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法華経は釈迦入滅後700年ほど経ったAC200年ごろに編纂されたものだそうな。当然のことながら釈迦の直接説法したものではない。しかし如是我聞=かくのごとくわれきき などと直接聴いた風な書き出しで始まるのも面白い。
誰がかくのごとく聴いたのか、あるいは天からのメッセージを聴いたのか、主体の名前すら残っていない。無名の大乗仏教の天才達のメッセージを集めて編纂したのは誰か。そんなことはお構いなしに経文のみを残したと言う。
これらの大乗仏教運動を起こした無名の天才群がいなければ天台チギも伝教もさらには日蓮も存在し得なかったが、しかし歴史のかなたに消えてしまってこれらの真の天才達の姿は今では全く見えない。
700年の隔たりといえば凄い。現代の宗教化が「私は鎌倉時代の人物からこのように聴いた」と書き記し、世間にアピールすることを想像してみる。
「冗談もいい加減にしろ」と一笑されるか、頭がおかしいのではないかと思われるのが関の山だろう。それにアピールすることも当時の知識層に勘に障ることばかりだ。当時の聖人達に向かって「お前達の悟りなどは方便にすぎない。
真の目的は菩薩道を通じて仏になることだ そして聖人たちのみならずすべての人が仏になる」と説いたものだから、かなり激しい迫害を受けたのではないかと推測する。
法華経の経文に迫害を受けるという内容が頻出することでそう推測している。