あとは、キリストの言葉は「神の視点から見た時の生きる」と「人間の視点から見た時の生きる」があり、私のいうのはいつも前者だ、みたいな論法がある

「いきる」が「霊魂+からだ」を意味している時に人間の視点から見た「霊魂+からだ」は生きても朽ちるもの

なぜならば地や肉に属するものはすべからく朽ちるから
でも天や霊に属するものは永遠で朽ちない、みたいなモチーフがある

だから神の視点だと死んでも神(キリスト)に連なれば復活で永遠に属する「霊魂+からだ」になるわけだから生きる、とも言える

さらに、第一のアダムに連なる肉に受肉して、死は不可避だから贖罪を果たすことも不可避だけど、その後に復活するキリストを見る限り

贖罪の道を歩めば、霊魂の力で「内側からからだの変容を行える」みたいな概念も演繹できる
そこから死によって粗雑な素材を引けば霊のからだだけ残る、みたいな水掛け論も生まれたりとか何とか

>>664
キリストは神だからあれですが、放蕩息子は放蕩息子として父まで帰還するから親近感湧いて好きなんすよねw