ラテン語訳聖書では、この《ソーマ》(体)は「身体」を意味する語(コルプス、英語のボディー)で訳され、先の「肉体」とは区別されています。

すなわち、パウロの手紙における《サルクス》(肉)と《ソーマ》(体)の区別は正確に受け継がれているわけです。

ところが、使徒信条が形成されていく時期(それはウルガタ成立よりも以前になります)では、二つの用語が厳密に区別されないままで、

体《ソーマ》を備えた復活のことが、「肉体の復活」と誤解されかねない「カルニスの復活」という句で表現されることになったのではないかと考えられます。

 この混乱は用語の混同から生じただけではなく、その背景には実際の信仰内容の混乱もあったようです。

初期のキリスト教会では、「死者の復活」とは「肉体の復活」であると理解する傾向があったことを窺わせる節があります。

パウロがその手紙であれほど明確に復活とは肉体の復活ではないと教えているにもかかわらず、パウロの手紙はヘレニズム世界の教団のその後の進展において、あまり普及せず、それほど理解されず、大きな影響も与えなかったようです。

その事情は、パウロの活動の数十年後に彼の活動圏内で書かれた使徒言行録が、パウロの手紙の影響を全然示していないという事実にもうかがわれます。

 初期の教団に死者の復活を「肉体の復活」と理解する傾向があったことは、最初期の教団の指導者たちが大部分ユダヤ人であったことと関係があるのではないかと思います。

当時ユダヤ教の主流となっていたファリサイ派では、終わりの日に神がイスラエルの民を死者の中から復活させてくださると信じられていました。

そして、その終わりの日の復活は地上の身体と同じ身体への復活と理解される傾向がありました。

これは、イスラエルの宗教が、ギリシャ宗教の霊界と物質界の二元論とは異なり、本来地上の歴史の中での出来事を主題とし、具体性を重視する宗教であったことから来るのでしょう。

このような復活信仰をもつユダヤ人が初期の教会の指導的な立場にあったことが、キリスト教会が復活を「肉体の復活」と理解するようになった原因の一つではないかと考えられるのです。

http://www.tenryo.net/old/anas_apd.htm