>>476

三学など持ち出して煩瑣な論理を振り回す。
しかし釈迦教の解脱とは、とても簡潔明瞭なことで説明がつく。
煩悩がすべて消滅したら、それは解脱です。
そしてその状況とは、「このようにして心が安定し、
清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)
堅固な不動のものとなると、」 というものですよ。
沙門果経のそれは、解脱出来る時の修行などの話ではない。
あのお経では四禅の時でも解脱している内容です。
だが、そう言うと四禅で解脱したのかと切り返すでしょうが、
意味が違います。
あなたは、それを理解できないのでしょう。
ですから何度も深山氏に食い下がって無理矢理どの修行課程で
解脱するのかにこだわっている。
修行者の中には三結断の預流で解脱した者もいるのです。
この意味も理解できないでしょうね。
だからあなたは永遠に沙門果経の話が解ることはないのです。