だいたいですね、念力の護摩初伝のお次第に基づく護摩を和田さんが焚くのだと言う。
初伝であるから実際には灯明から付け木で火を取る護摩となるのが オチです。
でもそれって何の意味があるの?
何のパフォーマンス性があるの?
もう最初っから見え見えで白けてるじゃないの。
そんなことで人が集まると思っているのか?
だから本当に火でも煙でも出さなきゃダメなんですよ。
そして初伝でも火や煙が出たのは、法の力だけでなく、桐骨の力があると力説するわけですよ。
そういうことをやらないと意味がない。
だからそれをやればいいと言っている。
こちらにとってもそれをやってもらった方が 色々と面白いのです。