阿含宗という宗教302
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応供の如来とは、応供という場合の如来の意味は、という意味ですよ。つまり、仏の十号とは仏の働きをそれぞれ象徴する呼び名がついてあるわけです。応供とは福田の働きに着目した名ですよ。世間のことをよく知っているから世間解というようにね。 馬から落馬した、と言わんでも、落馬だけで馬から落ちたことは分かる。応供も如来も同じ仏を指す言葉だが、その働きが違うわけだね。応供は福田として供養に応える働きをする場合の仏の呼び方、如来は真理の世界からこの世界に来て真理を説く場合の呼び方なわけです。 だから、応供も如来も仏を指す言葉であるが、その呼び方で働きが違うわけだね。福田として供養に応える場合は応供、真理を説く場合は如来とお呼びするのがふさわしいわけだ。 ところで、批判派の皆さんは、シュダオン向はシュダオンに含まれると思っているかな?そう思う人は深山くんと同じで、阿含宗を批判する頭ではありませんよ。その場合は自分の頭を批判しないとだめです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています