>>989 の補足

心 、心所 、物質 、涅槃という事実 、真実 「勝義諦 」の立場でここまで分析とまとめ ・統合の解説が進んできました 。
ここからは施設 「世俗諦 」の分析が始まります 。
統合というほど厳密ではなくても世間の常識でまとめた車 、家 、国家などの曖昧なものごとも 、 「それは真理の立場からは戯論だ 」などと捨てるのではなく 、
世間でそのように成り立っている施設が 、どのように成立し 、どのように作用しているかを分析して 、その功罪を知っておくことも 、アビダンマの仕事なのです 。
(藤本晃『アビダンマッタサンガハ』を読む)
https://i.imgur.com/VKR5XUU.jpg

この著書によると、戯論は施設「世俗諦」のことであって、真実である心、心所、物質(色)、涅槃という「勝義諦」は戯論には当たらないようにも読めますね

ですからスマナサーラの
「非戯論の世界とは、一切の妄想概念から解放された自由の境地、いわゆる涅槃のことです。」
には「ん?」と思ってしまうわけですねw