659-660 >エキノコックス はいはい、 だいたい議論の中身ではとても構わないと察した者が始めるのが、 これらの相手を罵倒する呼称の連呼なんだな! 昔、「アリンコノウミソ」...とかの連呼を始めた基地外もいた。 所詮は、あなたも同レベルなのだなっと理解する。 だから、 不飲酒戒の起源を説明した通り、それは元々は「酒」そのものが悪いのではなくて、 酒に飲まれて醜態を晒す者が出たから叱られたというのが始まりだ。 だから、節度ある飲み方であれば本来的には何も問題とはならなかったものだ。 出家者と僧侶は禁止事項として守るべきかと思うけれども、在家についいてはそうは思わない。 まっ、在家もダメだとするのが仏教なんだというならば、どうぞお好きに断酒をして下さいな! この私は仏教徒ではないし、断酒よりももっと重視すべき事柄はいくらでもあるから。 >>661 >神智学のサナンクマーラでも梵天(色界第1天)なのに おい.勝手に決めるな!(怒) まず、「梵天」を下位に見なすのが後代の仏教徒らによる策略だ!! 意図的に、バラモン教を仏教の下位にしようとする作戦そのもの。 「梵天勧請」の逸話そのものが神格化であり、その策略だからね。 >>588 承狂 はい。 もちろん私もダライ・ラマが“観世音菩薩の化身”として崇められていることはよく知っています。 けれども、私は法王猊下を最高レベルの方として尊敬はしていますが、 だからといって言われる通りに観世音菩薩の化身とは見ていません。 ここでいう観世音菩薩とは、単に菩薩道の修行者などといった意味合いではなくて、 密教的に見るならば、これは大日如来が衆生を救済する変化身の一つなのだということになる。 チベットにおける大衆の尊敬を一心に集めた想いが、 この衆生を教え導くために様々な姿をとる観世音菩薩の化身なんだというものとなった。 つまりは、これも神格化だということになる。私は、神格化(迷信)というものは信じません。 あくまでも猊下も普通の人間であって、そして、幾段階かのイニシエートとして見ているのです。 神智学では、3.0段階を超えた高位のイニシエートの場合には、 自分である程度の転生先を選択できるようになると言われています。 また、チベットの密教にはそのような秘法もあるのでしょう(ポアの秘法もあるのだから)。 なので、特定の高位のラマならば本当にそれができるのではないかと思います。 >>250 一応、ザッと確認してみると、 この経文のタイトルそのものが『araham. (アラハン) / 敬わるべき人』であり、 「真人」というのは、中村氏によるarahamの意訳だということ。 そして、中村氏はこの「真人」という訳をとても気に入っているとみえて、 パーリ涅槃経『大パリニッバーナ』の翻訳においても随所で多用していることがわかります。 では、この「真人」が中村氏による独創的な意訳なのかというとそうではなくて、 これは元々、『arhat(アルハット)』の漢訳として使われてきた用語なのであり、 それは中国道教における“悟りを開いた不老不死の仙人”という意味合いの言葉だということ。 ブッダは弟子たちに対して、“真実の自己を求めよ”と説いたのであるから、 最初期の教団ではブッダと同義の言葉としての「araham」(真人)が、その真実の自己の実現者であって間違いがないものと思います。 『ブッダ神々との対話』(岩波文庫)の訳注p248では、ズバリこう記されています。 『『わたしが語る』と言っても良い---これは我(アートマン)が存在すると主張する議論である。『雑阿含経』には「何言説有我」。 わがもの---中略---「我所」(『雑阿含経』)・・・表現をしてもよいのである---』 (『ブッダ神々との対話』) >ブッダ御自身が「真人」と呼んで構わないといっているのだから、あなたがこれに異を挟む何ものもないでしょうが! >「真人」とは文字通り“真実の人”であり、“真実の自己”を実現して、自分の「真我」へと到達した者のことです。 >それは“修行完成者”のことだというのだから、つまりは“涅槃に到達した者”、すなわち「如来」と同義だということになる。>>243 参考: 『阿羅漢 梵語アルハット(arhat)の男性・単数・主格、アルハン(arhan)の音写。阿羅訶[呵]あらか・阿盧漢あるかん・羅漢ともいう。 応供おうぐ・応おう・殺賊せつぞく・不生ふしょう・無生むしょう・応真おうしん・真人しんにんなどと漢訳する。』 (WikiArc) 『しん‐じん【真人】 〘名〙 真理を悟った人。神妙の域に達した人。また、世俗を超越した人。中国の老荘思想で道を体得した人。 道教で仙人のこと、また道士の尊称。』 (精選版 日本国語大辞典の解説) 『老荘の伝統では,「聖人」よりむしろ「仙人」を理想の姿とする。仙とは長生ないし不老不死の意であり,「真人」とも呼ばれる仏教の文脈で それはアルハトarhat すなわち阿羅漢(羅漢とも)を指す古訳である。阿羅漢を意味する真人は格義〈的〉であると言える。』 (船山 徹著『文化接触としての仏典漢訳―「格義」と「聖」の序論的考察』) https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/177242/1/ctz_4_010.pdf >>266 これは無我についての理解のことですが、 2-5chで投稿してくる仏教徒が殆ど皆そうだったものだから、何故、そんなにも偏っているのかと驚かされたということ (この人たちは一体、何を読んできたのだろう?)。それで、ついそのことを評して発露した言葉です。 それと別意で、2-5ch投稿者は輪廻転生信じてない者ばかり、たぶん、仏教徒全体からはごく一部の少数派なのだろうけれど...。 >>267 > 【「本筋から外れて」「神智学のスキームで仏典を読んでいる」】 >という ≪【『事実』】≫ を、 > 「彼は、神智学の文脈で仏典を読んでいる」 と評しただけでしかない いやいや.冗談じゃないね!!! この私はあくまでも、(仏教学的理解を以て)仏典の記述に従ってそのまま素直に沿っているだけ。 極々、一部だけを除いて仏典の記述は殆どそのまま文字通りに受け止めてその通りに理解してる。 もしも、もっと異なった神智学的視点の場合には必ずそのことを述べている。 あなた方のこそ、いやテーラワーダを始め伝統仏教の信奉者たちこそが、仏典の記述を無視して従っていないからね。 また、追々そのことを繰り返し、何度でも指摘させて頂くから!! >>268 >どれだけ探しても(瞑想で深層に潜ったとしても)見つからないから、 > 「我(アートマン)」はある、と言わなかった。 >これに尽きるはずなんだがね・・。 涅槃においてすべての自己が消滅しているわけではないことは『ウダーナ』にも明白なこと。 そこには涅槃を涅槃であるとして自覚している自己があり、それが煩悩の無い本来の自己であり、真実の自己の状態なのだ。 それは当然、“アートマンということになる”のだけれども、 ただブッダは、間違いだらけのバラモンたちと自分の教えが同一視されてしまって、 いずれ自分の教えがその中へと埋もれて時と共に消滅することを避けるべく、 敢えてアートマンがあることについては明らかにしなかっただけだ。 それが“無記”の態度というものです。 何故なら、もしも、本当に何も無かったのならば、 そんなもの無いものはどうしようもないわけだから、そのまま素直に「無い」という以外にはないからだ。 しかし、「無い」などとはブッダは一言も発しなかった。ただ、「在る」とは言いたくなかっただけのことだから。 「そのブッダの御心をちゃんと感じ取れっ!」てことをこの私はいってるわけ。 >それが、様々な五蘊仮和合自己の行動を制御し抑制し、善なる方向へ誘導するものなれば、 その本質が「善」そのものだからですよ。 そして、真我とのコンタクトによってその性質が露わになってくるのは当然のこと。 通常は、こちら側(五蘊仮和合自己)からの意識的な刺激が必要であり、そうして真我とのバンプが太くなっていく。 が、瞑想と善行の実践によって、今度は真我の方からこちら側を刺激してくるようになってくる。 神が物質を創造したといわれるが如く、真我が五蘊仮和合自己に作用するようになることに何も矛盾はない。 >宝珠の言う「真我」は、実は梵我一如のブラフマンアートマンですらない。 >個個人それぞれの「自己」なれば、それは全体ではない。梵になりきれていない。 個々の自己であり、そして尚且つ、それは全体の部分として同一なる性質でもある。 というのがヒンドゥーの説くところですよ。私は何も間違ってなどいないから。 ちゃんと自分で勉強することです。 >>271 >つか、それも遥か昔に指摘済みだったかもw >>神智学は西洋的(≒人間頂点の階級的世界観)と。 では、ショウガナイ。 まだ分からないようだから単純明確に教えておきます。 生物学的にみて人類が生命進化の頂点にあるという科学的事実は、別に神智学の説くところと何ら変わらない。 唯一の違いは、科学というのは未熟かつ、アプローチの視点が異なるが故に霊的視点がないということ。 では、仏教ではこのことをどういっているのかというと、 成仏できるのは人間だけであってその他の生命にはできないこと(これは仏性があるのは人間だけという意味ではない)。 であるから、自分が人間として生れてきた今の生が如何に奇跡的で有難いことであるかということをよくよく理解し、 この希なる機会を決して無駄にすることのないように、しっかりとこの仏縁を深めて教えを学びましょう! といっているわけです。それが欠かさず日々の勤行の始まりで御唱えする『開経偈』というものでしょう。 その教えの趣旨というのは、大乗だろうとテーラワーダだろうとまったく同じことだ。 人間でなければ、書物を読んだリ、仏教の話を聞いて理解することができない。 唯一、それは人間だけに可能なことであり、生物界の最高位にあるからこそできることです。 そんなのは当り前の話だ!! ただ中には、 生命の尊さはすべて(どの生き物でも)等しいのだといって、 「野菜を釜茹でにするのも生きた人間をそのまま釜茹でして惨殺するのも同じことだ。 だから、どちらか一方だけを助けられる際にもまったく選びようがない」 などとホザク呆れた基地外がいるからいったまでのことだ!! 生命の尊さと平等とやらをただ上っ面だけで述べている奴のことをこの私はいってる。 『無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義 最高にして深遠な(仏陀が悟られ、説かれた)真理には、 どれほど生まれ変わり死に変わりしても巡り合うことは難しい。 しかし私はいま(仏教に)出会ってその教えに触れることが出来た。 願わくは仏陀の説かれた真理を体得せん』 http://www.horakuji.com/BuddhaSasana/Vajrayana/zaike/kaikyoge.htm >>461 「永遠の「生」」などという表現は誤解を生じる恐れがあるから、この私は使ってないと思うが??? 「生」ではなくて、「意識」ね。つまり、「永遠の「意識」」ということ。そして当然、それは自己意識のことだ。「生」というのと、 肉体的生存と受け取られかねないから。勘違いして欲しくないのは、目指すところの完成者というものは肉体上の不老不死という ことではないからね。 そして、仏教でいう所謂、消滅する自己というのは煩悩のこと。それは煩悩を生じている自己のことであり、これを自我と読ん だリ、個我といったりといろいろな呼び方をしている。神智学ではもっと明確な言い方を選んでおり、これを「低我(低級我)」と 呼んでいる。それはまた、単純に煩悩の消滅のことだとも一般的には表現する。無くなるのはコレ(低級我=煩悩)のことだ! >その説かれなかった部分を、西洋的人間至上主義で構築してるのが、宝珠神智学、とw 確かに、神智学は近代西洋の世界へともたらされたものです。それは事実。そして、神智学の顕著な特徴でもあることですが、 神智学は密教(一般には理解されにくい内容や知る必要のない事柄が多い)でもあるということ。仏教のヴァジュラヤーナ(金剛大乗) と混同してはいけないので、「秘教」というのが適した言い方ですけれど。また、神智学はヒマラヤの覚者から提供されたものなの で、トランス・ヒマラヤ秘教(または単に「秘教」)というのです。 つまり、ゴータマ仏とは異なる覚者によってこの近代において与えられた新しい教えであるから、当然、仏教では説かれていな かった“新しい教え”の部分がある。なので、別に当時のゴータマが握り拳として隠したということとは意味合いは違います。 ゴータマ仏だって、もしも今日、再び現れたのならば、当時は教えていなかった新しい事柄だって語る筈ですよ。仏典は、“2500年 も古い時代の内容”であり、更にはその後に編纂されたものです。 >「師の握り拳はあった」、そしてそれは「永遠の【生】である」という ≪反縁起≫ としか思えないわけで・・・。 いや、そうではない。 縁起に拠らない世界である涅槃(無為)の境地にある自己も当然、同じく縁起しない。 縁起する有為の自己が、無為で縁起しない涅槃で住するわけがないからね。 それ(この自己)は、「有為」じゃないから! 突然、話題を変更しますが、最近、たまたま再放送で番組に登場した片岡鶴太郎のヨガ・マスターの話をみた。それはイ ンド政府公認の難関、「プロフェッショナルヨガ検定・インストラクター」に合格というもので、そもそものヨーガを始めた キッカケは、世界中の歴史的偉人たちの多くが実は瞑想を実践していたという話を知り、それで自分も瞑想をしたいと思っ たからだという。 そのストイックなまでの溢れる熱意と努力の成果には私も素直に拍手を送りたいが、しかし、非常に残念なのは多くの者 がついやってしまう落とし穴にこの鶴ちゃんもズッポリだということ。 鶴ちゃんの何がダメなのかというと、パタンジャリのヨーガ聖典『ヨーガ・スートラ』をそのまま受け取って、ヨーガ・ スートラの説く解脱への段階としての“八支則”に縛られてしまっていること。 1. ヤマ・禁戒 2.ニヤマ・勧戒 3. アーサナ・体位法 4. プラーナヤーマ・調息 5. プラティヤハーラ・制感 6. ダラーナ・凝念 7. ディヤーナ・静慮 8. サマディー・三昧 八支則においては、瞑想(ダラーナ・ディヤーナ・サマディー)は最終段階とされているために、その前段階の特にハタ・ ヨーガ(アーサナ・プラーナヤーマ)をすべて修得すべく没頭してしまっているのです。 しかし、実際には、ハタ・ヨーガは長時間の瞑想にも耐え得る肉体を創るのがそもそもの目的であって、ハタ・ヨーガを すべてマスターしなければ瞑想はできないという意味ではないにも関わらず、これを誤解している者が殆どなのが実情。つ まり、彼らはハタ・ヨーガ体系すべてを完全マスターしようなどとするから、そのことだけに無駄に全生涯が費やされ、そ れで瞑想の実践が疎かになっているわけです。 ヨガナンダやラーマ・クリシュナといった本物の覚者は、ハタ・ヨーガの徹底指導などはしない。入門後は、すぐに瞑想 の実践と取り組みについて指導する。 このことと同じような理由によって、私個人は好きで真言密教を信仰しているけれども、しかし元々、真言密教の奥義の すべてを修得したいなどとは思ったことがない。 確かに密教というのは色々と役には立つが、しかし、これも単なる利用道具の一つであり、その部分でしかない。密教で なければ解脱できないというものではなく、そのすべての修得が不可避なわけでもない。 その視点から見ると、無用な知識があまりにも膨大なのが密教の世界だ。ただし、プロの僧侶というのは一定基準の内容 を修得する必要があるし、そして、真言僧としての勤めと日課に追われる日々を過ごすこととなる。特に縛りを嫌うこの私 には、まったく僧侶に成りたいという考えはない。 もしも、特定の伝統宗派の僧侶となってしまうと、もう好き勝手なことは許されなくなるからだ。 *次に、お盆だったからというわけでもないのだけれども、 「供養」(ここでは先祖供養/死者供養の意)については、 ブッダも明確に“ (行うよう)説かれた”ということについて投稿しようかと思います。 確かに、このことが七の指摘したように、原始経典についての情報が普及してきたことによる誤解として、 その弊害の大きな部分だとしてこの私も思っているので...。 >>655 一応言っとくが、俺と七氏とは立場も仏教観も結構違うからな。 宝珠が、天文学的レベルで明後日の方に居るから相対的に近く見えるだけで。(笑) ついでに言うと、密教の立場でもない。 単に知ってるから明らかな間違いを指摘してるだけで。 だから質問とかすんなよ。(笑) (^。^)あと、今まで、ハゲ相手にも結構な暴言書いてるんだがね。(笑) 何故かバカには見えないらしい。(笑) >>665 「観音の化身ではない」➡「だから転生」 これが瞋痴の迷信を信じるということだよ。(笑) 絶対に個人主体は転生するという迷信を知らなければ、オカルティストとしては 「観音と詐称してる何かが毎回取り憑いてる」 となる。 論理的根拠もなく、「そう言われてるから間違いない」と信じるのを「迷信」と言うんだよ。(笑) 因みに、「論理的」とは、「余計な設定をつけて検証出来てないのに出来たと言い張る」事ではありませんので。(笑) (^。^)あと、科学よりも生命の尊厳を踏みにじるお前が「生命の尊さ」とか、何の冗談だよ。(笑) >>675 承狂 観音による化身の話はチベットの民たちの信仰であり、ただ私は認めていないということ。 しかし、“「転生」現象”というのは、ブッダが説いたものであり、尚且つ、“実際上の事実”です。 これは科学者による検証データによっても明らかなものであって、まったく迷信などではない。 業報理論と転生は論理的に整合性が取れている話であって、逆にこれを否定することが非論理的な話だ。 何故、物質(生命)に意識が生じるのか? 今生のみに限った生存というみことの方が実に不自然。 縁起の理解から見ても、今生が生じた因果というのは前世があったからであって、 そして、また来世があるものと見なすことこそ自然の理です。 迷信ではない事実に対して、勝手に迷信のレッテルを貼る姿勢こそが無知による決め付けの妄想だ! ヴァージニア大学のイアン・スティーヴンソン教授による研究というものがある。 当然、情報データからはノイズとして処理できる疑わしいものについてはすべて排除していくのだけれど、 それでも転生を認める以外にはどうしても説明のつかない事例が残る...。 こうして転生の事実として確認された本物の事例は、すでに2300件を超えている。 もちろん、ダライ・ラマの件についても素晴らしい検証事実です。 尚、前世では動物や虫ケラだったといいう記憶が出てきたなどという検証事実はまったく皆無であり、 その事例は一つも報告がありません。あしからず...。 *私は、以下に上げるサイトページには、すべて目を通されることをお薦めします。 ブッダの教えを舐めない方がいいよ!!(凡人と一緒にしないことだ) http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/reincarnation/ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%B3 http://umarekawari.org/gakusha/index05.html http://www.kisc.meiji.ac.jp/ ~metapsi/psi/7-3.htm http://karapaia.com/archives/52183980.html >(^。^)あと、科学よりも生命の尊厳を踏みにじるお前が「生命の尊さ」とか、何の冗談だよ。(笑) 意味不明。 動物たちにも「魂」はある。別に命の尊さを軽視してわけではない。 ただし、人間ほど進化したものではないという歴然たる事実があるだけのことだ。 あなたの反応をみて明らかなように... だから、“まだ心の準備のできてない者”が知る必要はないんだ、ということになる。 それ故に、これは「秘教」なのだということだ。 なので〜安心して欲しい/認める必要は全然ないからね! 尚、科学サイエンスでは、動物はすべて本能で反応しているだけであり、 その体はDNAの乗り物でしかないというのが主流ですねw 人間もそうだけど精神活動があってもすべてはニューロン電気信号の反応でしかない。 もちろん、魂のようなものは認めていない。 676.輪廻転生は科学の問題である。 それは宗教の問題ではない。 バカには理解できない。 大爆笑である。 >>678 だから、 「科学者」が研究して事実と認定しているといってる。 あなたは何処を読んでる? ただし、 誰が何処から何処へと転生していくのかを予測したり、 前世の状態そのものを見ることはブッダのような完成者にしかできない。科学の力では不可能だ!! そのブッダのような存在になる方法を具体的に知っているのは「宗教」だけだ! ただの煽りなら要らないから、どっか行きな! >>664 架空のヒランヤの大使とか何とかいう妄想のコンコンチキの化けたもの信じて余すところのない人がよく言うねw >>663 > しかし、すみませんがこの私は“迷信は嫌い”なものでして、 迷信の権化のように他の人たちの目には映っていると思うんだけどw まずヒランヤの大使ってどうなんよ? 電波以外に誰が会ったことあるわけ? 手品おばさんの取り出した手紙の主だろwww >>675 了解 まあ、儒教に対する姿勢の違いなど、 承狂さんが東洋思想軸なのは何となく把握 いやいや、何の縁かタイミングが知らないけど 八斎戒と第2禅定地が関連するとは 尋伺を無くしたいというニーズが個人的に生じてきたタイミングなんだよね そうしないと試験の解答時間が足らない気がする >>681 あのね.「ヒマラヤ」ね! ハイアラキーの覚者方には、こちらからは会おうとして逢えるものではない。 覚者方の側からそのような意図が生じない限りは無理なことです。 尚、すでに降臨されているハイアラキーの首長Maitreyaは大勢の人々とも対面しており、 この私も一度だけお会いしています。会話をして、そのお体にも触れています。 また、もちろん創立当時の神智学協会の主要メンバーの何人かはMaitreyaの弟子である覚者方と直接対面してます。 それから一般的に歴史上においてもその存在の公的な記録が確認されているのは 唯一、サンジェルマン伯爵(現在のラコーシ覚者)です。 それから、本物のマハトマ・レター(覚者からテレポーテーションで届いた直筆の手紙)は、 今でも大英博物館に保管されています。 Maitreya & Miracle water(94年頃放映/日本テレビ『スーパーテレビ』) http://www.youtube.com/watch?v=ajp5p0b0-6E シリア騒乱の中で“白い天使”の出現としてメディアに現地報道された傷ついた人を助け出すMaitreyaの姿 https://www.youtube.com/watch?v=sSGVtJOeXAo Maitreya出現の徴(光の十字架、光のサークル) https://www.youtube.com/watch?v=xwX-K9iCIew (東京都ひばりが丘/西友ストア) https://uni.5ch.net/test/read.cgi/psy/1387571518/791 (札幌/東急百貨店、大阪/阪急電鉄本社ビル) 神智学協会初期当時のモリヤ覚者の目撃談(『神智学の五年間』より) http://mimizun.com/log/2ch/psy/1239017285/662-663 サンジェルマン伯爵について https://www.youtube.com/watch?v=Sc8ZYRBPvs0 時空を超えた超人サン・ジェルマン伯爵の謎 http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hsg/_st_germain.html クートフーミ覚者肖像画 http://lh5.ggpht.com/_MkRWi4hHTPg/TOaJ-aNZOmI/AAAAAAAAAsc/qQrtfwmJ2ik/kuthumi02.jpg モリヤ覚者肖像画 http://iihatobu.com/work/contents/morya1.jpg >>662 完全菜食 野菜と魚だけ 肉食も含めた雑食で比較すると野菜と魚が一番長生き出来る様です 肉を食べる場合は煮沸して油抜きを徹底した方が身体には良いみたいですよ ここは・・・・・ >>684 小学生が多数目撃した口裂け女、人面犬と同類じゃんw その判断能力で仏典の真偽を判断されてもねえ…… UFO妄想と同次元で宗教存在の有無を主張しちゃってるんだしw >>684 > Maitreyaは大勢の人々とも対面しており、 > この私も一度だけお会いしています。会話をして、そのお体にも触れています。 あかんわ 完全にマーラの幻術にやられてるわwww とりあえず、「もし」だけど俺が初禅地に入ったら、サナンクマーラに、 俺の宝珠さんに対する神智学詐欺説を含めた態度に問題があって、 正す必要があるなら、コンタクトとってくるだろうし、こちらとしてもコンタクトとってきてもらって構わないし、 そうじゃないってことは、そうじゃないってことなんだろう むしろサナンクマーラの名を騙る詐欺をやめさせるようにってコンタクト取ってくる可能性だってあるしね 同じ事は弥勒菩薩についても言えるんだけど、どうやったら兜率天禅定に入れるのか、よくわかんないんだけどw あ、弥勒菩薩に関しては、神智学と同じこと、無着がやらかしてたっけ? ただ、トゥシタ天の名を冠したエスニックレストランには毎週のように行ってたわw ということはそこで潜在意識では弥勒菩薩からのメッセージを受け取っているのかもしれないが、俺の如きに分かろうはずもないのだろう ただ、神智学詐欺に対する強い反感は確実にある 「アーナンダよ、過去の時において、清浄であって最高にして無上な空性に達して住していた沙門やバラモンたちは、みなすべて、まさしく、清浄であって最高にして無上な空性に達して住していたのである。 アーナンダよ、未来の時において、清浄であって最高にして無上な空性に達して住しているだろう沙門やバラモンたちは、みなすべて、まさしく、清浄であって最高にして無上な空性に達して住しているだろう。 アーナンダよ、今現在、清浄であって最高にして無上な空性に達して住している沙門やバラモンたちは、みなすべて、まさしく、清浄であって最高にして無上な空性に達して住しているのである。 それ故に、アーナンダよ、ここにおいて<清浄であって最高にして無上な空性に達して、わたしは住しようと、このように、アーナンダよ、学習すべきである。」 (『マッジマ・ニカーヤ』第121経 空小経) さて、 ちょっと角度を変えて煽ってみよう。 もし、仏陀が、 従前の狭いアートマン(我、真我)との混同を怖れ、『在世中』は、明言しなかった という言い方を受用し、また、「師の握り拳はない」という台詞も受容するなら、 【仏陀の到達点が、そのレベルだった】という発想を、なぜ、考慮できないのか? >>宝珠 ヒンドゥでも神智学でもどっちでもいいがw そこで言われる「階層」や「悟り(覚醒・成長)の段階」或いは「真のゴール」という視点で見た時、 『ゴータマシッダッタは、途中までだった』 と、なぜ言わないのか? 憲法9条と自衛隊等と同じく、【読み方、解釈の上で、ゴータマ仏陀は神智学的ゴールを説いていた】 と見做しているだけで、実際の文言はそうではない。 読み解き方の相違であることは、お互い様。(上の阿羅漢=真人とかw 心性本浄とかウダーナとかw) 宝珠自身、「違う」ということ、そして「在世時は積極的に説かなかった」というスタンスなわけで、 だったら、神智学の階層の中で、仏陀を、途中の、途上にある者と位置付ければ済むのに、 なぜ、そうではなく、(当時ははっきり言わなかったけど説いていたなどとw)ややこしいことを言わねばならんのか? 現に、ヒンドゥ世界では、仏陀はその他大勢の神や化身と同レベルなわけでね・・。 なぜ、 『わざわざ、「ゴールまでたどり着いていた」ということにしなきゃならんのか』と。 仏教(仏陀の教え)と神智学は違う、仏陀は、いいところまで来てたけど、あと一歩だった で、なぜいけないのか? という話。 だから、 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も 言ってるけど、 違うものは違う、で済む話なのに、なぜ、「同じ」であるとしなければならないかが、 やっぱり理解できない・・。 改めてまとめ。 「ブッダは、神智学の悟りの階層の中では、ゴールまで達していない」 この文章で、これまで十数年の議論は一瞬にして片が付くwww 仏教と神智学が同じである必要は全く無く、 仏教は仏教の世界観と価値観の中で、 ちゃんと、安心(あんじん)と平穏を提供「してきた」し、また、この先も提供し続けうるのさ。 *(上記「してきた」は重要。 神智学が知られてなくとも、仏教は、信じ行じられてきたのだから。) (^。^)なんか、ほんとにコテ付けてくれてて、ありがとさんでござんした。(笑) >>676 その偉大な科学者先生の名前でググれば、 前世が動物のケースも検証してる と書いてる記事が出てくるし、 そもそもデータの検証をしただけで、 「私の解釈は重要ではない」としてるらしいが? 宝珠の書き方は、正に「余計な設定をつけて検証できないのに検証出来ました」とミスリードしてるだけなんだが、 きっと理解出来ないんだろうなぁ。 >>677 も>>649 で何を指摘されたか全く理解出来てないし。 真面目な話、一度マトモなカウンセラーとよく話し合った方がいいよ。 反応が、まるで洗脳されたカルト信者みたいだ。 なぜ、694のような謂いを思いつくかと言えば、 漱石さんのことがあるからで、 漱石は、(「即天去私」という語があったり、20代の参禅経験があるように) 「ファンの間では、相当な境地にあったと思いたい」ベクトルがあるわけで、 かといって、禅者からすれば、 「(TPOもあるので、悪し様には言わないがw)、所詮処世訓レベル、良くて熱心な信者レベル」という評価なわけでさ。 >>696 今調べてみたけど、 仏陀はつい最近、1956年にブッダレベル(レベル8)から梵天サナンクマーラと同じ神レベル(レベル9)にレベルアップしたらしいw そして…… レベル数百〜数千クラスがこの銀河にいるらしいよwww マーラの幻術にやられとるw なんというドラゴンボールw ああ、ジャンプの世界観って世界共通かも。 自分らを虐げる(排しようとする)敵がいて、 けど、方向性の類似に気付いて意気投合して仲間になって、 互いに高め合うけど、最後の最後は、 宿命とか生まれ持った才能とかetc.で、北斗宗家だったりサイヤ人のエリートだったり、 定められた者が定められた役割で定められた方法で定められた(≒望まれる)解決策を実行する、と。 ナルトはどうだったっけか・・・。 いずれにしても、 (実は大乗仏教もその色合いはあるが)「ロープレ化」こそが宗教の劣化であり、 また、リトマス試験紙かもな・・と。 Khattiyo settho jane tasmim ye gottapatisārino Vijjācaranasampanno so settho devamānuse. これぞ大梵天サナンクマーラの真言 神智学徒、彼らはあまりにも大梵天を誹謗し、妄語し、多くの不徳を生んでいるのです >>702 これが大梵天さんの俺に対する返答ということだね ものすごいパワー溢れる真言 >>685 情報をありがとうございました. ご親切に感謝しますm(__)m >>690 それは“如来”「tathāgata」(ターターギャター)の別称でしょ。尚且つ、それは十語にて限定されてる。 第一、十号にはそもそも「阿羅漢」だって直接は入ってないのだからね。あくまでも阿羅漢は「応供」の“別称”の扱いでしょう。 「真人」は、そのまた更に“阿羅漢”「arhat」(アルハット)の別称なのだから止む得ないのでは? >>688 >UFO妄想 エッ! まだ見てなかったの? いや.ザンネンだね.. ホントあなた方は...。 で、あなたは生きている間に心霊存在とUFOのどっちかくらいは見れますかね(笑) 宇宙に地球人だけという方が不自然で不条理です。 科学的にも確率的に宇宙人の存在は当然と考えられている。あとは彼らとの遭遇の問題...。 しかし実際上、UFOくらいすでに多くの人が目撃してるよ!! これが私の目撃情報です--あいよぉ!! https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1548698413/986-987 >>691 サナット・クマラから直接、何処かの誰かにコンタクトをつけるなどということは在り得ない。 サナット・クマラは世界主にしてワンイニシエーター。サナット・クマラに遭えるのは、 第三段階イニシエーションとそれ以降の高位のイニシエーションのときのみです。 そして尚且つ、通常はその時の記憶は保持することができない。 たかが通常の瞑想レベル程度でこちらから望んでMaitreyaや世界主に会って来るなどできる筈がない。 あなたが第三段階以上、いや第四段階のアルハット位階以上の進化を遂げていなければ、 とても望むような接触などはできない。 >あ、弥勒菩薩に関しては、神智学と同じこと、無着がやらかしてたっけ? それはハイアラキーの首長であるMaitreyaとは別存在であり、普通に実在した僧侶です。 『インドの僧。大乗仏教の学派のひとつ瑜伽行唯識学派の開祖とされる人物[2]。未来仏として信仰される弥勒菩薩と同じ存在 として扱われてきたが、仏教学者の宇井伯寿が1929年に『Maitreya as an Historical Personage』において歴史的人物として扱 う見方を提示した[3]。』(Wiki) >>700 それらはすべてデタラメです。 あなたは、それを何処のサイトで見ました? いっておきますが、 ネット上に溢れているホワイト・ブラザーフットとハイアラキーの覚者方についての情報は その殆どが間違っており、まったく使えませんから。 >>701 冗談じゃない!! “デタラメ”見て反応するのはやめてくれよw >>698 >その偉大な科学者先生の名前でググれば、 >前世が動物のケースも検証してる 了解しました...。 ご指摘ありがとうございました! そのことについてはココに謝罪をしますm(__)m 『「前世」は,非業の死を遂げた人物であることが多く,殺人被害者の場合は,加害者に対して敵意を見せる。 「前世」が,自殺者であることは少ないし,動物であることはほとんどない(少なくとも報告されてない)。』 (生まれ変わり事例の研究) http://www.kisc.meiji.ac.jp/ ~metapsi/psi/7-3.htm ということで、 私は人間⇔動物間(人間以外)での転生についてはかなり懐疑的でしたが、 しかし、そのようなごく稀なレアケースもあるらしいことについては認めることにします。 私は、仏教における六道(本来は修羅のない五道)の“畜生道・畜生界”とは、 まるで人間ではない動物のような扱いを受ける酷い境涯のことなのだと受け止めていました。 つまり、分かり易く極端な事例でいえば、マルタ人体実験とか人身売買や奴隷虐待、人質拷問...等々が上げられますが、 それらが畜生道(畜生界)への転生のことであると。 なので仏典の説く、動物に生まれるという意味での「畜生胎」>>657 の話はすべて、 人を悪事に入らせないための脅し的な方便だととらえていました。そのまま受け取るのは迷信かと...。 しかし、まさか本当に動物の肉体に転生する事例があるとは...かなり驚きました。 でもたぶん、本当にそれは極々稀なレアケースだろうとは思いますが。 >>694-696 いや、意味不明...。 私はブッダが低いなどとはいったことはないし、そして、誰もそう見てない。 低いのは現状の“仏教界の実態”のことですよ。 仏教徒自身が“本来の真実のブッダの教えを見失ってしまった”のです。 だから、仏教徒たちというのはその実際上の歴史において常に、 大衆部及び大乗vs上座部、説一切有部vs諸派、密教vs諸派、中観派vs唯識派、 浄土信仰vs諸派、輪廻否定/断滅論支持派vs伝統諸派...etcと、限りなく果てしなく論争し続けてきたのです。 つまり、何が正しいのかが分からないのです。 まずは、その事実を認めなさいな! 神智学の教えでは、 地球人類から出てきた中での最高度の進化を達成した方がブッダであり、その進化段階は8段階だとされる。 そして、ブッダと一緒に一番最初に地球上でのイニシエーションを受けたのが、ブッダの兄弟であり後継者のMaitreya(7段階)。 そのMaitreyaを頂点とするハイアラキーの覚者方、Maitreyaの直弟子たちがチョハンの6段階。 我々が目指すべきゴールであるニルヴァーナ境地に達した覚者が5段階です。 そして、その手前のアルハット位階の4段階(神智学ではアルハットは覚者ではない)、 サナット・クマラ(この惑星ロゴスの反映であり、人類の魂を吹き込まれた父)から最初に受ける本格的イニシエーションが3段階、 Maitreyaから受ける幼子のイニシエーションが1-2段階です。 そして大体、世界平和を志向したり、瞑想などの実践に取り組みだすような人々というのは殆ど皆、 1段階の前後にいるとされています。 尚、一般大衆が何もそこまで知る必要はまったくない。 ニルヴァーナ涅槃(5段階イニシエート=覚者)を目指すことには何も変わりがない。 >>704 アルハットはもともと「尊敬されるべき人」の意味でその意訳が応供、音写が阿羅漢。 真人という意味ではありません。 >>697 その主張は概ね認めます! 確かに人々に受け入れられ、 認められて、実際に永い歴史の中で信仰され続けてきた。 こうしてブッダの精神を二千五百年を経て今日まで伝えてきたわけです。 それ自体が素晴らしい奇跡といえるし、それこそ大変な努力ですよ。 ならば、 仏教だけが唯一の真理で他はすべてダメというアホ論理は捨てるべきです。 己の未熟を顧みずヒンドゥーを下位に置こうとする醜態は止めた方がいい。 あとは、ご自由に信仰をこれからも続けるのは何も問題ない。 >>705 > >UFO妄想 > > エッ! まだ見てなかったの? > これが私の目撃情報です--あいよぉ!! > https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1548698413/986-987 セブン、これが宝珠の本質なんだよ サンタさんの実在を強弁してはばからない こんなのは、サンタさんを信じるガキを論破して得意満面の紐あたりに任せときゃいいのよね 真面目に仏教の思想体系に基づいて反駁する価値はない >>706 天下のWikipedia様w もう、身内の神智学同士でも、要するに ・自分の都合の良いものは(他人に突き付ける印籠として)援用する ・自分の都合の悪いものは間違っているとして無視 なんでしょw そうやってハイアラキー同士でも手品で出す手紙を互いに捏造し合って神智学協会は分裂したわけだしw 三つ子の魂百まで 始祖の魂末端信者まで の好例がここにもw >>706 >In the Ascended Master Teachings, it is believed that on January 1, 1956, >Buddha advanced from the 8th level to the 9th level, becoming co-equal with Sanat Kumara. 英語で情報入れられると、海外の情報は最新の情報をキャッチアップしやすいねw て、1956年だけどなw まあ少なくとも己が情弱になって、情弱相手に偉そうなこと言って圧倒しようとする手の詐欺師のペースに陥ることは なくて済むので助かるわ >>709 だから、“古訳”としてあるといってるでしょ。 前回の引用が少しミスってるようなので再掲しますよ! 『老荘の伝統では,「聖人」よりむしろ「仙人」を理想の姿とする。仙とは長生ないし不老不死の意であり,「真人」 とも呼ばれる(儒教では「真人」という語は用いない) ---中略--- 因みに「真」という文字は儒学の経典には出てこない。それは概念も言葉も道家のものであって,『老子』には現れ ないが,『荘子』において多用されている[吉川 1990 : 178]。 仏教の文脈でそれはアルハトarhat すなわち阿羅漢 (羅漢とも)を指す古訳である。阿羅漢を意味する真人は格義〈的〉であると言える。』 (船山 徹著『文化接触としての仏典漢訳―「格義」と「聖」の序論的考察』) https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/177242/1/ctz_4_010.pdf そして、『ブッダ神々との対話』(岩波文庫)の訳注p248では、 中村氏は、『シナでは「真人」をこれの訳語として用いていることがある。』と説明しています。 “これ”とはもちろん、“尊敬されるべき人”のことで、araham.のこと。 認めたくないならばご自由に... >>711 仏典のこそ奇跡と神通のオンパレードでしょうが! 事実は事実。本物は本物。そして、迷信は迷信だ...。 そのように正しく分別をつけるのが正しい姿勢だ。 >>712-713 デタラメはデタラメ。 嘘は嘘。間違いは間違い。 それ以上のいいようはない!! あなたの発言にはいちいち付き合ってられないので、 今後は逐一レスしませんからね。労力の無駄...。 なので、あなただとすぐ分かり易いようにコテハンつけて欲しいね。 >>707 瞋痴の言う、動物の魂は同じとかって話は間違いだった訳だ。 こんな重要な事を間違う瞋痴なのに、何故、仏教より上だと断定できるのかな? 「瞋痴が絶対正しい」という結論ありきで考えてるからだろ? それはキリスト教と同じく、異教は愚かな迷信という傲慢な考え方。 それと、仏教で「自分の宗派が絶対に正しい」と言い合うのは、 「自分の宗派が、回り道せずに悲願に至る方法論として、絶対に正しい」 という意味であり、 他所の宗派は劣るものであって「愚かな迷信」という意味ではありません。 これは七氏などが繰り返し何度も言い方を変えて説明してますが、 先述のバイアスが掛かってるから読み取れないのです。 これを世間では、洗脳状態と言います。 (^。^)悪いことは言わないから、一度、マトモなカウンセリングを受けなさい。 >>717 承狂 だから、 それは極ごくレアケースとして、稀なる可能性としてです。 基本前提の認識には変更はないです。 そんなことを言う割には、あなた自身が仏典の記述を信じないじゃないか! フザケルのも大概にした方がいいのでは??? あなたの真面目さはコテハン使用を守ることだけだw >>718 レアケースがある法則なんてものは間違いだよ。 そんなものは単なる経験則に過ぎない。 瞋痴は、基本中の基本である魂の在り方を誤認してるって認めなさい。 間違った話を元に、他の宗教を歪めようとするのは、良いことではないと解りませんかね? 「人は人に絶対に生まれ変わる」 これは間違いです。 つまり「輪廻を、生まれ変わりとするのは間違い」な訳。 蛇が人に転生するなら、人が転生しないケースも有るかも知れないでしょ? これを証明するのは論理的に不可能なのは判りますか? 結論ありきではなく、論理的に考えてみなさい。 というか、瞋痴はどれだけ術を使えるのか知らないが、 何らかの術で実際に神仏や霊とやりあってたら、 「輪廻が生まれ変わりの意味」 だなんて単純な考えは改めさせられるはずなんだがね。 まさか、聞いた話、見かけた現象だけで、正しいとか間違いだとか言ってるのかね? それがどのくらい恐ろしい事か、考えた事はないのかね? >阿羅漢を意味する真人は格義〈的〉であると言える。 つまり、『中国的に解釈し直した訳語』ということ。 原義ではない(インド仏教が付与していた意味合いではない)ということ。 大きな辞書的に言えば、10番目20番目になってようやく出てくる意味ということ。 >>714 >>719 承狂 いやいやまだ、動物⇔人間についてはその可能性としてですよ。 だから、そういう情報があるという程度に留めます。 それは憑依であり、憑依していた時の記憶である可能性も検討する必要があるだろうしね。 また、もし仮に動物⇔人間があるとしても、それは“蛇が人に転生する”のではなくて、 それはあくまでの“人の魂が蛇に転生し、そしてまた再び人へと転生して戻って来る”ということだと理解します。 「蛇の魂そのもの」が人間に転生するという意味とは見なさない。 >つまり「輪廻を、生まれ変わりとするのは間違い」な訳。 >蛇が人に転生するなら、人が転生しないケースも有るかも知れないでしょ? あなたは論理が突然、飛躍するのですね! 業報理論からみて在り得ないでしょ! では、ここに涅槃に入る以外の転生が止むケースについてその仏典の記述を出してもらえます? >>708 なぜ意味不明なのか意味不明w >私はブッダが低いなどとはいったことはないし、そして、誰もそう見てない。 >低いのは現状の“仏教界の実態”のこと だからw 「ブッダは覚醒レベルが低かった」 で良いじゃないですかw なぜ、神智学の枠の外のインドの一遊行者を、最高レベルに祭り上げる必要があるのか? という話。 *(だから、その意味では、 仏教の世界観では勿論頂点(か、舎利弗と並ぶかwという位置付け)としても、 神智学の世界観では、多分真ん中くらいの低い所なんだろうな、と私は思ってますよ?www) 説かれなかったことは説かれなかったこととして素直に受け止めておけばいいのに、 なぜ、「実は云々」という形にしなきゃならんのか?ということ。 (まさに少年ジャンプの世界観!w) >>722 それ、文脈から見て、「人が人に」の脱字でしょ 423 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成すべきことをすべて完成した人、---かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。 岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より 「Pathame udana(歓喜の言葉)」 Aneka j?tisa?s?ra? sandh?vissa? anibbisa? Gahak?raka? gavesanto dukkha j?ti punappuna? ? 無数の生涯にわたり、あてどなく輪廻をさまよってきた、家の作者を探し求めて。 更に更にと、生まれ変わるのは苦しいことである。 ? 154. Gahak?raka di??ho'si puna geha? na k?hasi Sabb? te ph?suk? bhagg? gahak??a? visa?khata? Visa?kh?ragata? citta? ta?h?na? khayamajjhag?. ? 家の作者(渇愛)よ、汝の正体は見られたり。 汝が家を作ることはもはやあるまい。 汝の梁(煩悩)はすべて折れ、家の屋根(無明)は壊れてしまった。 形成するはたらき(行)から心は離れ、渇愛を滅ぼし尽した。 ?(ダンマパダ153,154)p28「日常読誦経典」 >>723 >神智学の枠の外のインドの一遊行者を、最高レベルに祭り上げる必要があるのか? という話。 いや.意味不明。 “どの宗教からでも道を上ることができる”とするのが神智学であって、 神智学以外は非真理でダメだというものではない(あなた方とは違う)。 単純に、ブッダが最高位にあるというのが事実だからであって、別に神智学外の聖者を持ち上げているわけではない。 で、神智学はMaitreyaが説いたものではなくて、その弟子の覚者方からのものです。 Maitreyaは一般には誰にでも分かる簡単な教えしか語らない。 そして、世界中に出現した諸宗教の発生を最終的に決定しているのはMaitreya(ブッダ以降の後継として)です。 舎利弗その他の古い弟子たちは皆すべて、とっくの昔に5段階以上です。 まっ、詳しくやっても意味ないだろうから辞めます。 >>726 いや、だからw 神智学で言われる幾つかが、仏教では説かれていないんですよね? 少なくとも、仏教内の文献からは辿れてませんよね? だから、 「ブッダはそこまでだった」でいいじゃないですか?と言っているのですw 或いは、別の妄想をしてもいい。 >>726 >舎利弗その他の古い弟子たちは皆すべて、とっくの昔に5段階以上 寧ろ、ブッダよりも舎利弗やその他弟子の方が上位階層へ登っていて、 だからこそ、晩年隠居状態だった釈尊の言葉以上に、 弟子たちの言葉が、(明文化ではなくとも)残った。 弟子たちの方が釈尊より上だった、という仮説もとれますよ?w このスレ読んでいて 神智学って妄想を駆使して作り上げた 「ぼくの考えた最強の」なんちゃって宗教なんだね という感想を持った なるほど、真我実現を唱え真我を発見したようなことをハッキリと言っているラマナ・マハリシなどの聖人は、 真我を見つけられなかった、確認できなかった釈尊よりも神智学のイニシエートとかいうものでは何段階か上ということになるのかもしれないね。 うむ。 或いはまた、 仏教内でも様々な僧が輩出されているわけだが、 それら有名どころもまた、或るレベルどまりで、ブッダ釈尊だけが最高位に置かれるところも、 「開祖・創唱者だから?」と勘繰りたくもなる。 又、 仏教外でも様々な宗教的聖者の名は挙がるわけだが、 彼らもまた最高位に列せられない。 なぜ、仏教・ブッダだけが、他を抜きんでて表彰台の頂点へ列せられるのかな、と。 (残された資料からすると、大乗系の各如来や菩薩の方が、よっぽどふさわしいし、 19世紀以降の近代仏教学の成果は、史実としての歴史的人物シッダッタの掘り下げに寄与してきたわけで、 その視点からすれば、他の多くの聖者方の方が、よっぽどふさわしい。) 又、 儒教的価値観と先祖供養や、 日本の霊魂観と儒教的道徳観と仏教的世界観の上に構築された、 「日本的先祖供養」についても、 葬儀社や仏具石材店のHPレベルの知識しかないもんだから、 日本仏教の問題点が、布施等金銭面、或いは僧侶の日常生活しか見えてない。 勿論、それも重要な点だけれど、 根っこというか病巣は、もっと根深く、長期に亘って醸成された日本文化、習俗にあるというのに・・。 その辺も書き込もうかと思ってたけど、面倒なんでやめた。 また、何かきっかけがあれば、少し喋るかも・・。 訳の分からん論争が続いていますなあw 皆さんご活発で何よりなことですww 大体、宝珠の神智学なんて真面目に取り組む人間の方が少ないだろうよw 人間は空も飛べ、文字通り食わず飲まず息もせず、海中(水中)で無呼吸で 生き続ける事が出来て何万年でも生き続ける事が出来る〜なんて誰がマジに 信じるのだ? ミスターマリックが目の前で手品を披露したらそれを真に受けて信じるような 感覚で、騙された感がある〜と感じるのが普通の人間。それを大真面目に信じるのが宝珠。 仏教の特異的な特徴は無我にある。他宗教ではアートマンを肯定するが、仏教だけ これを否定する。これが仏教の特徴であり魅力でもある。仏教がアートマンを肯定して いるのなら仏教の魅力なんて無いも等しいww ×ミスターマリックが目の前で手品を披露したらそれを真に受けて信じるような 感覚で、 〇ミスターマリックが目の前で手品を披露したらそれを真に受けて信じるような 感覚であっても、 そうは言っても、極端な阿呆は、人生全部無我やら実体がないから空だとか虚無の 世界観を仏教から誤読(まあ私から見ての事だがwww)するから時々ちゃちゃを入れているw >>735 そっから先はお前の預かり知るところじゃないからw 仏教を虚無志向と捉えるのは、200%西洋的価値観の人間。 また、 近代の科学的世界観価値観、 或いは世俗的享楽の否定が許せない人種、 或いは、自我・自己等「わたくし」の消失を怖れる西洋的感性・神智学的感性もまた、 それを怖れる。 しかしながら、 「涅槃」が「寂滅」と同義と扱われる所以に思いを馳せるなら、 虚無ではなく安楽だと、ストンと解るんだけどね・・。 科学的云々言う前に己の200&とか500&とか非科学的な表記を改めよww 100%を超えても使っても良い表記は列車の乗車率位なものだww それ以外で使う奴は大体頭が非科学的w 良くも悪くもレトリックに対する不感症さが紐の限界なんよねえ >>739 大きなお世話w 別に、数学的計算をしてるわけじゃないから。 もしかして君は、 「八百万の神」と謂う時、800万柱の神を指していると思ってる? 「八百屋」と謂った時、800種類の野菜が並んでると思ってる? 「八万四千の法門」と謂った時、本当に8万4千通りの説法だと思ってる? 「三千大千世界」と謂われた時、3000×1000個の世界だと思ってる? 「指切りげんまん、針千本飲〜ます」と謂った時、実際に1000本飲まし得る約束と思ってる? 「世尊が、2500人の菩薩と云々」と記されている時、本当に2500人の人間(弟子)がそこに居たと思ってる? 君には日本語が向いてないんだろうな・・・。 >>紐 >>743 追記 「十二分」を広辞苑で調べとき。 本来は「十分」が正解で、「100%と120%の違い」は、たぶんそこから来てるんだろうと思うけど。 阿呆ww 日本語が向いていないのはお前らの方だろうがww 200%とか500%とかいうのは何らレトリックではないww 日本古来の言葉の使い方で200%とか500%とかあるのかよwww 日本古来の言葉の使い方はOKだが、「200%とか500%」なんてのはいただけないなあw 使う人間の感性を疑うw >>745 「ら抜き言葉」「させていただきます」の濫用より遥かにマシw 人によっては、主語と敬語・謙譲語の連関が滅茶苦茶なの多いしね。 こわいのは、ビジネス・営業の場面で、それが黙認されている(というか気付かれずにある)ということ。 ま、言葉は生き物だから、いずれ、 「写真を撮らさせていただきます」とか、 「では、あと数分もすれば、○○先生が、ここに来ていただけますので云々」とかも、 通常如常の、正解の言い回しになるのかもしらんけど・・・ orz そんな言葉の変化より200%とか500%の方が遥かに気色悪いがなあw >>747 まあ非科学的な頭の人間にはこれがレトリックにうつるんだろうなあw まあ情緒の解せない人間には、計算通りの数字しか見えないんだろうなぁw >>748 算数が出来ない人間は、 >計算通りの数字〜 となるが、そもそも「計算」なんてしていないし、「数学」ですらない。算数でもないw 表記の問題なのを理解できないのは日本語の理解力の欠如が甚だしいw やっぱ、あらゆる方角から見てセブンは僧侶には向いていないだろうなあ。 表記の問題だから、そこに情報の上乗せがされる(され得る)ということが理解できないなら、 やっぱ、あらゆる方角から見て紐は日本語には向いていないだろうなあ。 表記だから>>745 >使う人間の感性 なので、 200%やら500%が、100%を超える甚だしい状態を指す表現を示そうというのであっても 駄目ということだよw センスのないのは性分だから変えようがない。僧侶もその意味で合っていないという事だ。 表記だから、使う人間の感性 なので、 甚だしい状態を強調したい表現として上乗せされるわけだよw (八百万の神、八万四千の法門、八百屋、千代に八千代に細石の、 万国博覧会、千の風になって、百千万劫難遭遇、などまさにそう。) センスのないのは性分だから変えようがない。日本語の使用もその意味で合っていないという事だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる