中論もアビダルマも、そこまで精密に読む人って仏教徒のなかでも小数じゃなかろうか。
心、心所、物質が無常、苦、無我で、涅槃が(生老病死からの)自由の境地だとすると、
スマ長老の説明は、修道上は必要十分なんじゃなかろうか。