本来は、応供だけでよろしいのです。が、桐山師は応供という場合の仏の働きを説明しているわけです。経文には、「仏は福田として人々に福を与えるから供養を受けるにふさわしい」とあるのです。だから桐山師は分かりやすく、供養に応えるぞ、と説明したのです。