【イエス】 これはわたしの愛する子 Part97 【キリスト】
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わたしは、新しいいましめをあながたに与える、互に愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
ヨハネによる福音書 13:34
あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。
(ガラテヤ人への手紙 3:26)
メインライン(日本基督教団 日本基督教会、聖公会)
前スレ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1557958866/l50 今となっては、私が「常務会」に苦しめられているが、皇太子殿下(2004年当時)
の人格否定発言の背景には、私が「常務会のメンバーだった」ことがあり、
私も常務会のおかげで得をしてきた経歴がある。
企業の頂点の通達(世論に訴えかける方法)を間違えると失脚につながりかねない。 007のタイトルは忘れたが、女上司がボンドに「書け!私の方があの女よりも快楽を与えられたと!」
とボンドに銃を向けるが、こんな内容の「訓令」も、文字に書かせないと(通達行政)、
国民にご迷惑をおかけするのだ。 おはようございます。
今から教会へ。
ギリギリなんです。
教会の鐘が鳴る前に行けばセーフ^^
それより後ならお席が無い、或いは最前列^^; >>691
バルタンさんおはようございます。
あなたの方が一足早かったようです^^;)
今から教会に行きますね^^)/~~ 皇太子の人格否定発言(2004年当時)の時、私は「常務会」にいたと言ったが、
秋篠宮は「陛下とひとこと相談があってもよかったのではないか」と語っている。
つまり、秋篠宮は常務会にはおらず、専務として振舞っていたことが分かる。
のちに、「天皇入院」というニュースが流れ、主婦たちは「どうしよう、どうしよう」
と言っていた。
「常務に代表権を与えるわけには行かない」
という問題と主婦たちは向き合っており、私の応援団の多さを物語っている。 この時、私は「政管要覧と携帯電話」を主婦たちに示し、動揺を抑え込もうとしたが、
このことによって常務会とは決別し「自覚が芽生えた」と主婦たちは判断している。
どうしても、頂点になるためには「有事」というものが必要なのである。 私は、横浜DeNAベイスターズの日本シリーズ進出や、サッカーのワールドカップ
のような「有事」を経験し、天皇の生前退位を実現させている。
「アメリカが十年に一度戦争をしなければならない国」ということの背景には
常務会の存在があることは指摘していい。 サッカー女子ワールドカップは、「世界の常務会同士の戦い」という側面があるが、
日本の常務会は「トランプ再選を目ざす」などの報道があり、
少なくとも、アメリカ合衆国の常務会の前には日本国の常務会は「敵前逃亡」
する有様である。 常務会から出世する方法を「ジャンセニズム」と呼び、パスカルがこれを研究した。
「神学的な問題」つまり「男らしさ」が問われることがあり、代表権を得るためには
なんらかの神学的な問題をクリアーしなければならなかった。
パスカルは、24歳の時に、「父が雪の上で滑って骨折した」時に、家庭内で
影響力を増したとされる。
ヨハネ1 2:16 贅沢な食事や女は父からもたらされるのではなく、世界の悩みからもたらされる。
ジャンセニズムはとにかく「修羅場に強い」ことを志向し、父からの世襲や禅譲を否定した。
私も、そもそも「平成天皇からの禅譲」を受ける立場になかったことから常務会にいたのだ。
秋篠宮が専務であることはジャンセニズムの立場に立っておらず、「無常」「企業の永遠」
の立場からは「我々には禅譲などない」という常務会の方が「神学と向き合う覚悟」
があったのだ。
「勉強とはすばらしいものだ」という信仰が常務会にはあった。
それに対して「勉強への憧れ」は女たちも持っていた。
禅譲を期待する専務に対して、より「神学的」「学問的」「女性たちの憧れ」が
常務(ジャンセニズム)には存在したのだ。
ローマカトリックは、ジャンセニズムの論客から多くを学んだし、クロムウェルも、
王家の血筋にないものとしてジャンセニズムに多大な貢献をした。
https://www.youtube.com/watch?v=GMdngQR9ih4 常務の中には、社長に「俺、そんなこと言っていないよ」と言わせるものもあり、
あんがい卑怯者が多かったが、企業とは「修羅場」を経験するものであったし、
その覚悟さえあれば「神学的側面」はクリアーできる。
美智子皇后の「週刊誌の訂正」は、当然、メディアの側に「修羅場に立ち向かう覚悟」
があったから、あんがい卑怯な記事を書くことが許されたのだ。
週刊誌などのメディアこそが、修羅場を覚悟し「神学的問題」をクリアーできるからこそ
そのような週刊誌の訂正が宮内庁ホームページに掲載されたし、
一方で、美智子皇后に「修羅場」を覚悟するつもりはさらされなかった。 「SMAPもライブパフォーマンスがなければ忘れ去られていくだろう」
これが大人の見方というものだった。 行政規則の「法規性」とはあんがい「書け!私の方があの女よりも快楽をもらったと!」
という女の争いから生じている以上、アタナシウス派は、君主と器として「どの女も
射精の快楽は皆同じ」とした。
しかし、現実は「違う」のである。
あくまでも、アタナシウス派は「治める側の論理」として「皆同じ」としているのであり、
実際は、小学校・中学校で「自分よりもスポーツが得意で勉強ができる男子がいた」
というところに根ざした「女の感度のよさ」が存在し、それはいろんな女で異なった。
幼稚園・保育園では「女の子が数字が数えられなくなる」から女子校は禁止されたが、
小学校では「感度の違いが生じるから」女子校が禁止された。
しかし、中学校に入ると「勉強をするために」女子校に進学する女の子は出てきた。
https://www.youtube.com/watch?v=I207T37-fho 女子校に進学して、出世する女と、地元の公立中学に進学して、感度のいい女の
二つに流派が分かれたことから、行政規則の「訓令」は男たちの間で噂に
なったし、それを「書面で」訂正させる(通達行政)必要が生じた。
出世する女ほど感度が悪いということを意味したのだ。
アダルトビデオでも「君、相性がいいね」と男は公然と語るが、そのアリウス派は
「異端だぞ」とキリスト教社会では言われかねないものだった。 アタナシウス派は、女の子にも学ぶ機会を与えることを選択し、感度の良さは
どの女も同じとしたが、「感度が悪い」と噂された女上司は、その後、
男たちの取り巻きがいなくなることを意味したため、アリウス派は「言論弾圧」
という形でキリスト教社会には「訓令」というものはあってはならないものとされた。
https://www.youtube.com/watch?v=IciylNjLLY8&t=57s 「総合職に女はいらないのか?」「一般職の女のほうがモテていいのか?」
分かったふりのできる女がいい女だと思った。
https://www.youtube.com/watch?v=-CguoZ8cbp8
しかし、アタナシウス派は「女は生き物である」というアリウス派の見解を否定し、
神は6日目に光を作り、「昼間の女」を生み出したと考えたのだ。
「女性の社会進出」に文句を言う人は誰もいなかった。
アタナシウス派は「男の口説き方ひとつで女の感度は変わってくる」としている。
つまり、あの女は感度が悪い、という噂(訓令)を「男のせい」にしたのだ。
口説き方ならば組織の頂点の通達で出されていたし、訓令の法規性を否定するのが
君主の役割となった。
感度のいい女のほうが得をするという立場は、フェミニズムの側からも批判され、
卵子の方が精子よりもはるかに大きいとし、「男が競争すべきだ」と考えた。
いずれにせよ、組織の頂点の通達を「読めない」というのでは出世できるわけがない。
女たちもその考えを支持したのだ。
在日朝鮮人を行政調査した結果、「政府で働くのは無理だろう」という決断がなされた。 >>694
ビルの手前に白く見えるのが海岸教会みたい。
バルタンさんはその教会に時々ご主席されているのですね。 今日、教会でお友達が出来ました。
お互いに握手を交わしたんです^^
「本当に本当に嬉しいわ」、と私は言いました。
彼女も「涙が出るほど嬉しいです」と言ったのよ^^ >>705
光太郎博士
高度な知識をキーワードにして講義を作成されているのですね^^
たまには普通のお話をしましょうよ。 普通の話と言いましても、世間話のようなものはしないのですが、
以前、シャロンさんが、「高橋尚子と走った」という元マラソン選手が教会に
いたとおっしゃっていましたが、顔は似ても似つかなくてもおそらく高橋尚子本人だと思うのです。
私も、のりピーとか鈴木亜美とかとわりと身近に接しているのですが、
ある意味「顔は似ても似つかない」「やたら人生の経験値が高い」
などの特徴があります。 >>709
光太郎先生
初めて質問に応じて下さいましたね?
嬉しくて涙が出そうTT
本当に有り難うございます。
またご講義をよろしく続けて下さいませね^^
お休みなさいませ >>709
光太郎先生!
便乗で質問させてください。以前、美魔女さんのことを
「私の見立てでは処女です。」と仰ってましたが、
書き込みだけから、処女かそうでないかを見分ける方法があるのですか?
あるのなら、どのような方法ですか? >>706
横浜海岸教会の手前に見える公園は、開港広場公園という名称です。
1854年(安政元年)3月3日に
ペリー提督と日本側全権委員との間で日米和親条約を締結した場所だそうです。 >>711
「女らしさ」というものは「期待されていないことが、できない」ところにある。
女子アナの中には「メリハリが大事」と言ってこのことをよく理解している人もいる。
しかし、美魔女さんは、期待されていないことまで「出来る出来る」と言い張っているため、
「男を知らないんじゃないか」と思ったわけです。 また、実際に外見を見るともっといろんなことが分かる。
貧乳の場合は「レズビアン」であることが多い。
女は自分よりの巨乳の女に吐き気がするものであり、また、男の中に「ひんぬう」
とかいう気持ちの悪い連中がいるために、レズビアンになっているようだ。
AKBになる条件として「貧乳」は挙げられる。
一方、髪が短いというのも、二つ理由が想定でき、「未成熟な頃にお父さんにいたづらされたことがある」
あるいは「子供なのにお金に酔っていた」という二つが考えられる。
髪が短い女は、16歳で生理が止まっており、セックスしても「イタイイタイ」というため、
これもまたレズビアンになっている。
男の中には「髪の短い女」とセックスして「チッ、処女か」という男もいる。 貧乳の女を見たら「男に興味ないっしょ?」と言って話しかけるといい。
貧乳がコンプレックスでレズビアンをやっているため、「分かってくれる男」
にはあんがい心を開くものだ。
また、ネット上で男漁りしている女は、「クリトリスがやたらデカイ」などの
「男性としての特徴」を秘密にしていることもある。
昔は、「無線をやる女」にそのような女が多いことが知られていたね。 昔、私がアイドルの追っかけをやっていた頃、むしろ観客席の方にスターが多く、
桑田真澄や麻原彰晃などがいた。
いつも会場にいるブサイク貧乳女がいたので知り合いになったのだが、
ドーランを塗ったらこれだよw
当時は、私も何も知らなかったので文通するにとどまったけどね。
https://www.youtube.com/watch?v=gBjfmlTwfJw 「法規裁量と便宜裁量」
法規裁量というものは、いわば「クラスメートの女の子」と向き合う時に存在する「摩擦」
のことであり、便宜裁量というものは「従姉妹の女の子」と向き合う時に存在する摩擦
を意味する。
便宜裁量という「従姉妹」と向き合うのは「季節」に限定されており、社会契約論
とも関わりがあるが、法規裁量という「クラスメート」と向き合うのは毎日のようなもの
である。
二つの頭を持った人間が目の前に登場した時などは、もはや裁量の問題ではないとされ
「裁量権ゼロ収縮論」というものもある。
二つの頭を持った人間と言っても「ムチャクチャ頭がいい」という意味であり、
そのあたりは「行政指導と行政調査」に精通しているなどの事例が考えられる。
電話の窓口が「奥」までつなげるしかないのが裁量権ゼロ収縮論であり、
それ以外は「従姉妹」か「クラスメート」かの違いを感覚で判断していくしかない。
いつも電話してくるためよく知っている人ならば「便宜裁量」で応じることが可能であるが、
初めて電話で話した人は「法規裁量」で応じる。
よく知らない人ならば、金目当てだと分かると「警察呼ぶぞ!」などと口走りかねないのが
法規裁量であるが、便宜裁量では「警察」という言葉はもはや出てこなくなる。
身長180センチの男はピグミーでは背が高い(従兄弟)ほうであるが、マサイでは大して背が高くない(クラスメート)
などと言われ、クラスメートは法規裁量であり、従姉妹は便宜裁量という時の尺度となる。
法規裁量(クラスメート)とは日常的に接しているし、便宜裁量とは季節ごとに接している。
法規裁量には「警察呼ぶぞ!」という言葉が登場し、便宜裁量では「警察」は存在せず、
裁量権ゼロ収縮論においては電話を上席のものに変わる、これは覚えておいていい。
https://www.youtube.com/watch?v=hxjyXFzGyaI もし従兄弟が「歴史上の人物になったら」、もし従姉妹が「きれいな女優さんだったら」
「簡単な関係」「無料でセックスさせてくれる存在」が、きわめて難しい問題になる。
季節ごとの関係であったはずなのに「毎日会いたい」ということになり、便宜裁量は
法規裁量に限りなく近づくだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=tNdQlOrSkyo 市民としては、毎日事務的に処理される「クラスメート」(法規裁量)よりは「従兄弟」(便宜裁量)
の対象になりたいと考え、役人や医者に「親戚のように」扱われたいと考えるだろう。
ジョージ・プレハーノフがこの区別を行ったとされる。
事務的に処理される他人よりも親戚のような関係でありたい(法規裁量から便宜裁量へ)
というのはどの市民や患者も考えることである。
便宜裁量になってしまえばもはや「警察」(比例原則)は立ち入ることはないからである。
よく知らない関係(クラスメート)、それでいて日常的に接するという法規裁量と、
よく知っている(従姉妹)、それでいて季節ものの便宜裁量という議論の「感覚」は
磨いておく必要がある。
また、やたら頭のいい男(裁量権ゼロ収縮論)ならば、あっという間に相手の懐に
入ることができることも知っておく必要がある。
相手の懐に入ろうとして(裁量権ゼロ収縮論)失敗すると、便宜裁量の世界においては
「警察呼ぶぞ!」(比例原則)ということになる。
https://www.youtube.com/watch?v=FUx4cmSXEyo
みんな、医者や役人、あるいは女の子とは「親戚」のような関係でありたいため、
やたら頭のいいふりをして接するが、まちがえると「警察呼ぶぞ!」ということになる。
この議論の感覚は知っておかなければならない。 役人や医者など、たまにしか用がない人たちをいかに「親戚」にするか(便宜裁量)
の力量が市民には求められるのだ。
しかも、警察すら立ち入れないものにする必要がある。
世の中をいかに快適にするかというテーマが「法規裁量から便宜裁量へ」という
ものである。 たまにしか会わない親戚(便宜裁量)を目指すのが政治家の目的であり、
しかも、そこには警察はいなかった。
そのためには「女心」にムチャクチャ詳しくなければならない。
裁判所も「よく話を聞かせてくれないか?」というのは「たまにしか会わない親戚」
との関係であり、便宜裁量は「自由裁量」とも呼ばれた。
「女心」について知りたかったのだろう。
なぜ、女心に詳しい男が「プロレス」の世界で噂になっているのか?
なぜ、女二人が男を奪い合ったのか?
なぜ、行政・立法・司法は分かれたのか?
結局、どの男も、親戚のような役人や医者を増やしたかったからであり、
警察のお世話にはなりたくはなかったからである(法規裁量から便宜裁量へ)。
女心に詳しかったり、朝鮮に詳しいとそのような結論になるのだ。 家族で初詣に行って、誰が一番「知り合いに声をかけられるか」で
政治家への適性が分かる。
しかし、深い男女の関係だけは異なる論理があるだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=J2gxca01sEY 政治的野心のある人は「法規裁量から便宜裁量へ」の道を歩むが、
エッチな店などは「私たちは街を歩けません」という意味をこめて「一見さんお断り」
という掲示をしている。
「一見さんお断り」ならば法規裁量であり、警察も呼べる。
しかし、たまにしか会わない親戚(便宜裁量)というのはカジノでもその必要性が
指摘されており、喫茶店などでは当然、たまにしか会わない親戚(便宜裁量)を
重視しなければならない。 >>712
バルタン星人さん、こんにちは^^
そうでしたか、とてつもなく歴史のある場所なのですね^^
雰囲気で何となくその時代の風景が目の前に迫ってきますよ。
次回にそこを尋ねる機会があれば心して見てみますね^^
横浜、大船、藤沢、鎌倉と湘南の独特な空気、好きです。 >>725
光太郎先生、こんにちは
今日もご講義ありがとうございます。
早く光太郎先生のご講義の内容が理解出来ますように頑張ります^^
落第は嫌ですから^^;) 横浜海岸教会
https://i.imgur.com/tn7g6B3.jpg
【 特別伝道日礼拝 】
2019/6/30(日)
午前10時30分から12時10分(礼拝堂)
聖書[新共同訳]:??ローマの信徒への手紙3章21〜26節
説教:「聖書が示す救いの根拠」
説教者:横浜海岸教会牧師 上山修平
讃美歌 : 6、206、51、436、26 「一見さんお断り」という店であるのならば、男女は深い仲になる(法規裁量)し、
クラスメートを意味する。
しかし、普通の喫茶店ならば、男女は紳士淑女であり、「期待可能性」だけで
喫茶店にお金を払う(便宜裁量)。
法規裁量の立場に立つのならば、松田聖子の制服であるし、便宜裁量ならば
おニャン子クラブの夏休みは終わらないであるし、しかし、「一見さんお断り」
ならば「親戚のような人」を受け入れてはならないし、そうでない喫茶店ならば
「常連重視」を受け入れてはならない。
「やるかやらないか」の違いを明確にしないと経営はうまく行かないのだ。 「今日はじめて来た男性客」を女二人が奪い合えるのが便宜裁量であり、
男性の自尊心を満たさなければならないのは法規裁量(一見さんお断り)と
なんら変わりはない。
経営の「コンセプト」(人気)は「ノンケ」を狙うべきだとされ、はじめてきた男性客の
自尊心を満たせばあっという間に「人々に知られた喫茶店」になる。
このへんはスターバックスもエクセルシオールも理解しているものと思われる。
「経営戦争」においては「はじめて来た男性客」を立てるのは基本であり、
「一見さんお断り」との違いや強さが喫茶店にはある。
この国は中国ではない。
国営企業のない「自然淘汰の国」なのだ。
一見さんお断りならば「女性優位」になるが、喫茶店ならば「はじめて来た男」
を立てなければならない。
男の「欲望」をうまく利用しなければお金にならないのは「一見さんお断り」
の店でも、喫茶店でも同じなのだ。 ママ、今日も行って来たぜ。言わなくても分かるよな、そう、ソープランドにな。仕事が終わってよ、いつもの
焼き鳥屋でホッピー2杯飲んでよ、アテは焼き鳥8本とお造り一皿でな、予約しといたいつもの女と乳繰り合って
来たんだわ。ママ、生ビールとよ、腹が減ったからよ、何か作ってくれっかや。ああ、焼うどんでいいや。いやあ、
今日も濃厚なプレイをよ、思う存分と楽しんで来たぜ。
プハ〜、やっぱひとっ風呂浴びた後のビールは最高に旨めえや。ママも飲んだらよ、今日はまだなんだろ。じゃあ
乾杯すっか。ママ、俺もそろそろ還暦になるけどよ、若い頃に比べてもよ、アッチの方はほとんど衰えを感じないぜ。
一週間も精液を出さねえとよ、マラがうずいてうずいて仕方ねえんだよ。朝な、目が覚めるとオッ勃ってることなんか
しょっちゅうだぜ。あれだな、男の精力ってのはよ、使えば使うだけ衰えねえモンだな。俺の周りのヤツらなんかよ、
40代にもなるともう女とヤル気がしねえ、なんて言ってるのが多いぜ。聞くとよ、女房とは飽き飽きして何年も
ご無沙汰でよ、金が勿体ねえからソープランドやヘルスやデリヘルやら、そんな遊びも全くしてねえんだよな。俺も
女房とはさすがにヤル気はねえけどよ、あっちこっちのソープランドでよ、色んな女を相手にしてるとよ、いつも
新鮮な気分で女の裸を抱けるからな、マラの衰えなんて感じねえんだよな。なあママ、ママは男とのアッチはどうなのよ?
まさかご無沙汰じゃねえんだろうな。え、もう8年もヤッてねえの?なんだ、勿体ねえなあ。ママほどのボインで色っぽい
女がそれじゃあ干からびちまうぜ。男に抱かれてよ、オマンコを濡らしてよ、気分をパアッと開放的に日々してる方がフケ
ちまわないでいいぜ。おまけに男の精液でも飲んだ日にゃあよ、お肌まで栄養が回ってツルツルになれるぜ。よしママ、今度
俺が相手になってやるよ。俺はな、どんな女でも悦ばせる自信があるんだぜ。よし、今日はもう3発も出しちまったから無理
だけどよ、今度、精液を溜め込んで来るわ。そん時きゃその辺のシティホテルでも行ってよ、激しく肉弾戦を繰り広げような。
今から楽しみになって来たぜ。 スキュデリーは、フランス王室ソサエティの人物であるが、読み、書き、絵画、音楽、ダンスなどを覚えた。
さらにはイタリア語とスペイン語の勉強をしている。
このスキュデリーこそが、日本の喫茶店にクラシック音楽やジャズを持ち込んだものと考えられている。
マダムラファイエットや、マダムシャロン、マダムメイテノンなどと喫茶店を営んでいた。
あくまでも「王室ソサエティ」のメンバーだったため、「一見さんお断り」の店とは一線を画し、カントが考えた「風俗営業と飲食店」の明確な区別にしたがうのであれば、飲食店の側に立った。
つまり、「警察のお世話になるつもりはない」という意思表示であった。
このようにして、喫茶店というものは「高級サロン」として発展したのであり、缶コーヒーとは異なる趣がもたらされた。 スキュデリーの時代は、アンシャンレジーム(旧体制)と呼ばれるだけのことはあって、
かなり専制主義的な体制が存在し、そのことを話し合うサロンというだけでも
喫茶店は人気があった。
専制主義的な王の母が喫茶店を営むという意味では、やらせみたいな側面はあった。
喫茶店の女性たちは美しかった。
カントのような「一見さんお断り」などという店が汚らわしく思えたのだ。
アンシャンレジームの残骸が現在の風俗営業法として残されているし、
それを支持するかどうかでフランス寄りかドイツ寄りかが決まった。
ドイツ寄りの連中が、店の前に塩をまいているのを眺めていた。
「アンシャンレジームは体制打倒までが楽しかったのよ?」
マダムのひとりはそう語った。 アンシャンレジーム打倒のためのエネルギーが喫茶店には満ち溢れていた。
「ドイツのカントも汚らわしかったし、アンシャンレジームもカントを参考にしている」
そのように、風俗営業法はフランスで批判された。 「どの政治家が、もっとも”私たちの問題”に詳しかったかしら?」
女たちは情報を持ち寄っていた。
健康問題から、女心、子育て、そして芸術論まで話し合った。
「汚らわしいものはみんなドイツのカントが考えたのよ?」 女は「女が嫌がっているじゃないか」と考える男の存在に悩んだ。
https://www.youtube.com/watch?v=48Glgd85wQ8
女にとっては芸術論はうってつけの話題だった。
ルイ16世はユニークな側面があり、実母がスキュデリーだったようだ。 ルイ16世の「女性観」はそのまま、喫茶店に持ち込まれたし、ルイ16世のシンパは
「進歩主義者」と呼ばれた。
子育て論でラファイエットに敗北するまではなかなか体制は崩壊しなかった。
マックス・ウェーバーやダークハイムもルイ16世を支持していたし、
20世紀中頃まで「フランス革命とはなんだったんだ?」という用語が知られていた。
なぜ、あんな面白い人を殺したんだ?という批判の意味がこめられていて、
「もっと面白い人が出てくるぞ?」と思ったフランス人を批判していたのだ。 「男女の出会いの機会を増やす」というフランス民法典と、「性病の治療をする」
というドイツ民法典も、フランス王室ソサエティで話題になった。
ハンス・ケルゼンは「風俗営業支持・性病の治療支持」という熱烈なカント信者であった。
しかし、ケルゼンは「フランス女にモテたかっただけ」と言われた。 ケルゼンは、「風俗営業支持・性病の治療支持」を訴えた上で「規範」という
「守るべきルール」を定めている。
この瞬間、「法律学はドイツのもの」となったのだ。 「ごめんで済めば警察はいらないよ」
これがケルゼンのキャッチフレーズだった。
アメリカ合衆国も、フランスとドイツの対立は「面白い」と考えてみていた。
繁華街をパトロールする自警団を作るフランス寄りの連中もアメリカやイギリスにはいた。 相変わらず、喫茶店というものは「ルイ16世」について語り合うサロンであった。
ドゥオーキンが「人間というものは、家族と言えば金を払い、水と言えば金を払う」
という露骨な議論をアメリカでけしかけてくるまでは、ルイ16世の時代は続いた。 >>730
バルタン星人さん
今夜も美しいお写真をありがとうございます^^
あなたはこのお近くにご縁がありそう。 >>737
今夜もご講義にお熱が入りますね
トンタン茶房 教授のお気に入りお店、見〜つけた^^)/
光太郎先生も横浜にお住まいなのでね。 ドゥオーキンのおかげで「ファミリーレストラン」が誕生した。
https://www.youtube.com/watch?v=5y6qQAmDaSg
商人の道ならばデラウェア州に聞けよ。
あいつらはドイツに詳しい、とされた。
「風俗営業支持?性病の治療?」
ドイツの勢いは止まらないね。
ケルゼンは世界でそのように語られた。
赤線の「痴話喧嘩」は警察に高度な司法官であることを求めたし、
黒人を警防でぶったたくアメリカのロサンゼルス市警は「勉強不足」が批判された。
「想定内」
それはルイ16世のセリフだった。
https://www.youtube.com/watch?v=_bOQKthTeAs 「ファミリーだ?水だ?」なにもかも想定内だ。
これがルイ16世であり、はたして「男女の出会いの場を与える」「王室サロン」
がはたして「ファミリー、水」を想定していたかは明らかではない。
しかし、ドゥオーキンは公然と、ルイ16世を攻撃し始めたのだ。 王室サロンではコーヒーを飲んだよ?
ファミリー?
ファミリーの問題ぐらい話し合っただろ。
スマホ?
それはなかった。
ドゥオーキンの「アンシャンレジーム打破」の悲願は部分的には達成された。
「でも、それでも想定内と言ってはいけないのか?」
ルイ16世の系譜を引き継ぐ連中はそのように語った。
アンシャンレジームと王室サロンに関する議論は1980年代までは「フランス革命とは何だったのか?」
と問われ続けたが、コンピューターやスマホの普及により、「想定内だったかどうか」
が問題になった。 回転寿司?
それもなかった。
しかし、ITの時代は常に「想定内」かどうかが問われたのだ。
「男女の出会いの場を与える」「王室サロン」
これですべてを説明できるのだろうか?
ルイ16世の系譜には考えがあった。
「想定外の中の想定外はカントだろうが!」
コンピューターやITすら上回るのが「風俗営業と性病の治療であるはずだ」とし、
ITの時代を「我らの時代」に含めようとしたのだ。 小野光太郎による、ルイ16世とカントの拡散は?
それはドゥオーキンのせいだ。
ドゥオーキンは「アンシャンレジーム打破」のために「スピードは速めた」が
はたして、それでルイ16世に勝ったかどうかは人間活動である以上、明らかではない。 IBMは「Think」(エクスタシーを感じろ)と言って、ドゥオーキンの側についた。
それはカントの側ではないのか?
「カントが想定外なのであって、お前らではない」
これがルイ16世の系譜の考えだった。
これが「我らの時代」と呼ばれる議論だった。 あのな、人間、何をしようがかまわないが、ルイ16世が「最後の王」だったとみとめろよ。
これが「天皇制支持」の議論の基盤となっている。
ルイ16世にとって想定外だったのはカントだけであり、それでフランスとドイツは
世界から体制保障がもらえるだろ。
日本の天皇制もドイツとフランスが続く限りは存続できるだろう。
天皇制廃止論はドイツとフランスを滅ぼしてから言え。 人工知能?
ああ、北朝鮮か。
自分をわざと低く見せて情報を集める連中ならアンシャンレジームにもいたよ。
朝起き会?
地方自治を優先させる奴ならオーストラリアを作っただろう。
ルイ16世は、「結論として、処女を大事にした王であった」という結論だけは出ているようだ。
フランスの最後の王である。
https://www.youtube.com/watch?v=1j_I5jhKHb4
ドゥオーキンほど「フランス革命」を正当化するために尽力した哲学者はいなかったが、
どこまで「我らの時代」「天皇制打破」に成功したかは明らかではない。 お上が決めた「卒業」はあまりにも悲しくないですか?
いじめから自由になるために必要なものだろ。お前だって逃げるように卒業しただろ?
https://www.youtube.com/watch?v=bvWOONDXd1w
「夏休み」の終わりは悲しくないですか?
成長ってもの、約束ってものが分かるようになるだろ?
https://www.youtube.com/watch?v=9bh39aHeVjg 私、昨夜光太郎先生の事を思って泣いてしまいました。
今も涙が止まりません。
光太郎先生はこのスレで静かに講義をされていさえすればご機嫌よく
されていますね。何をも主張せず愚痴を言わず批判せず悪口を言わず
誰をも傷つけず・・・(TT
ある意味で神様のみ使いかも知れないと思いました。
そして光太郎先生の存在感は大きいのです(TT 「法規裁量」(風俗営業支持・性病の治療支持)から「便宜裁量」(男女の出会いの場を作る・王室サロン)へ、
という政治学とも行政法ともつかぬものが、朱子学においては「四つの書」という形で、
「季節ごとに経営戦略が異なる」とされ、顔の美しさを作った仏教や、音楽作品を作った道教
を合わせる形で、朱子学は「喫茶店経営の司令塔」として寺院に資金を集めた。
仏教が作った「美しい男女」や、道教が作った「音楽作品」がなければ朱子学は夢が見れなかった。
あとは「季節」に溶かし込むだけだったのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=e068ZuNrP50
朝鮮、ベトナム、日本にまで「季節の問題」は持ち込まれ、それはつまり「星座占い」
であった。
テトラビブロスのことを「四つの書」というのではない。
朱子学と喫茶店の学問をそのように語ったのだ。
「階級社会の象徴」
それが喫茶店であり、星座占いによって女たちはその店に入るかを決めていた。
https://www.youtube.com/watch?v=TVkjotw8du4
誕生日が近いと「みんなが祝ってくれる」という現実的な理由も「星座占い」には
存在した。
みんなが祝ってくれるということは「お金がある」という意味であり、
女子高生にはあんがい喫茶店の敷居は高い。
ブルジョア男は「季節などお構いなし」「誕生日などお構いなし」に喫茶店に行っていた。
https://www.youtube.com/watch?v=I9xdmKDuuGo 「血のつながったもの」しか誕生日にお金をくれなかったため、儒学においては
「ファミリーライン」というものが重要であるとされた。
誕生日の前後とはそれほど女子高生には縁起のいいものだったのだ。
女子高生は誕生日の前後しか「出会いの場」を広げる機会がなかった。
誕生日をお祝いする習慣と喫茶店を結びつけた音楽作品はけっこう多い。 からだを売らない女子高生という意味合いもこめられていたのだ。
「意味が分かるか分からないか」
それは、女子高生によって異なるだろう。 法律を作るのには仲間が必要であるし、議会構成を作る投票というのも
「誕生日」以上に、お金になるときである。
お金のある存在が法律を作るのであって、それは「政府提出法案」の場合は
各省庁の予算請求が通るかどうかにかかっている。
各省庁は「仲間作り」を成功させたら予算の請求が認められる。
ローマ法とは「イエスキリストの仲間作り」「お金」によって作られたものだ。
イエスキリストの仲間作り・お金によって作られたのではない「ゲルマン法」とは
このように区別される。
選挙の日は「外食できる」というのはローマ法の立場である。
https://www.youtube.com/watch?v=-3RyqCAJkRU コモンローはすべて、ローマ法の系譜に属するものである。
ドゥオーキンは「憲法マネーを柱として法律を作った」とし、コモンローの「マネーによる階層化」
を提示した。
ドゥオーキンは「ファミリーと水とさえいえばどんな法律でもできる」としており、
憲法マネーの源を「ファミリーと水」に求めた。
さらには、ファミリーには女子高生になる女の子もいた。
ドゥオーキンの「ルイ16世批判」は、「憲法を作った」ということからもアプローチ可能だ。
https://www.youtube.com/watch?v=nkRujTebII4 この世のことばを使えば使うほど、自分でこの暗闇の穴の中に落ちて行きます。
御言葉を使わない者が神様の遣いですか?
それを奨励する者は、その穴掘りを一緒に深く掘る者である。
人間の行く先は死である。 専制主義的に作ったゲルマン法は、ルイ16世やカントによるものであったが、
イエスキリストと憲法にその根拠を見出したのがローマ法である。
大陸法と英米法は、ゲルマン法とローマ法の対立であり、
専制君主と、イエスキリスト・憲法の対立だった。
当然、大陸法にも憲法というのはあるが、憲法マネーという発想がなく、
なかなか「選挙の日に外食する」という英米法的な発想は身につかなかった。
日本の「押し付け憲法」というのもそのような側面が見られる。
「憲法は法律を作るためのマネーの柱」という発想は英米法特有のものだ。
「胸」「セックス」「女」
これらをイエスキリストは巧みに用いた。
ドイツでは「結婚」という言葉が、「風俗営業支持・性病の治療支持」を背景に
人気を集めた。
ルイ16世にとって「想定外だったのはカントだけ」とされており、
「結婚」という言葉と「ファミリーと水」という言葉がどのように関わっているかは
「想定内」「想定外」の議論となる余地はあるだろう。
日本でも「結婚は憧れ」とされているが、ルイ16世の想定外であり、
「ファミリーと水」と、「結婚」の関係も、「男女の出会いの場を作る」「王室サロン」
とどのような関係にあるかは「ルイ16世のアンシャンレジーム」「天皇制支持」
の立場から、おのずと、ルイ16世とカントという二名の王の顔を立てながら
詰めていかなければならないだろう。 こんばんは
>>764
まちこさん、ご存じの様に光太郎さんは病んでいるのです。
未だクリスチャンになっていません。
でも彼の存在するのを神は認めておられるのです。
彼には尊い使命がある筈ではないですか。
例えここに居るだけで使命を果たしているのかも知れません。
現に彼は私を慰めてくれています。
その様な厳しい言葉で他人を裁くものではありません。
彼は誰をも傷つけてはいないではないですか。 み言葉なら雑談スレにでも溢れています。
あらゆるところに溢れています。
しかしそのみ言葉は人の手により穢されてしまっています(TT
他人を厳しく批判したり裁いたりする武器としてですね。
まちこさんもお気を付け下さい。 光太郎さんは誰をも攻撃しない。
別の意味で神様の御心に適っています。 この世ののクリスチャン達は神様の尊い御言葉を武器に
他人を傷つけてしています。恐ろしい事です。
最後の審判とは言いません。
しかし必ず神の時に彼らは裁かれるでしょう。 >>766
バルタン星人さんいつもありがとうございます。
あなたのご紹介の場所は私の愛する人と何度も通った場所なのです。
あなたを感謝します。 >>764まちこ ◆y8/TfGY26o 2019/06/25(火) 17:41:49.06ID:7UEtqHXj>>768
この世のことばを使えば使うほど、自分でこの暗闇の穴の中に落ちて行きます。
御言葉を使わない者が神様の遣いですか?
それを奨励する者は、その穴掘りを一緒に深く掘る者である。
人間の行く先は死である。
☆まちこさん、こんばんは。
まちこさんは、光太郎さんのことを言われているのでしょうか?
違いますよね。
御言葉を使うとは、ご自分の欲や盲目に奉仕させ使役することでなく、
御言葉を自分が生きるということですね。 褒め言葉がいい加減です。
ロムしている人を惑わさないでください。 >>774
光太郎さんが、どうということでなく、
シャロンさんは褒めるにしろ、貶すにしろいい加減である。
ですね。 >>775
なぜ、光太郎さんが神様からの遣いなんですか?
褒め言葉が、いい加減すぎます。 シャロンさんは今まで、人と仲良くするために、いい加減すぎる褒め言葉ばかり使っています。
人を喜ばす言葉ではなく、神様を喜ばす言葉を使って欲しいですね。
聞いている方も喜べません。 もっと「噛み砕いて」表現しなければ理解できないかもしれない。
ルイ16世の立場は「男女の出会いの機会を与えるのが民法」であり、「王室サロン」
において「便宜裁量」(痴話喧嘩の自由な判断)が行政法においては可能であるとした。
また、ルイ16世は「ITなどというものはすべて想定内、カントだけが想定外であった」
としている。
ここで、カントは「結婚」という制度を構築した。
「結婚に愛がともなった」とされるラブレボリューションはカントが作ったものだ。
ラブレボリューションに対して、ルイ16世は「想定外」として、フランスとドイツの共存
と戦争の歴史を繰り返した。
ドゥオーキンは「ファミリーと水さえあればいかなる富も生み出せる」とし、
ルイ16世の系譜・天皇制を打倒しようとした。
カントもルイ16世も「専制君主」であり、大陸法・ゲルマン法を作った。
ドゥオーキンなどの英米法・コモンロー・ローマ法は、「選挙の日に外食する」
ほど選挙は市民にとってはお金であるとした。
ドゥオーキンの「ファミリーと水」は、カントが作った「結婚」の中に含まれるのか(ルイ16世にとって想定内)
だったのか、それとも「天皇制打倒に一部成功したのか?」が問われる。
「ファミリーと水」が必ずしも「結婚」だけでは説明できず、同性婚や「小室ファミリー」
などというものが成立するのであれば天皇制打倒は一部成功したことになる。 なお、所有(セックス)というものが、ローマ法においては「ポッセシオ」(愛の下にあるもの)
とし、ゲルマン法においては「ゲヴェーレ」とされ、「愛がなくても」とされていたのが
印象的だ。 フランスのラカンなんてのは「愛がなくてもそもそも気持ちいい方法」を探求している。
不思議の国のアリスのように、お母さんのもとを離れて「猫に見守られながら」
穴に落ちるアリスという「一連のシーケンス」をアニメにしたものだ。 >>777
はい、そういえばピッピさんは病気なんです、を思い出しました。
そしてピッピさんに、経験と頭の良さで、素晴らしいクリスチャンになると
言われていましたよね。。。。 >>764 :まちこ ◆y8/TfGY26o :2019/06/25(火) 17:41:49.06 ID:7UEtqHXj
>この世のことばを使えば使うほど、自分でこの暗闇の穴の中に落ちて行きます。
>御言葉を使わない者が神様の遣いですか?
>それを奨励する者は、その穴掘りを一緒に深く掘る者である。
>人間の行く先は死である。
御言葉を使わない者
自分でこの暗闇の穴の中に落ちて行く者
↑コータローさん
御言葉を使わない者を神様の遣いという者
穴の中に落ちて行くことを奨励する者
その穴掘りを一緒に深く掘る者
↑シャロンさん
(そういう)人間の行く先は死である。
↑コータロー&シャロン また、ドイツのゴッホは「掘る」という絵画において「女にとってはこう見えるよね」
ということを探求している。
ラカンにせよゴッホにせよ「愛のないセックス」を探求した節がある。 >>773 :いさな :2019/06/25(火) 19:51:48.34 ID:itAQNTdE
☆まちこさん、こんばんは。
まちこさんは、光太郎さんのことを言われているのでしょうか?
違いますよね。
>>775 :いさな :2019/06/25(火) 20:01:05.93 ID:itAQNTdE
光太郎さんが、どうということでなく、
シャロンさんは褒めるにしろ、貶すにしろいい加減である。
ですね。
>>781 :いさな :2019/06/25(火) 20:42:49.35 ID:itAQNTdE
はい、そういえばピッピさんは病気なんです、を思い出しました。
いさなさんは、コータローさんを病気だからと免責して、
まちこさんがシャロンさんだけを批判していると
思い為そうとしている。 「法規裁量」つまり「クラスメート」「一見さんお断り」の世界がまず存在し、
この世界においては、「お店のルール」がすべてという側面がある。
一方、「便宜裁量」つまり「従姉妹」「喫茶店」の世界においては、「男を立てることを知り、
みんなが親戚のような存在」であり、街で見かけたら挨拶できるというものである。
この、ゲルマン法・大陸法の世界は、カントとルイ16世が作ったものであり、
「法規裁量から便宜裁量へ」というキャッチフレーズは、すべての女が
「猫に見守られながら穴に落ち、穴を掘る人を想像する」という政治活動を
意味している。
みんなが「親戚」であり、「ファミリー」であるという意味では、君主の力量次第で
「天皇制打倒は困難」だと考えられる側面がある。 いさな
(まちこさんは、コータローさんを批判していない。
批判されるべきは、憎っくきこのシャロン一人) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています