ということは、「経典読んでて悟った」というのは普通にあり得る話なのか。
しかしそれも、徹底的に精密に分析した結果として洞察が生じる(慧に至る)
ということで、それ相応の下地のあることが前提だろうけれども。

アッサジの言葉を聞いて即座に預流果に悟ったサーリプッタなど、そうした
エピソードは龍樹登場以前からあったわけで、龍樹の空観が仏陀と比較して
特別優れているとは思わないけどね。