「業」について分かりやすく、ミリンダ王問経より

王「尊者ナーガセーナよ、次の世に生まれかわるものは何ものなのですか?」

ミ「大王よ、実に名称・形態が次の世に生まれかわるのです」

王「この〈現在の〉名称・形態が次の世に生まれかわるのですか?」

ミ「大王よ、この〈現在の〉名称・形態が次の世に生まれかわるのではありません。大王よ、この〈現在の〉名称・形態によって、「あるいは善あるいは悪の行為(業)をなし、その行為によって」他の〈新しい〉名称・形態が次の世に生まれかわるのです」

王「尊者よ、もしもこの〈現在の〉名称・形態が次の世に生まれかわるのでないならば、人は「悪業から免れる」ことになるのではありませんか?」

ミ「もしも、次の世にまた生まれることがないならば、人は悪業から免れるでありましょう、大王よ、しかしながら〈実際には〉次の世にまた生まれるが故に、「悪業から免れない」のです」 

五蘊の法は、まさに、変化しつつ連続しているのですが、その間になす業(行為)によって、次の世の五蘊を結ばせる、といっているわけです。
問題は、前世の名称・形態(五蘊)と次の世のそれとの関係はどうなっているか、ということだが、
「実に、死とともに終わる(現在の)〈名称・形態〉と次の世においてまた生まれる〈名称・形態〉とは別のものではあるけれども、後者は前者から生じたのである。
それ故に、諸々の悪業から免れないのである」という事だね。